巖谷先生が語ってくださった、澁澤さんの思い出。
初めて出会ったときから巖谷先生に作用しだした、特別な印象。
ともに旅しては、どんなことを話しどんなふうに過ごしたか。
好きな食べ物、言葉、歌、遊び、ゲーム、血液型の話などなど・・・
同調・自粛・忖度とは無縁の、「物理人間」としての澁澤さんや巖谷先生の日々。
ほかの友人たち・・・種村季弘さん、松山俊太郎さん、出口裕弘さんなど・・・
それぞれの視点や特徴がまたおもしろく、巖谷先生が対談でも見事にそれを
引きだしてくださっています(『澁澤龍彦論コレクションⅣ』参照)。
澁澤さんの普遍化していく「私」、説話的自我、記憶のプール、インファンティリズム、
アナクロニズム、アナログ思考・・・彼は近代の日本に現れた特別の「私」を持った
作家だと巖谷先生は指摘し、今の『皆殺しの天使』のような閉塞状況を突きぬける
要素があるとおっしゃいます。
澁澤さんが入院してからの、生涯でもっとも巖谷先生が付きあったという日々、
その間の筆談のやりとり。いずれもとても感動的です。
当時ただひとり巖谷先生が、澁澤さんの変化する作家という点を見抜いて書いたことを、
うれしかったと澁澤さんは語りました。
澁澤さんが亡くなった知らせを、クロアチアのドブロブニクで受けとってから帰国する
までの巖谷先生の旅は、シチリア、マテーラ、パレルモ、イゾラ・ベッラなど、澁澤さんが
行った町をたどることにもなりました。
今回の巖谷先生の写真展にも、これらの町の写真は展示されており、またストラスブール
など別の町の写真も、まるで高丘親王航海記と呼応するかのように偶然の一致をなし
ています(写真展より、「薬子」など)。アナロジーの特徴としての、偶然の一致、円環。
巖谷先生の澁澤さんとの付きあいは、亡くなって以後ますます続き、読者をその円環に
巻きこんで、わたしたちをそれぞれの旅に誘いだしてくれます。
見れば見るほど、読めば読むほど、新たなアナロジーが展開する写真たちに、
『澁澤龍彦論コレクション』の文章。その不思議と感動をますます加速させ、まるでオブジェ
のように手にとれる思い出を、珠のように差しだしてくださったご講演でした。(okj)