柏崎の森 2011© Kunio Iwaya
柏崎の森 2011© Kunio Iwaya

2021年

12月

17日

巖谷國士 ★ 講演「ブリュッセルと画家ルネ・マグリット」(ヨーロッパの都市と美術をめぐる3回シリーズ)

 

うぅ…このシリーズでは、最後の★ライヴ講演になってしまいました…が、最終回のテーマもこれまたたまらない「ブリュッセルとマグリット」!

ブリュッセルという不思議な町と、マグリットの答えのない謎かけの迷路に足を踏みいれた感動とともに、ご報告いたします〜!

 

開演時間よりすこし早く登壇された★先生は、事前Tweetの3つの系統について話されました。


…アルプとまったくちがうようにみえるけれど、どこか共通しているともいえるリンゴや洋梨などの「果物」、

…あるもののなかに同じものが際限なくつづいてゆく「入れ子」、

…日常のなかに不意にあらわれる「マグリット風のもの」。

 

★先生のうしろのスクリーンには、冒頭のものらしき映像がぼんやり映っています。窓から外の街並を眺めるふたりの山高帽の男と宙に浮かぶふたつの山高帽。

…はて、こんな作品マグリットにあったか? ほどなく開演〜 
照明が落とされ、あらわになったのは、マグリットの作品ではなく、一昨年の秋、★先生が、王立マグリット美術館の売店で撮られた写真でした!

…ふたりの男は、ぺらぺらの立看板、宙吊りの帽子は、ランプシェード、そして、窓からの風景は、現実のブリュッセルの街並です。でも、それを知ってさえ、やはりマグリットを感じてしまう(★先生の絶妙なアングルもあるのでしょうが)〜!

 

マグリットは、ありふれたもの、ありふれた風景、ありふれた日常を、マグリット化してしまう。そして、観るものの現実をかれのへんてこな作品世界とつなげてしまう。だから、こんな感覚は、けしてブリュッセルの町にかぎったことではなく、世界のどこでも、日本でだってありえるはずです。実際、世界中にマグリットの応用、剽窃があふれている(なんと「マグリットの剽窃」展?なんてのもひらかれたそう)。

まるで生物のようにどんどん増殖してゆくマグリット〜

!

 

まずは、地図(★先生手書きのホワイトボードも)をみながら、ベルギーという国について。

驚くことに、ベルギーの公用語は、地域によって3言語! 北海、オランダと接する平地の多い北部フランデレン地方は、オランダ語(フラマン語)、フランスとの国境アルデンヌ山地を有する石炭、鉄鉱石、温泉(南東には温泉の語源になったSpaという町も)などの資源豊かな南部ワロン地方は、フランス語、さらにドイツと隣接する東部の2地域は、ドイツ語といった具合。なんでこんなことになったのか?

 

ここから歴史をみていきます。

紀元前51年の『ガリア戦記』によると、この辺りはベルガエ人(ゲルマン人?ケルト人?) の住む地域だった〜中世は、フランク王国の支配~13世紀にフランドル共同体となる(羊毛の産地だったことから、タピスリー、絨毯などの産業で豊かに) ~14世紀、ブルゴーニュ公国に組み込まれると、ブリュージュ(ブルッヘ)、ガント(ヘント)を中心に栄える~15世紀、神聖ローマ帝国・ハプスブルク家の支配下に入るとスペイン領に(この時期、ファン・エイク兄弟、ファン・デル・ウェイデン、ペトリュス・クリストゥス、メムリンク、ヒエロニムス・ボス、ブリューゲルなど、北方ルネサンスが、イタリア・ルネサンスと影響しあいながら、花ひらいてゆく)〜18世紀初頭、スペイン・パプスブルク家の断絶によりオーストリア領ネーデルラント〜フランス革命でフランスに併合〜1815年のウィーン会議でオランダとともにネーデルラント連合王国〜そして、1830年、オランダに対して独立戦争を起こし、ベルギー王国として独立!

 

う〜ん…経済的にも文化的にも豊かであったはずなのに、いつもどこかの支配下…。しかも、戦争までして独立したというのに、なぜかベルギー王国の最初の王様は、ベルギー人ではない! でも、王の呼称にすこしヒントがある…ような気もします。《Roi des Belges》「ベルギー人たちの(選んだ)王」というのだそう。「王様なんてだれでもいい、自分たちで選んだならば」という、あっけらかんとして、なおかつ、つよいプライドを感じます!

 

話題は、とうとうブリュッセル。

黒っぽく派手さのない王の家、上へ上へのびるゴシック様式の市庁舎(なんと「王の家」より大きい!) のあるグラン・プラスGrand(大きい、大切な、主要な)- Place(広場)~ 小便小僧 ~ 立派な証券取引所 ~ 石でできたアール・ヌーヴォー様式のギャルリー・サンテュベールには、お菓子屋さんがいっぱい(★写真の粉砂糖がふんだんにかかったおおきなゴーフル、クレープ、アーモンド菓子。うまそ~!) ~ ベルギー漫画センター(タンタンのエルジェもベルギーの人!) は、ヴィクトル・オルタのアール・ヌーヴォー建築 ~ サン・ミシェル・エ・ギュデュル大聖堂 ~ 中央駅 ~ マグリット美術館のあるモン・デ・ザール(Mont des Arts, 芸術の丘) ~ ちいさな裁判所 ~ がらんとした郊外の住宅地にあるマグリットの家 ~ 自然史博物館の古めかしい鉄の柱や格子の展示室には、巨大なイグアノドン。なんと30体もいる! アール・ヌーヴォー風(ちょっとやぼったい?)の螺旋階段をおりると恐竜というアナクロなミスマッチ、たまらない~!

 

ブリュッセルは、EU本部、NATO本部のおかれるヨーロッパの政治、経済の中心地。

なのに、いまはむかしの黒ずんで古びた「近代」が平然と居すわる町。しかも、オランダ語圏の北部に位置するに、市民のおよそ90%がフランス語をつかう。いよいよへんてこな感じがしてきます〜!

 

さて、そんなブリュッセルに暮らすことになるマグリットは、すこしはなれた田舎町レシーヌで生まれます。

仕立屋の父とお針子の母という普通の労働者の家庭でした。が、そんな父がマーガリン工場で一山あげ、豪華な家を建てた直後、母の溺死体が川にあがります。マグリットが教会で対面した母の遺体には白い布がかけられていました。顔がみえない! この体験は、少年におこった悲劇、と同時に、かれの好きだった本当の顔がわからない怪人ファントマス、入替え可能で誰でもあって誰でもないようなあの山高帽の男にもなんだかつながっていそうな気がします。

 

まず、大きなパイプの絵の下に「これはパイプではない(Ceci n'est pas une pipe.)」と書かれた絵画《イメージの裏切り》には、「絵画と何か?」、「言葉とは何か?」という問い、そして、「与えられた言葉」に対する抵抗がある。この抵抗が、無数の見方を可能にし、世界の見方もかえる。コマーシャル語が蔓延し、デマの跋扈する今の日本には、マグリットの「~ではない」という抵抗が必要である、と★先生。

 

次に、「マグリットの家」の室内を撮った★写真。ちいさな居間、寝室、キッチンと食堂のみの2LDK!?

かれは、その狭い食堂にイーゼルを立て、作品を制作していたそう。特徴のない庶民的な家です。ただ、いつもフロックコートに山高帽というかれには、なんだかしっくりくるような気も。作品のなかに掃いてすてるほど描かれる匿名的な山高帽の男と瓜二つのマグリットが、《乳房》で実際に掃いてすてられるありふれた住宅に住んでいる。自身の日常すらも作品の「入れ子」にしてしまう。マグリットの「入れ子」のなかの世界は、現実とつながりながら、どこまでもひろがっていきます~!

 

そして、紛い物のマントルピースから出てくる機関車、海上に浮かぶ卵型の巨大な岩山、空飛ぶへんてこオブジェ、カルカソンヌで描いたルノワール風の人物像、レトロでビシッとしたデザイン画、労働組合の社会主義リアリズム的なポスターや映画のポスター、次々とスクリーンに映しだされるかれの作品は、どんなものを描いても、どんなタッチで描いても、どこかへんで、やっぱりマグリットだから不思議です!

 

最後のスライドは、ブリュッセルと植民地コンゴ結ぶ国営航空会社として設立されたサベナ航空の広告になった《大家族》。闇夜に浮いた飛びたつ鳩のなかに青空が描かれています。これもまた「入れ子」!

 

あっ!?

ミロの寝そべるへんてこ鳥、アルプの燕=大聖堂、今回の★講演もなんと「入れ子」なっていた!うれしい〜!

個を奪われ量産される山高帽の男にならないための、「与えられた言葉」に抵抗するための鍵をみつけた気がします。

 

★先生、すばらしいライヴ講演、ありがとうございました!

 

eno

2021年

12月

10日

巖谷國士 ★ 講演「ストラスブールと彫刻家ハンス/ジャン・アルプ」(ヨーロッパの都市と美術をめぐる3回シリーズ)

 

ストラスブールと彫刻家ハンス・アルプ……今回の★先生の講演も微に入り細に入り、とても密度の濃いものでした。台本なしのライヴの講演は思わぬ展開もあって、やはりすばらしい!

ここにご報告いたします。

 

ストラスブールという都市をもつアルザスとは、まるでひとつの国のようだ。しかし今まで独立した国家になったことはない(1918年に共和国として独立宣言をしたが、わずかに11日で終わる)。国家(state)と国(country)とは別であること、国家はしょっちゅう変化するが、国(くに)とはそういうものではない、生まれ育った国を愛することはあるが、国家とはそういうものではない、とお話は始まりました。

 

まずはストラスブール大聖堂の写真が映されます。大聖堂正面に向う細い道、その左手にはアルザスの伝統的な木組みが壁に見えるコロンバージュ(ハーフティンバー)の建物(明治学院大学にもコロンバージュ建築があります!)、右手には縦長の鎧戸付きの窓のある建物。

 

堂々たる大聖堂は赤茶色い石造りで、1157年から約250年間かけ建造されました。尖塔の高さはフランスでは一番高い142メートル、奥行110メートル。この辺りは運河も多く地盤が軟弱で、そのせいもあってか、塔は向かって左側だけ。大聖堂正面に向かう道が細いこともあり、縦に細長く天高く聳える大聖堂を見上げると圧倒されます。それ以前の教会はロマネスク建築(ローマ式)で、特徴としてはアーチ形を多用する、分厚い壁、小さな窓、壁画など(イタリアや南フランスでは光が強いので大丈夫!)。

 

ゴシック様式の教会は11世紀の北フランスで建築されはじめました。天井を交差で支えるリブ・ヴォールト、屋根の重さを壁ではなく柱で支え、高く建造することが可能になったため、間に多数の大きな窓が作られるようになり、13世紀にはそれを彩る色彩豊かなステンドグラスが生まれました。代表的なゴシック聖堂は、サン・ドニ、パリのノートルダム、ボーヴェ、アミアン、ランス、ルアン、ブールジュ(ロワール川沿い)、ケルン、ウル厶(南ドイツ、世界で一番高い、160メートル位)などがあります(概ね北に行くほど高くなる)。

 

ハンス・アルプはストラスブール大聖堂にほど近い魚市場通りで1886年に生まれました。当時ストラスブールのあるアルザス地方は1871年の普仏戦争の結果、ドイツ帝国の占領下にあり(ストラスブールはシュトラスブルクと呼ばれていました)、彼もドイツ式にハンスと名付けられました(のちにフランス式にジャンと名のる)。ドイツ人の父とアルザス人の母、地域の多様な文化の影響の元、幼年時代を過ごし、ドイツ語・フランス語・アルザス語を操るトリリンガルでした。アルザス地方は第一次大戦後、1919年にはフランス領に(アルプは1926年にはフランス国籍を取得)、1940年にはナチスがまたドイツ領としましたが、1944年以降はフランスに属します。

 

フランスとストラスブールの地図を見ながら……。フランスは日本の約1.5倍の面積をもち、ヨーロッパではロシア、ウクライナに次ぎ3番目の大きさ(海外領土も含む…マルティニーク、ポリネシア、グアドループ、ギアナ、レユニオン島など)。ストラスブールのあるアルザス地方はフランスの北東部にあり、東のライン川と西のヴォージュ山地に挟まれた平原地帯です。スイスと、ライン川(フランス語でラン川)沿いにドイツと、国境で接しています。スイス-アルプスから始まり、ドイツ・フランス国境線、ドイツ、そしてオランダから北海へと注ぐライン川、古来、その水運の中心地としてストラスブールは栄え、渡ってくる多様な文化の影響を受けてきました(縦に貫く勇壮な文化)。また、ストラスブールの語源シュトラスブルグは「道(シュトラス)の町(ブルグ)」という意味で、古くからの交通の要衝であったのを物語っています。

 

アルザス地方にはバ=ラン県(中心ストラスブール)とオ=ラン県(中心コルマール)がありますが(今の地方区分ではグランテスト地域圏)、鉄や石炭が豊富に産出されるため、ドイツもフランスも領有権が欲しく、何世紀にもわたり両国に代わる代わる統治されてきた歴史があります。アルザス地方の面積は8280平方キロメートルで、東京都・神奈川県・埼玉県を合わせた面積とほぼ同じです。

 

アルザス地方には元々ガリア人(ケルト人)が定住していました。民族的に見ればフランク族ではない人々。紀元前57年にはカエサル率いるローマ軍が侵攻し(『ガリア戦記』)、以降ローマ人も住むようになります(ライン川まで、その北はゲルマン人)。8世紀にはシャルルマーニュ(カール大帝)がフランク族の王、またローマ皇帝にもなり、フランク王国は広大な領域を支配するようになります(ベルギー、オランダ、オーストリア、ドイツの一部、スイス、北イタリアなど)。広大な領土を縦に3分割して相続領有することになった、孫にあたるロテーヌ(中フランク王国/ライン川西側、アルザスなど一部フランス、ベルギー、北イタリアなど)、ルイ(西フランク王国/その西、大部分のフランス)、シャルル(東フランク王国/ライン川東、大部分のドイツ)。分割をめぐって争いが生じ、長兄ロテーヌに対抗するためルイとシャルルは協力して、842年に「ストラスブール宣誓」を出します。これはフランク族の2つの言葉(フランス語とドイツ語)で書かれていて、フランス語の最古の文書だと言われています。843年にはヴェルダン条約が3人の間で交わされ、アルザスは中フランク王国に帰属することとなります。962年にはオットー1世が神聖ローマ帝国の皇帝となります。神聖ローマ帝国はひとつの民族のひとつの国ではなく、各地でその領主が国を治めましたが、やがて都市が発達、教会や領主からも自由な自由都市群が生まれ、自立してゆきます。アルザスもアルザス語を話す定住アレマン人がアルザス人となり、自由都市として発展してゆきます。

 

スライド写真を見ながらストラスブール大聖堂を詳細に見ていきます。外側は全体に縦に細長く高いという印象、西側正面(西は死者たちの国)のファサードや壁の繊細で美しいレース編みのような彫刻、バラ窓、窓の複雑な格子、ヴォージュ山地の赤い砂岩で造られた聖堂は、夕暮れには渋いピンク色に染まるそう。

 

つづいて内側から見るバラ窓。ステンドグラス。その光の色彩は聖堂によって印象が違う、と★先生。例えばシャルトルはブルー、パリのサント・シャペルは赤、ノートルダムは紫。ストラスブールは黄からオレンジで、太陽や黄金を連想させる。薄暗い内に入ると高さのある空間に柱や壁、窓の縦の線が上に伸びていてまるで樹々のようです。交差する線は枝の重なりのようで、森の中にいる感じになります。

 

森への信仰。ガリア人(ケルト人)の世界観を思わせます。彼等は神殿を持たず、森に聖なるものを感じていました。クリスマスツリー(ストラスブール発祥?)も木への信仰であり、同じように木を信仰する沖縄も連想されます。神々は森に居る、という感覚はゴシックにも通ずるもので、ゴシックとは元来「ゴート人の、ゴート的な」を意味する言葉、「野生」に近いとされていました。これは荒野で生まれたキリスト教、ローマ的、文明と対立するものです。

 

ここで、バロセロナも西からゴート人が入って来て、初めはゴート人の国だった、との指摘も。聖堂はまさに薄暗い野生の森の世界です。ゲーテは「石の建物の感じがしない。これは森だ」と言い、★先生も同じように植物の森の世界を感じたそうです。そして天文時計! 高さ18メートルはざっと4、5階建ての建物に相当します。彫刻、文字盤、毎日12時半から廻りだす自動人形たち、その13番目は骸骨頭の死者の像。子供の自動人形のカネを叩く音が森の鼓動のように響く。生きている森のような大聖堂。さて、アルプはどう感じていたのでしょうか。

 

アルプは詩の中でストラスブール大聖堂は燕だ、と記しました(一般にはストラスブールを象徴するのはコウノトリとされています)。生物、鳥として捉えたのです(「あなたは誰?」1904年、「大聖堂は心臓だ」1961年、共に高橋順子訳)。また、「Baggare de fruits 果実たちの大騒ぎ(果物たちの闘い)」(瀧口修造訳)には「四輪馬車の中で/死の頭蓋骨は何といふ格好であらう」という天文時計の骸骨を想起させる言葉があります。


1939年に第二次世界大戦勃発、この年に書かれたアルプのこの詩を瀧口修造は1940年に訳しています。まさに戦争の始まる重苦しい空気の中で、2人の詩人は共鳴します。戦火を避けるためヨーロッパ各地を転々とするアルプ。一方日本でも威圧的で不穏な空気のなか、瀧口修造も特高の監視下に置かれていて、翻訳にもできるだけ刺激的な言葉を使用しない工夫をしているのがみてとれる、と★先生。瀧口修造は、1941年春から同年末の真珠湾攻撃の直前まで7か月間も投獄されます。芸術の自由を追求したために……この閉塞した空気感は現在の日本にも通ずるのではないか……。そして、日本が真珠湾を攻撃し、時代は太平洋戦争へと突入してゆきます。

 

故郷が2つの国に翻弄されつづけたアルプ。美術を学ぶが、伝統的写実方法に失望し、新しい表現を模索し、ヨーロッパ各地を渡り歩きます。ドイツではヴァイマル、ケルン、ミュンヘン。チューリッヒで未来の妻となるゾフィー・トイバーに出会い、2人でダダ運動に参加します。

 

ゾフィーはテキスタイルデザイナーであり、画家、彫刻家、ダンサーでもありました。アルプにとってゾフィーはミューズというより、対等な同志といった関係で、やがてふたりは共同でも作品を作りました。

 

1926年、パリでシュルレアリスム運動に加わり、世界からやってきたシュルレアリスト達と交友し、影響を受けます。アルプ作品のシュルレアリスムとの共通点は「オブジェ」「オートマティスム」「偶然の法則」「ビオモルフィック」であり、そこはミロとも共通しています。

 

ビオモルフィックとは生命を持った形態という意味で具体的なもの。抽象ではない。抽象とは元々概念があってそれに形を与えたり、記号に置き換えたもの。抽象の反対が具体で、アルプは具体芸術(l’art  concret)を提唱します。1944年まさに第二次大戦真っ只中にアルプが書いた「具体芸術」という文章が紹介されましたが、もうすばらしいのでそのまま引用します。

 

「私たちは自然を模造したいとは思わない。

 私たちは再現したいのではなく、産みだしたい。

 木が果実を産むように産みだすことをのぞみ、再現することをのぞまない。

 この芸術のなかには抽象のかけらもないのだから、

 私たちはこれを具体芸術と名づける。

 具体芸術の作品にはもう作者の署名を必要としないだろう。

 これらの絵、これらの彫刻…これらのオブジェ…は、自然という大きなアトリエのなかで、雲、山、海、動物、人間がそうであるように、匿名であるべきだろう。

 そう! 人間は自然のなかにもどるべきなのだ。

 アーティストたちは、中世の芸術家たちがそうであったように、共同で仕事をすべきだろう。」(高橋順子訳)

 

大聖堂、アルザスの豊かな自然、ヴォージュ山地の岩のある自然から、アルプは学び、産みだすことをのぞんだのです。

 

★先生の実際に遭遇したエピソードから。

ある時ある人から「作者の内面がよく表れている」「この作品の意味は?」と尋ねられた★先生。何ということか! 作品とは主体や主観の外にあるもの(objet)であって、「人間の内面なんていうケチなものじゃない!」と(名言!)。作品の「作者はいない」「作者は匿名」とは、アルプの「匿名であるべきだろう」に通ずる言葉でしょう。「人間の本質的な営みを芸術はやる」のだと★先生。無名の人たちの寄進によって250年かけ建てられたストラスブール大聖堂のことも思い出されます。

 

1943年にゾフィー・トイバーはチューリッヒでストーブの一酸化炭素中毒で事故死します。この時パリはナチスが占領中。アルプは悲嘆で動けず、以後4年間修道院に籠もり、作品は作らず、文章を黙々と書いていました。「具体芸術」はアルプ58歳、ゾフィーの死の翌年に書かれたのでした。

 

すっかり長くなってしまったので、後半のスライド写真についてはざっと書きます。

 

ストラスブールの旧家、三角形の家(切妻屋根)、皮なめし職人のかわいい窓の家、鰐の看板のレストラン〜レストラン・ド・クロコディール(鰐という驚異!シュークルートが甘くて旨い、フォアグラ産地、世界最高の白ワイン産地)、アルザス焼きという陶器鍋(シュークルートはこれで煮る)、アルザスのお菓子の型(クグロフ用、お菓子も旨い、ピエール・エルメ、メゾン・ド・カイザー)、絵本(トミー・アンゲラーとか。ギュスターヴ・ドレもストラスブール出身)、旧市街のプティット・フランスの有名な家と運河(rue  des bain-aux-plantesという名前の通りがある、など → アルザス地方及び周辺は水、山、川、温泉が多い。コントレックス、ヴィッテルなどの水)、バラージュ・ヴォーバン(Barrage Vauban/ヴォーバンの建造した堰)から望む運河とボン−クヴェール(覆われた橋、もと屋根のあった橋)の風景、現代美術館、

 

ここからアルプ作品→アルプ自画像(11歳)、自画像(79歳)、テキスタイル(ゾフィーと共作)、容れ物(同上)、タピスリー「魔術師」と「魔女」(同上)、「オブジェ記号」(シュヴィッタースと共作→記号を言語のように使う)、「オブジェ記号/唇」(同上)、「オブジェ記号/ルーン文字」(同上)、「オブジェ記号/植物のシンメトリー」(同上)、ここからは彫刻作品→「鳥の骨格」(1947年作。ゾフィー亡き後の4年間を修道院で過ごしたアルプは、長年の友人であり後に再婚相手となるマルゲリーテ・ハーゲンバッハの支援のもと、制作を再開。この作品もその当時のもの)、「グノー」(地の精霊、軽やか大理石、アルプの木の実みたい)、「植物的建築」(レリーフ、大聖堂と通ずる)、「3つのつぼみ」赤い!、「果物の芯」、「三美神」ジェラルミン製、「ROSE EATER(薔薇喰い)」木の実みたい、「偶像」、「デメテール」、ストラスブールのユーロトラ厶、ユーロ本部(一部本部はブリュッセル、事務局はルクセンブルク)

 

ストラスブールは西→東、北→南、とアール・ヌーヴォーが伝播してゆく道の交差する点でした。バロセロナやブリュッセルともアール・ヌーヴォーで繋がっていたのですね!

 

また、ヨーロッパの文化・歴史の交差するストラスブールの町は現在の欧州議会(ユーロ)にとっても中心を担う重要な都市なのです。

 

最後に、講演の後で聞いたお話。まだ戦後の匂いが残る1954年のヴェネツィア・ビエンナーレ、ハンス・アルプは彫刻賞を取りました。大賞はマックス・エルンスト、絵画賞はジョアン・ミロ。それからはおそらく世間でも広く認知されるようになったのでしょうね。なんだか嬉しくなりました。

 

巖谷先生、ありがとうございました!

 

mk

2021年

12月

03日

巖谷國士 ★ 講演「バルセロナと画家ジョアン・ミロ」(ヨーロッパの都市と美術をめぐる3回シリーズ)

巖谷國士先生の講演って、いったいいつぶりだったかしら……?

コロナ禍のなか、相次ぐ中止の報に落胆しながらも、私たちはじっと(約2年ぶりの)★先生講演を待っていました〜!

 

前回(2019年11月の3週にわたり開催)は、横綱級といえる世界の3都市(パリ、ヴェネツィア、プラハ→ 「みんなのblogs」 参照)をへめぐる圧倒的・魅力的な連続講演でした。

 

そして今回(2021年12月の3週にわたり開催)は、★先生がかつて何度となく旅した町を、その町を代表する芸術家たちの作品や、人々の生活を映した写真でつなぎ、風土と自然と歴史を解説しながら、町のもつ人格までも、明らかにしていく〜というもの。

その第1回を飾るのが「バルセロナと画家ジョアン・ミロ」でした。

 

バルセロナを語りだすのに、最初に★先生が示されたのは、画家ジョアン・ミロ(カタルーニャ語原音)が描いた、FCバルセロナ サッカークラブの創設75年を祝うポスターです。もう、あのミロ特有の「へんてこ」なものたちが、あちこちに浮遊しています。

 

守護聖人ジョルディとアラゴンの4本縞を象徴するチーム旗をお腹に抱え、星型の脚をほうりだして(シエスタ中?)寝そべるポーズの鳥と、下部には目のある涙型のしずくがふたつ……まだフランコの独裁政権下にあり、スペインからは国外追放を命じられたままのミロが、自由をあらわす鳥にBarçaを重ね、不屈の故郷カタルーニャの、誇り高き(més que un club)サッカークラブを応援しているのです!

 

なんだかこのポスターひとつとっても、★先生がバルセロナの町を語るのに、すでにたくさんのことを暗示・内包させているようです!

 

そう、サッカーにおいて、FCバルセロナとレアルマドリードが世界最大級のライヴァルであるように、カタルーニャの独立運動は、チーム創設の1899年からもずっと、政治的にスペイン王政からの独立を掲げるものでした。ミロのポスター(1974年)にも、当時の、バルサローナ市民たちの自由と反抗の精神があらわれているのです。

 

バルセロナの町は、もともと地中海の覇権争いに、壮絶なしのぎを削っていた、カルタゴの名家バルカ(Barca/雷や雷光の意もあるとか)家の領土でもありました。紀元前3世紀からローマと向こうを張り、ポエニ戦争を戦った父ハミルカルとその息子ハンニバル……彼らバルカ親子は、陸地にわずかしか領土をもたない海の/東の民フェニキア(ポエニ/プニコ)のプライドと、その威力(戦象!によるアルプス越え)とを見せつけながら、地中海周辺域とイベリア半島を掌握し、紀元前までに地中海に形成されてきたギリシャ-ローマ世界に、真っ向立ちむかう、偉大な畏敬すべき強敵として、その名を世界史上に刻んだのでした。

 

(★先生がフェニキア推し、ハンニバル推しなのは、★ぜみのみなさんならご存知のとおり……私にも、超絶イケメンに描かれたハンニバルの漫画をおススメくださったこともある!)

 

やがて、ローマ植民市(Barcino、バルキノ)が建設され都市計画は進み、さらに5世紀、西ゴート族の王都となって、いまも残るゴシック地区が形成されます。8世紀にはイスラム勢力のウマイヤ朝に征服されますが、12世紀にはレコンキスタがおこり、アラゴン王国のイベリア半島におけるキリスト教世界奪回のはじまりの町となる……など、今日のバルセロナの町にはさまざまな歴史と文化の重なりを見ることができるのです。

 

19世紀末の芸術潮流でもあったアール・ヌーヴォーは、ここバルセロナにおいても、モデルニスモとして発展しました。Eixambre地区は碁盤の目のように拡がる新市街……そこにガウディやモンタネール(ムンタネーとも)らが、息を呑むような、新発想の建築物を次々に建てることになります(→ 配布された資料を参照)。

 

ちょっとだけ、ここに書き連ねてみましょうか。

 

…カタルーニャ音楽堂〜アマトリェール邸〜バトリョ邸〜ミラ邸〜サグラダ・ファミリア〜サン・パウ病院〜グエル公園〜その先にはティビダボ山!

 

…旧市街のゴシック地区からのびる大通りはランブラス〜時計職人だった父の工房と少年ミロが生まれ育ったところ〜レイアル広場に通じる迷路のようなバリオ・ゴティコ〜カテドラルの前でくりひろげられるサルダーナ(群衆舞踊)のロンド〜グエル邸〜コロンブスの塔〜その先は地中海!

 

あゝ、この町は山と海と自然とがつながっている……そしてその自然を臨む環境整備のためにつくられる建築物や公共物(広場や通り)、美術や食べ物や人々の営みと行動までもがビオモルフィック!だ〜ということを、解き明かしてみせる★先生。


つづいて、ミロの、若いころから晩年までの自画像を示し、画家が通じて自身の姿を「線」であらわしたことを指摘します。晩年には日本の書にも興味を抱いたミローー 彼は、マッスで事物をとらえる(ルネサンスもそう。いわゆるヨーロッパ絵画全般にいえる)ギリシャ-ローマ式の描法をとらず、生まれた土地の、ヨーロッパ文明そのものに反抗するような人格をもつバルサローナの、自然に対応する「色」と、自然から発生する「ビオモルフィックな形態」ばかりを表現しつづけた、それらはまるで自由で、シュルレアリスティックで、カタルーニャ・バルサローナ人の心意気ともいえるような、反抗の精神のあらわれである……とも。

 

(★先生はそれを総称して「へんてこ」とか「かわいいへんなひとたち」と呼びますね)

 

1979年、★先生がフランスを出て、はじめて汽車で地中海沿いに国境を越え、訪れた町が初夏のバルセロナだった……と語ります。車中での出来事、車室で隣りあわせた男性の、バルセロナへ帰るところの医師との会話では、「カタルーニャ人のつくりあげたカタルーニャ人の町」とか「自由への思い」といった言葉にならない感情、身ぶり手ぶりが、ふたりの間に交わされたことも。

 

地中海の自然のエネルギーに満ちあふれたミロの絵画は、自由をもとめ、自律的反抗をくりかえすカタルーニャ人の町バルセロナに、よく似あいます。そこかしこに置かれたミロの彫刻も、まるで市民の隣人たちのように、この町では、へんな人、へんてこな形であるほど、ごく自然に受け入れられてしまうのかもしれません。

 

どうしてミロはあゝした作品をのこしたのか……★先生のライヴ講演を聴いて、ようやく腑におちた/納得された方も多いでしょう。私などは2年ぶりの興奮と感動を味わっているところです!

 

次回2回目の★講演は「ストラスブールと彫刻家ハンス・アルプ」です。次はどんな目から鱗〜な感動を味わうことができるでしょう〜本当に楽しみです!


★先生、すばらしい講演を、今日もありがとうございました。

 

trois

2020年

1月

12日

巖谷國士★講義 第7回「新★ぜみ」の報告

2020年の1月に第7回を数えた「新★ぜみ」ーー世界をながめれば、じつに不穏で窮屈で、明日なにが起きるか、どこでどうしているか……地球規模でひろがる大きな不安が、私たちの未来を覆い隠しているなか、★先生は「あえて『希望』について語ろうと思う」と、いつもおっしゃるように、今回も即興で、訳書『ナジャ』をひもときながら講義をはじめてくださいました。

 

アンドレ・ブルトンの著した『ナジャ』、その人は、いまでは本名(レオナ・ジスレーヌ)も出身(フランス北部の都市リール)も詳しく知られているものの、当時ブルトンが彼女に出くわしたときは、いかにも謎めいた、素性の知れない「未知の女」であり、ただし、向こうばかりは、「もっと前から、私を見てい」て、「事情はわかっているというような微笑」を浮かべ、みずから選んだ名前を、「ナジャ。なぜって、ロシア語で希望という言葉のはじまりだから、はじまりだけだから。」と、ブルトンに伝えたーーと、★先生は「ナジャ=希望のはじまり」という一言だけをミステリアスに暗示して、そのあと、ブルトンが(『ナジャ』のなかで)あてもなくパリの北駅周辺を歩き、出くわす光景をそのまま描写しているのと同じように、★先生の、日毎(de jour en jour)の描写でもある★twitter を見てみましょうかと、私たちを誘うのでした。


→ ロシア語で「希望」は、надежда / nadéžda / ナディエージダ、そのはじまりをとって、ナジャNadja!

 

12/15までさかのぼり、年をまたぎ、★ぜみの日までの、日毎挿しこまれる★写真と★tweet(=投稿された短文、tweetの原義は「つぶやき」ではなく「さえずり」)を追いかけはじめると、日々の出来事につながりはないはずなのに、一連の「journal=日記」となったそこここには、いまの世相(社会的状況)にも応用される(ときには立ち向かうための)、不思議な連環と類推と通底、暗示と予言とヒントが立ち現われてきて、★先生の日常が、まるで小説『ナジャ』を読んでいるかのように、起伏に富んだ、偶然の一致と昂奮と高揚にみちみちたものに思えてくるのです。

 

でもそれは「日々の生活の営み」だと、★先生は言うのですけれど……(私には、これが「超現実=真の人生」なんだと思えてしまう……皆さん、ナジャとの出会いのページだけでもまずは読んでみて! たくさんの言葉に、ひらめきや発見があると気づくはずです)。

trois

 

以下、第7回「新★ぜみ」の報告に代えて、okjによる講義の「概略」と、あわせて参加者からの「感想」を一部、匿名にてご紹介させていただきます。

 

***

 

【概略】

 

今日のぜみでは、『ナジャ』についての続編を希望する私たちに★先生が応じてくださいました。

 

ナジャ自身が自らその名前について「希望のはじまり」だというように、★先生にとってはこの本が希望のはじまりだとおっしゃいます。絶望的な現在の日本においても。


「私は誰か」と問うことが、問うている自分と問われている自分の2つに分かれ、誰とつきあっているのか、誰につきまとうのか、私は何をするのか、と人生の過程となっていく。偶然の連続と発見で作られていく人生ーー。

 

★先生自身の、二十歳のときの瀧口さんや澁澤さんとの出会いや、『ナジャ』そのものとの出会い、教授となってから出会う学生との人間関係から作られていく授業も、生きている人生のひとコマひとコマが、イメージの類推で通底していたり、伏線があらわになったり。「言葉」を口にしたり書いたりすることで、生きていることを示し、真に「思う」ことになるのだと。

 

その過程は意図せずとも、★先生のTwitterに読みとくことができます。アンナ・カリーナの死に見る 《Vivre sa vie》(→「気ままに暮らす」「自活する・生活費を稼ぐ」とも訳せる)の主人公ナナ(→自分で生きてゆこう、自由に生きてゆく)とナジャとの共通点、★先生とフランス映画社(川喜田和子と柴田駿)とアンゲロプロス、ポーラ美術館「シュルレアリスムと絵画」展からはエルンストとブルトンの「野生の目」について、また同美術館蔵の古代中国陶磁~20世紀の香水瓶~古代ギリシアやデルヴォーにも繋がっていく。国家による犯罪や記憶の抹消も、女性、室蘭、戦時下、選挙も、次々明らかになっていく。★先生の見せてくださるイランの誇り高き姿までも(詳細は★先生のTwitterをご覧ください)。

 

今回、★先生は『ナジャ』の中から、労働とは何かを、明らかにしてくださいました。ブルトンとナジャが、出会いのときから議論する「労働」。ある種の労働~産業革命によって人間を機械の部品のようにして疎外するもの~は反抗すべきものとして。さらに踏みこんでラファルグの『怠ける権利』についても解説してくださったのには、思わず会場からも感嘆の声があがりました。それは、ナジャの自由を求めて、ある種の労働を拒む姿のすばらしさとともに……。


ここで時間が来てしまいましたが、これまた続編希望必至でしょう!

 

★先生に希望を吹きこまれ、興奮も覚めやらぬまま、喜寿のお祝い夕食会へ。★先生にいわゆる「喜寿」のイメージはあてはまりませんが、とにかくめでたいものはめでたくて、このために全国から集まったさまざまな人々の熱量で、とても楽しくすばらしい会となりました。本当にありがとうございました!

 

***

 

ここからは、参加者よりお寄せいただきました「感想」を一部ご紹介します。

 

【感想】

 

◎今回も巖谷國士先生の言葉の広がり、連続性に引き込まれた。先生の話はいつもそうだが、聞いていると時間のたつのを忘れる。時の流れに身を委ねつつ「不動」の何かを探す試み。今回はなかでも労働に従属しない生き方が「希望のはじまり」という「ナジャ」の読みの明解さに感動!

 

◎「僕のツイッターも偶然で繋がっている。『ナジャ』を読むのと変わらない」

この言葉の意味がじわじわとわかってくる。なぜこの年頭にこのテーマなのかも。

 

◎「ナジャとは何か」 その奥深さ。なんと含蓄に豊んでいることか。そして充実した内容でした。

先生の毎日のツイッター…日々冷静にこの世を見つめ、考え、過ごさねばならないと、改めて考えさせられています。『ナジャ』を前回のぜみのあとにもう一度読み返す。ナジャは希望。先生に出会えて、ナジャに出会えて、ナジャとは何か……自分なりにこれからも取り組んでゆきたく……また『ナジャ』を読む★ゼミが重ねてありますように!!

 

◎大学時代に一瞬にして呼び戻され、魂が打ち震えました!

恐しい時代の日本のただ中にいることを痛感しました。が、いま思うことを言い、書いていきたいです。

「生きる事は偶然」「予定通りに生きない」染みました。先生のお変わりないこと! 次回も参加します。

 

◎新年ということにそこまで大きな意味を見いだす必要はないかもしれませんが、「ナジャがロシア語で希望の始まり」という言葉は、いつ聞いても泣きそうになります。

昨年は身も心も、なんだかとても辛いことが多かったのですが、この言葉をまた自分でも繰り返し、世界で起きていること、日々感じていることを、もっと密接に関わっていきたいと感じました。

 

◎予定を決めたり、計画をしながら生活していると思っていた毎日に、たくさんの偶然があることに気づきました。学生のころは日本にいるのがイヤだなと感じることが多かったのに、今は、何も感じない自分にびっくりします。久しぶりに先生にお会いしてフランス人になる野望を思い出したので、パリに行ける日が来るのを楽しみに、子育て頑張ろうと思える時間でした。

 

◎野生の目

Twitterから つながる すべてつながっている感覚!!!

労働からはなれる 生きること 反応すること 言うこと

2019年

12月

15日

巖谷國士★講演「シュルレアリスムと『超現実主義』」@ 箱根, ポーラ美術館


12月15日におこなわれた、箱根のポーラ美術館での先生の「シュルレアリスムと『超現実主義』」の講演に参加しました。会期の長い展覧会ですので、行かれる予定の方にちょっとでも参考になればと、遅くなりましたが、ざっと報告をさせていただきます。

今回の展覧会は『シュルレアリスムと絵画』と題されていますが、これは1928年に刊行されたアンドレ・ブルトンの同名の書物から引用されたものだそうです。なぜこの本の題名が「シュルレアリスム〈と〉絵画」なのか、「シュルレアリスム〈の〉絵画」ではないのかーーといえば、シュルレアリスムはもともと、例えばキュビス(立体派)や印象派のような、美術の様式でも流派でもなかったからです。


シュルレアリスムは、一般に、専門的に分けて考えられる文学、絵画、写真、映画、哲学、政治、等々の枠を越えて捉えていくような、ものの見方、知り方、人間の生き方についての新しい思想でした。スタイルの共通性よりも、あらゆる境界を設けずに多様性と自由とを重んじることが、その特徴だったのです。

1918年、ヨーロッパをはじめ世界の多くの国を巻き込み繰り広げられた第一次世界大戦が終わりました。戦前までのヨーロッパでは、科学万能主義、キリスト教中心主義、人種差別に裏打ちされた植民地帝国主義のもと、人々は合理主義に基づく西欧近代文明を謳歌していました。その帰結としての大戦だったということ。


まだ20代だった来るべきシュルレアリスムの中心人物たちーーブルトン、アラゴン、エルンスト、エリュアールなどは、実際に戦場で大惨劇を体験し、その破綻した世界を目の当たりにし、戦争の現実に、これを支えてきた理性への疑いを抱くようになりました。秩序復帰、復興の声があがるなかで、ある種の若者たちは新しい動きを求めていたーーそれがシュルレアリスムの萌芽になっていったといえるでしょう。

同時代の新しい学問もシュルレアリストたちに影響を与えました。フロイトの無意識の発見(無意識状態というものがあるという発見→意識と無意識は対立するものではなく連続するもの)や夢の再評価(夢のような思考→夢と現実は連続するもの)。人類学の展開(人類のはじまりはひとつ→文明と野生は対立するものではなく連続するもの)。アインシュタインの相対性理論(宇宙そのもののでき方の発見→何かと何かの関連でしか物は存在しない)。

終戦の翌1919年には、理性的な思考から抜け出ようと、何も考えずに書くオートマティスム(自動記述)が、ブルトンとスーポーによって、はじめて試みられます。一体、物を考えるとはどういうことだろう。思考とは言語で考えるものだと思われているが、その思考にも、言語で捉えきれないものがあるのではないか。もっと深い場所からの干渉をうけているのではないか。実際に実験で書かれたものも、意想外の言葉同士の結びつきが連続し、不思議な美しい文章になっていました。

 

1924年に『シュルレアリスム宣言』が刊行され、このときがシュルレアリスムの誕生と言われていますが、1919年の試みこそがシュルレアリスムの誕生のときとも言えるでしょう、と★先生。

さて、『シュルレアリスムと絵画』では、絵画をシュルレアリスムという捉え方で見るとどうか、という、見る側からの美術論になっています(その唸るような文体、読んでいるとブルトン自身が次第に高揚していくのがわかり、翻訳しているのは快楽だったと、当時の★先生の秘密? を明かしてくださいました)。

 

冒頭で少し絵画について論じられていますが、概ね個別の画家や作品へのオマージュに多くのページがさかれています。冒頭に「目は野生の(sauvage)状態で存在する」とあります。学校等での教育により「目」はつねに文明的に、画一的に「見せられて」います。そこでは、同調することが求められます。事実、子供たちの描く絵は写実ではなく、野生に近く、残された古代人たちの絵によく似ています。人類の歴史が約20万年だとすると、一万年前あたりで物の見方が変わっていくのがみてとれます。我々は真の現実を見ていないのではないか、現実の見方を元に戻したい、思い込まされている現実ではなく、真の、本当の現実を見ていこうとブルトンは提唱します。

ところで、政治も現実である、現在の日本の隠蔽や改竄が横行している政治についても、思い込まされ「見せられた」ように見るのではなく、真の、本当の現実を、見ていくことが大切、と★先生。思わず聴いているこちらにも力が入ります。

『シュルレアリスムと絵画』は、刊行された2年後の1930年に、瀧口修造による翻訳で『超現実主義と絵画』と題され、日本でも出版されました(シュルレアリスムという言葉はアポリネールの造語から借用されたもの)。
シュルレアリスムは超現実主義と訳されましたが、他にも超写実主義とか超実在主義、シュール・リアリズム、などとも言われていました。しかし、当初のシュルレアリスムは、それまでの日本の社会状況のせいもあり、現実離れした、夢の世界のように変容されて捉えられてしまいました。それは、夢と現実とを区別せず、夢と現実とが連続するところに「超現実」を見ていた本来のシュルレアリスムとは全く違うものでした。略語のような「シュール」も、現実離れしたもの、何だかわからないモヤモヤしたもの、幻想的なもの、を示しているようで、これも本来のシュルレアリスムとは大きくかけ離れています。

翻訳された「超現実主義」という言葉の意味をはき違えた、という問題もあったようですが、「シュルレアリスム」とは、「シュル・レアリスム」というよりは「シュル・レアル・イスム」と区切って読まれるべきで、平たく日本語に訳すなら「自動的に人間がある状態」という意味に捉えるのが正しいのではないか、と★先生。「超」は超うれしい! や超スピードのように「強度」を表しているのであって、それはけっして「非」現実、ではない、と説明してくださいました。

最後に展示されている絵画について『シュルレアリスムと絵画』の本方式で絵画について、画家について、お話してくださいました。今回の展示では、海外の女性シュルレアリストの作品がなかったことが残念だったけれど、岡上淑子と野中ユリの作品が初めて一緒に展示された展覧会であったこともとても素晴らしかった、と。

もう、いつもにも増して濃密な講演で、講演を聴いた直後には頭パンパンで湯気がもうもう立ってきそうでした。個別の画家についてのお話もとても面白かったのですが、書ききれません、すみません。

 

カタログの★先生の文章「シュルレアリスムと絵画」もコンパクトでとても分かりやすく素晴らしかったです。

mk

2019年

11月

22日

巖谷國士★講義 PC 第3回「プラハについて」

 

 3都市をめぐる講義のなかでも、★先生がいちばん語りたかった都市、それは「プラハ」という町だった……と、まるでオデュッセイアがそれまでの冒険譚を語りだすように、★先生もまた、旅の記憶、そこで出会った人格をもつ町の記憶を、静かに、情熱的に、語ってくださいました。

 

 まず私たちが知るところのプラハの断片から……。

 数年前、東京・六本木で公開されたミュシャ(チェコではムハと呼ぶ)の堂々たる「スラブ叙事詩」の一連の歴史画にはじまり、ボヘミアグラスに代表されるガラス芸術、音楽ではスメタナやドヴォルザーク(チェコではドヴォジャークとも)、ヤナーチェクやモーツァルト、文学においてはカフカやチャペック、映画もカレル・ゼマンやトルンカらの人形アニメーションがあって、なにより20世紀前衛芸術においてはトワイヤン、シュティルスキー、シュヴァンクマイエルといったシュルレアリスムの巨匠たちが居ならぶという……チェコ・プラハ、その背景となるボヘミアとモラビア、スラブ民族全体の文化的存在感の、その圧倒的な広大さと深遠さに、私たちは気づかされます。

 

 スラブ系といえば、中欧・東欧、ロシアにまで分布する民族の大きな諸集団ですが、古代ローマ帝国の東西分裂以後、歴史のなかでつぎつぎおこる周辺の列強に翻弄されながらも、彼らがスラブの言語・言葉に共通のアイデンティティを見いだして、口伝えに、伝説や物語や教訓をのこし、人形劇や舞踊や音楽や絵画を共有することで、みずからの誇る文化の断絶を拒むことができた……そうしたスラブ諸民族の「共通の場所、あるいは故郷」として★先生は「プラハ」を挙げ、ヴルタヴァ(モルダウ)河に架かるカレル橋と、そこから見上げるフラッチャヌイの丘、プラハ城の全景を、社会主義時代に訪れたときの写真と近年に撮った写真とをさまざまに並置しながら、町に伝わるひとつの象徴的な伝説を教えてくださいました。

 

 7世紀、リプシェという美しく聡明な、先を見通すことのできる女王がいて、その女王が森の奥深くで木を苅っていた屈強な男を婿に迎えいれるとき、その木材で誰もが入ってこられるような大きな城をあの丘のてっぺんに建て、ここをプラハ(プラーフ=城の敷居の意につうじる)と呼ぶだろう、と予言したのでした。また彼女は(ばかな)貴族たちのもとめに応じて男性の王を戴く国とするために、みずからは王妃になり下がるが、はたしてそれで「自由」を手ばなすことになってもいいのか? と市民たちに問いかけたのだ……とも。

 

 リプシェの問いかけは谺のように人々のあいだに染みこんでいたにちがいなく、その後ボヘミア王国のカレル1世が神聖ローマ帝国のカール4世となり、首都をプラハとしたときも、プラハの市民たちはプライドをもって、ローマやコンスタンティノープルにもおとらない「黄金のプラハ」と呼ばれる一時代(14〜16世紀)を築きました。カトリックの守護聖人たちのならぶ壮麗なカレル橋をつくったのも、中欧最古のカレル大学をつくったのも、占星術と錬金術を駆使して、宇宙時計や魔法の都をつくったのも、リプシェの声がつねに響いていたからでしょう。その声を身近に聞いていたルドルフ2世もまた、プラハに世界中の驚異を集め、不思議の館(ヴンダーカマー)をプラハ城につくりあげましたが、最大の宗教戦争といわれる三十年戦争でスウェーデンの侵攻をうけ、プラハの威容は弱まり、やがて神聖ローマ帝国の一部にくみこまれて、ドイツ人による支配下に身をおくようになりました。その「暗黒の時代」は第一次大戦後までつづいたといいます。

 

 第一次大戦後にチェコスロヴァキアは解放され、その首都プラハは大戦間の20年(1918〜38年)のあいだにふたたび女王リプシェの声をとりもどし、生命を吹きこまれました。

 中世、近世、アール・ヌーヴォー建築のただなかにキュビスム建築を調和させ、当時のヨーロッパを席巻していた20世紀前衛芸術を積極的に受容して、そのメッカとなって復活したプラハは、1935年に訪問したブルトンとエリュアールに「魔術的都市」と形容されたほどでした。

 

 だがしかし、その後の第二次大戦下では、ファシズムの包囲とヒトラーの占領をうけ、町は無人の博物館と化し、やがて戦後はソヴィエトに近づいて社会主義の国へと変容してゆきます。そうしたなかで、1968年にはプラハの春で改革運動がおこり、1986年にもビロード革命でプラハのヴァーツラフ広場には80万人もの人々が民主化をもとめて参集し、血を流すことなく全体主義にかたむく政権と闘ったのでした……。

     

 こうして町が変遷してゆくさまを聞いたあと、ふりかえって私たちがその姿を仰ぎみたとき、なんだか時空もないまぜになり、ただただプラハという町の魔術的な美しさに、女王リプシェの(空想上の)おもかげをかさねてしまうのでした。

 

 ★先生は最後に、アンドレ・ブルトンの言葉を引用されました。これは、プラハで活躍した女性シュルレアリスト『トワイヤンの作品への序』として書いた言葉(1953年)です。それを読み、いよいよ具体的に、プラハ誕生のときから棲まう聡明なる女性像を感じとることができたので、ここに引いておきますね。きっとみなさんも、この引用からみごとにプラハを共有できてしまうことでしょう。

 

 「アポリネールの歌ったプラハ、立ちならぶ彫像の垣をもち、昨日から〈永遠〉へと渡されていた壮麗なその橋、外からではなく内側から光を発していたその看板の数々ーー〈黒い太陽〉〈黄金の車輪〉〈金の木〉等々ーー、欲望の金属に鋳造された二本の針が逆方向にまわっていたその大時計、その〈錬金術師通り〉、そしてとくに、他のどこよりも激しかったその理想と希望との沸騰、鴎たちがモルダウ河をいちめんに撹拌して星々を噴きださせようとするあいだに、詩と革命とをひとつのものにしようと願う人間のすれすれに生まれたあの情熱的な交流ーーそのうちのなにが、いま私たちにのこされているのだろうか?  トワイヤンがのこされている。」

 

アンドレ・ブルトン「トワイヤンの作品への序」1953年(『シュルレアリスムと絵画』巖谷國士訳、人文書院、P.245)

 

 ★先生、すばらしい3都市の、それぞれの女性たちを示してくださる魅力的なご講義を、どうもありがとうございました!

trois

2019年

11月

15日

巖谷國士★講義 PC 第2回「ヴェネツィアについて」


「ヴェネーツィア!」

★先生の発する言葉がかけ声となり、これからめくるめくフェリーニのカサノヴァの世界がくりひろげられそうな予感!

人生と人格をもつ町……先週の「パリ」につづいて、今週は「ヴェネツィア」をめぐる講演です。

今日にも彼の地ヴェネツィアでは、50年に1度あるかないかの高潮Acqua altaが記録され、かつてアドリア海の女王と謳われた貴婦人は波うたれるがまま、たゆたえども沈まず…と言われたパリとは対照的に、ただひっそりと、だが誇り高く、その姿を乳白の緑色した海水に、まるで蜃気楼にうかぶ楼閣のごとくただよわせています。
★先生はその姿を、「快楽と豪奢と栄華と優美をあたえてくれた﨟たけた美女」と形容し、いまにも死にゆく(沈みゆく)彼女のそばにつきそって、その若き日の栄光を、彼女にも、私たちにも、語ってきかせてくださっているようでした。

1000年以上もつづいた海上共和国のはじまりは5世紀と新しく、アドリア海沿岸にひろがる潟(ラグーナ)に、ローマ帝国が東西に分裂するころ、ゲルマン侵攻に追われたウェネティ人(なかにはケルト人もいた!)が棲みついて、潟に木の杭をうって石を敷き、その上に都市を築いたというのです。

以後、7世紀には初代総督(ドージェ)が共和政の国をつくり、選挙と合議制、法律による法治国家と宗教の自由を実現したのでした。また地理的にも東ローマ(コンスタンティノーポリス!)帝国と親和性があり、その庇護をうけることで、東方世界のエキゾティックな産物をとりいれることもできました。

とうぜん領土もひろげ、モレア(ギリシア)の島々やダルマチアなどの東地中海域の点と点を、ひとつの線で結べてしまうような広大な海上帝国を築きあげます。まだsauvageなままの西側諸国に先んじて、ヴェネツィアは、古代と東方の、すぐれた文化・文物を知る(マルコ・ポーロ!)知的でエレガントな女王だったといえるでしょう。

しかし、15世紀末にコロンブスの大西洋横断やヴァスコ・ダ・ガマのインド航路が発見されて、ヴェネツィアの貿易は衰退してゆきます。こうして彼らに世界貿易の覇者の座は譲ったものの、その後の女王の生きのこり方はたくましく、17世紀にも造船、武器の製造、貿易などを細々とつづけながら、これまで町に包容してきたあらゆるものを「さぁ、書(描)くのよ!」とばかりに見せつけて、みごとにグランドツアーの旅の目的地・出発点となりおおせ、作家や画家や詩人や旅人たちの旅情と憧憬の念をかりたてる底力を披露したのでした。

事実、18世紀のヴェネツィアには、ロマネスク、ゴシック、ビザンティン、イスラーム、バロックの時代をへた、17世紀までの東西の装飾技法の粋が凝縮していました。

その数多ある代表的な建築物を、★先生の写真でへめぐります。サン・ジョルジョ・マッジョーレ島からはじまり、対岸のスキアヴォーニ河岸をのぞみ、右にドゥカーレ宮、船のつくピアツェッタの両脇円柱のうちひとつにある翼のあるライオン、図書館と美術館と、内奥のサン・マルコ寺院と、ポルティコのある広場……レオーニ荘(ペギー・グッゲンハイム美術館)、リアルト橋……などなど

写真のなかにただよう、そこはかとなく寂しげな町の記憶……それはヴィスコンティやフェリーニ、キャサリン・ヘップバーンの出演した数々の映画にも共通してある……快楽と退廃の記憶なのか? ……娼婦や仮面やペストの記憶なのか? たしかにヴェネツィアは、すでに旅することも変貌することも終え、その生涯を終えてなお、旅人をうけいれ誘う町なのかもしれません。

今週もすばらしいご講義でした!
次回の「プラハ」も心より期待しています。ありがとうございました!
(trois) 

2019年

11月

09日

巖谷國士★講義 第6回「新★ぜみ」と PC 第1回「パリについて」の報告

 

冬晴れの空、陽の光も空気もいっそう澄んで冷えてすがすがしい週末でした。金曜、土曜とあった★先生の「パリについて」「ナジャについて」の講義を聴くために、連日はしごをした人もいらしたことでしょう。みなさんそれぞれが思い思いにたくさんの収穫を、★先生からもらったのではないかと思います。

 

ここでは「『新ぜみ』の報告」と題しているので、大学主催の「ヨーロッパの都市をめぐる」講座については簡単に。

毎週金曜1845~、プラチナ・カレッジと題し、学内2号館の大教室で港区在住の知識欲旺盛な方々を対象に、なかでも★先生は、11月の8日、15日、22日に、パリ、ヴェネツィア、プラハと、ヨーロッパの「横綱(貴婦人のがいい?)」クラスの3都市について、まるで各都市を歩く(balader)ように解説します。

 

第1回講義「パリについて」では、まず「パリは歩くことを誘う町だ」と表現され、★先生にとってはパリが東京・高輪に次ぐ第2の故郷とも言えるし、パリという町には人間を包みこみ、子どもたちを育ててゆくようなイメージがあるとか……パリを歩いていると、つねに水や川の流れを身近に感じるとか……まるで聴講生たちの地元・港区の身のまわりの風景を、いっきにパリのプラタナスやマロニエやロビニエの並木道に早変わりさせてしまうかのように、私たちを町歩きに連れ出してくださるのでした。

 

この9月にじっさいに訪ねたパリでのスナップショットを交え、火事で被災したノートルダムや、ジベール - ジュヌ(人文科学部門)書店地下のマンガ本の盛況ぶり、宿泊したホテルからの眺めや歩いた先々での発見などなどもご紹介くださいましたが、なにより圧巻だったのは、この短い時間のうちに、2500年前から存在していたパリの町の歴史をもいっきに辿ってしまうことでした。

 

ここにおぼえがきまでに箇条書きにしますと……

ケルト人の居住地としてはじまる ~ ドルイド僧のいる集落~神殿をもたず、神は森に宿る ~ パリシー人(パリの由来/ルテティア)~ 古代ローマ帝国とガリア戦記、カエサルとヴェルサンジェトリクス ~ アレーヌ・ド・ルテス遺跡 ~ キリスト教と殉教者たち、サン・ドニとサント・ジュヌヴィエーヴの説法 ~ ゲルマン侵攻、西ゴート族、ゴシック、ノートルダム大聖堂 ~ フランク王朝 ~ ノルマン侵攻にはヴァイキングの船が700隻と3万人の兵士たちがセーヌを上ってきた! ~ 百年戦争 ~ フランス3大王……などなど。

 

★先生は「波打たれても沈まない «il est battu par les flots mais ne sombre pas» 」というパリの標語(?)を引用し、パリが(王のものではなく)つねに市民のものであったこと、どんなに敵の攻撃をうけようといつでも町を守ってきたこと、自由を獲得するために市民が自発的に反抗してきたことも話しました。

 

前回の第5回★ぜみにも共通するお話もありましたが、今回もまた、パリの歴史を知り、町の特性と性格を知り、★先生の指さす、目配せする「ものの見方・とらえ方」に存分に身をゆだねながら聴く「パリについて」は格別なものでした。

 

……さぁ、ここから「新★ぜみ」の報告に代えて、okjさんに第6回「新★ぜみ」の「概略」と、あわせて参加者からの「感想」を一部、匿名にてご紹介させていただきます。

 

***

 

【概略】


第6回 新★ぜみで、巖谷國士先生が「『ナジャ』とは何か?」についてお話くださいました。

 

冒頭から、ナジャがパリに暮らす労働者であり、けっして人間ばなれした妖精などではないことを指摘され、背景となる、植民地帝国主義~第一次世界大戦後の世界の現実~シュルレアリスムの誕生について、広大な記憶の地図を示してくださいました。


そして★先生の、35年にわたる訳書『ナジャ』との旅、(ブルトンの、あるいは、★先生の)人生そのものともなりえたこの本とのつきあいについても、くわしく語ってくださいました。

 

ブルトンが1928年に出した初版を、1962年に全面的に書き直した(300箇所以上の訂正と注や写真の追補など)ことの意味、そのひとつひとつに★先生が「注」をつけるという作業の過程で、再びブルトンとつきあい、舞台となる場所を旅して巡って……日本語に訳す際の語順や一人称をどうするか……『翻訳』とは何か?についてまで、★先生が直に語られたことも初めてだったのではないでしょうか。


そうして明らかになるブルトンの言葉の伏線の数々。『ナジャ』のなかでは「手」「血」「髪の毛」など、それぞれの言葉だけでも物語が読めてしまう。偶然と必然と運命と「私」、この書物を読むことそのものが人生。

孤独だと思っていたのは錯覚で、じつは誰かと共謀関係にあること。

 

今日この場にいた全員に、★先生は『ナジャ』を通して、明かしてくださった現実と事実と生きる希望とを吹きこんでくださったように思います。


パリの地図を用いて、ブルトンとナジャが出会った場所、右岸と左岸の位置関係を解説してくださったのも、たまたま開いたページから無限に読み解かれる物語も、本当に驚異的でおもしろすぎて、発見と出会いの嵐は私たちを巻き込んで、あっという間に時間が過ぎていました。

 

ぜひ続編を希望いたします。

 

***

 

さてここからは、参加者よりお寄せいただきました「感想」を一部ご紹介します。

 

【感想】

 

◎私の手元にある幾つも・幾つかの書物のなかで、一緒にいろいろな土地を旅してくれた、そしてボロボロになってしまった『ナジャ』を、今日改めて読み・聴きながら、なぜ、10代だった私が『ナジャ』と出会ったのか、思いを巡らせていました。「意味」ではなく訳された「言葉」にかつて(今も)うっとりし、そして今日、現代を日々生きることの困難、怒りなどにも結びついて、身体の一部(「ナジャ」が私の、ではなく私が「ナジャ」の)である喜びを噛み締めています。

 

◎今日のぜみテーマがブルトンの「ナジャ」と聞いて絶対参加したい‼︎と決めていました。大学時代に出会ったこの本は、日記の形をしているけれど、現実なのか物語なのかわからない不思議さを漂わせ、10年経っても魅力的な光を本棚から放っています。今回★先生より「ナジャ」翻訳の際に「言葉の出来事が偶然に出てきてつながっていく」過程を書いたと知って、「ナジャ」だけでなく言葉の出会いを楽しむ作品であることも知り、もっと読み解きたくなりました。ナジャ第2弾、是非お願いします‼︎

 

◎巖谷先生の『ナジャ』との出会いをうかがえて感動しました。伏線に気づくことが人生。本を読むこと自体が人生……偶然に今日ここに集まったメンバーの面々を眺めて、またいつか、先生に『ナジャ』のお話をうかがった今日この日を思い出すのかなあと。それを楽しみに……。

 

◎人生とは何かをこんなコトバで話してくれるナジャとブルトン。同調圧力から解放される。元気になる。くもの巣の中に入っていく感覚。納得できない状態。偶然のつらなり。だからこそ感動や驚きがあるんだと思いました。先生の翻訳がすばらしいです。

 

◎「用途」から解放されること。人生には、決まった「用途」はない。人生の出来事には、意味を与えることはできるかもしれないが、先天的にある意味ではない。オブジェとは、何とともにあるのか、「何とつきあっているのか」によって、次々に意味を帯び、あるいは変化していく。『ナジャ』を読むこととは、オブジェとしてのテクストの「余白」を考えることで生まれていく配置(意味)を編集していくことだろう。それは、まるで人生のような本として『ナジャ』を考えることであり、本を読むとは、本と共謀関係を結ぶことであるだろう。

2019年

6月

01日

巖谷國士★講義 第5回「新★ぜみ」の報告

 

前回の第4回講義では、この6月末からはじまる台湾国立美術館での「共時的星叢」展(映画「日曜日の散歩者」が展覧会に具現化される)をひかえて、台湾でのフィールドワークからご帰国されたばかりの★先生(雑誌「現代詩手帖」5月号に掲載の「シュルレアリストの台南散歩」にくわしい)に、「台南とは何か」についてご講義いただきました。

 

その講義の際には、日本語で「散歩する人」とひとつの訳語があてられるところ、フランス語は、promeneur プロムヌール、flâneur フラヌール、passant パッサン、marcheur マルシュール……とそれぞれの行為や意図や目的にちがいのあることが指摘されました。

 

そのおかげで、★先生(= シュルレアリスト)の目が、発見し切りとった「台南」の町は、不思議な魅力……見たこともない、行ったこともない……を湛えて、私たちの目に映りました。

 

さぁ、待望の第5回は、その★目が「パリ」を散歩するとしたならば……「新★ぜみ」第5回は、シュルレアリスム式にパリを〈歩く〉とは? パリとは何か……いったいどんな旅に私たちを誘いだしてくださるのでしょう!

 

……と、その前に。

先日の諸橋近代美術館での★先生の講義「シュルレアリスムとダリ」の実況レポートが、花巻からご出張くださったvioletさんの筆で詳細にゲスト★Bookの方に再現(?)されていますので、是非そちらもご参照くださいますように! あまりに濃密で、熱気あふれる講義(実際暑かったそうです)がそのままにリポートされており、ダリに、シュルレアリスムに、ズバズバと斬り込んでいく★先生の、聴衆への気持いいまでの忖度のなさが愉快痛快で、「詰める時間なし…」といって筆を置くvioletさんの「本懐を遂げた感」にも、思わず共感した次第です。みなさんも一息に読んでみてください!

 

さて話を戻しまして、

今日は「新★ぜみ」第5回が開催され、★先生には、「パリとは何か ★〈歩く〉シュルレアリスム」と題して、訳書『ナジャ』をたずさえながら、お話をしていただきました。

 

「パリ」という場所には……長い歴史に裏うちされた、民衆と反乱と革命と不思議と驚異との感覚が染みついており……ブルトンがナジャと出会ったときも、いま私たちがパリを歩くときですらも….…日常の地つづきに「シュルレアリスム」が存在しているので、何時間でも何日でも、ぶらぶらとフラネ(flâner)しようものなら、永遠に、なにかを見つけることができるし、なにかに出くわすことになるだろう……と。

「シトワイヤン Citoyen(Monsieur Madame に代わる呼称、市民・同志の意味!)〇〇」となって、ここで過ごしてかまわない……と、パリがそうした場所を用意して、私たちを受け入れてくれる……なんてステキな感覚だろう! その光栄や恩恵に浴してみたい!

 

★先生の指さす、目配せする「ものの見方・とらえ方」を知り、私もそんな風にパリに身をゆだねてみたい!

……そう思ったぜみ生も、きっといらしたことでしょう。ここで「新★ぜみ」の報告に代えて、okjさんに講義の「概略」と、あわせて参加者からの「感想」を一部、匿名にてご紹介させていただきます。

 

***

 

【概略】

 

今日は「パリとは何か★〈歩く〉シュルレアリスム」をお話いただきました! 前回の「台南とは何か」からつづく「散歩者」という存在について、★先生が語りはじめます。

 

18世紀、ジャン・ジャック・ルソーが、ロマンティスムのはしりである近代的個人がプロムネ(散歩する promener)するようになったと『孤独な散歩者の夢想』に書いたのに対し、19世紀半ば、ボードレールが、近代都市に集まる群衆とその無数の未知の人々の中をもまれて歩くことを『パリの憂鬱』に書き、パリという町にのみ存在しうるフラヌール(ぶらぶら歩きする人 flâneur/flâner →パリにしかない言葉)が示されました。この時代に見られる都会生活の変化、匿名の都会人、群衆の誕生……次いで、ベンヤミンがつまびらかにするパサージュ passageと、アポリネールがプラハという町を「通過者 passant」という視点で語ることや、ポルティコのある町についても。

 

この群衆がつねにパリの地にあって、支配者によらぬ変革を担ってきたこと、歴史の始祖の代からずっと人々のなかに抵抗の精神が受け継がれてきたことなど、このあと、紀元前4、5世紀末にまで遡って、パリの歴史をひもといてゆくスリリングな展開です。

 

ケルト人のパリシー(Parisii)族、そこへ攻めこむローマ人(『ガリア戦記』)、カエサル軍への反抗。シテ島がルテティア(Lutetia)という名の町になり、そしてパリとなる変遷。その紋章と「たゆたえど沈まず Fluctuat nec mergitur」の銘句。ユゴーのノートルダム・ド・パリ。アポリネールやアジェのflâneur。パリのキリスト教化にともなう聖人伝説、守護聖女の抵抗。皇帝や王朝の変遷、内乱や宗教戦争、首都でないときも変わらず群衆たちが住み続けるパリ。たびたびの民衆の蜂起。……これらは町そのものに記憶されており、人格を帯び、人々もそれを無意識のうちに、ごく自然に感じとり、フラネflânerしている……と★先生。『ナジャ』の中にもパリの町そのものが生きていて、歴史的な厚みが随所に点滅している〜とおっしゃいます。

 

はじめから終わりまで、パリを歩き、次々におこる不思議なできごとの客観的な日記……何か自分にとって意味をもつようなものが芽ばえはじめるような予感の連続……時間的・空間的に、説明のできない、答えのでない、だから痙攣的である……そんなパリの姿を、★先生がブルトンと共謀して私たちの目の前に並べてくださったかのようです。

 

パリの地図を見ながら、ブルトンの歩いた道やナジャと出会った場所もたどってくださいましたが、まさに驚きの火花の炸裂……! 『ナジャ』の写真の読みときや、★先生が岩波文庫版に付した注釈が、また驚異の発見の連続で、「flâner」は加速するばかり……! ★先生と『ナジャ』をたずさえflânerする旅は、さらに続けられねばなりませんね! あまりに刺激的、痙攣的なおもしろさです!

 

こんなふうに今日、私たちをパリに連れだしてくださって、★先生本当にありがとうございます!

 

***

さてここからは、参加者よりお寄せいただきました「感想」を一部ご紹介します。

 

【感想】

 

◎本日も素晴らしく、楽しかったです! フランスについての上っつらではないお話。「革命」というとフランスというイメージが漠然とあったのですが、本来の意味で(まだまだではありますが)理解の「核」をいただいた気がします。ノートルダムのお話も、興味深かったです。

Saint-Denisがフランスの聖人というのも(首を持って歩くなんて!)おもしろい! 「パリには常に市民がいる」銘言もいただきました。そして『ナジャ』を読むための、ありがたいお話が終わったところで、時間が…。ああ、本当に★先生のご講義は時間があっという間です。「『ナジャ』はパリのみが可能にする文学」とのこと。なるほど。

 

◎「説明できない街」について、一番よくえがかれているのが『ナジャ』。面白かった!

「『ナジャ』とは何か?」という題で、次回、お願いします。

 

◎Flânerは時間も「現実」も踏みこえて歩くこと!とても濃厚で楽しい時間でした!

 

◎大学の部屋にいながら、パリを歩いていました。講義「ナジャとは何か」切望します!

 

◎「ナジャ」また読み直したくなりました。パリにも行きたくなった。Les Arènes de lutèce は子供が小さい頃、よく遊びに行きました。

 

◎2011年の最終講義から数年ぶりに参加しました。昨年パリに行ったとき、もう何度も行っている街なのに何か不思議な出会いが続き、これは何だろうとずっと考えていました。今日、パリの街やナジャをあらためて触れ、すこし分かってきたものがありました。今日は何かに誘われるようにふと思いたって参加しましたが、また次も伺いたいと思います。

 

***

 

今回の聴講生には、2011年の最終講義以来のぜみ生もいらしていたようですね!

このMont Analogue HPも、2011年に立ち上げられ、以来、サイト内に、★先生と編纂した「講演録」「著作目録」を掲載してきましたが、このたび、2019年6月までの情報(講演と著作目録の記録)がアップデートされましたので、最後にご報告させていただきます。じつに壮大な仕事量です!

 

2019年

4月

14日

巖谷國士★講義 第4回「新★ぜみ」の報告

 

このたびは、いつもみなさまにお配りしている「感想カード」を(あまりに白熱した/熱のこもったご講義だったため)事務局側がうっかり回収しそこねてしまいました。

 

おそらく聴講されたみなさんが、本サイト内「ゲスト★Book」のほうへ第4回のご感想などをお書き込みくださいますことと思いますので、ブログの方には、新★ぜみのご報告にかえて、okjさんからの「概略」のみを掲載させていただきます。

 

***

【概略】

 

台湾から帰国され、現代詩手帖5月号の台湾特集や映画「日曜日の散歩者」トークイベント、台湾国立美術館での「共時的星座」展を控えてらっしゃる★先生。今日は待望の「台南」とは何か? について講義していただきました。

台湾の面積、台北~台南の距離、中国や沖縄、東南アジア諸国との位置関係から地理的状況を客観的に見つめ、19万年前に人類がアフリカ大陸を出てからの移動ルートもたどります。
亜熱帯の紀行、地形、台風、大地震、皆既日食、多様な民族に言語、驚異の植物たち。

中国、台湾、日本の歴史的な関係も、「くに(郷)」と「国家」の違いを明確にして追い、ポルトガルやオランダが15世紀以降に台湾に入植した経緯や、最古の港町「南平」の情緒について語る★先生。

台湾に暮す人々にとっても、台南は特別な町で、古都ではなく現都だとおっしゃいます。
ノスタルジックな単なるモダン都市ではなく、かつての建築が今も使われ、モダンな広告やポスターが今も描かれる……Twitterにあげてくださった★先生撮影の写真を示しながら、「コラージュ都市」ともいえる思いがけないものたちが全部並列されて、全地球的な感覚が呼びおこされる、不思議な都市の「人格」が浮かびあがってきます。先生が次々に出会う自由な女性たち、どんどん品数の増える食事の、なんと魅力的なこと!


この風土で、1930年代の「風車」の詩人たちがどう呼吸し、作品にどうそれがあらわれたのかーーを、現地に感じたかった★先生。日本語教育の強制によって日本語でしか読み書きできなかった、彼らの悲劇を指摘します。

 

ポルティコの町、台南。それゆえ可能となる散歩。
散歩といっても、プロムヌール、フラヌール、パッサンの違いがあることを考察し、誤解されたシュルレアリスムや、ひるがえってシュルレアリスムの真実に迫りました。目を閉じて夢を見るのではなく、現実から出発すること。

2年前の映画「日曜日の散歩者」との出会いにはじまり、今回の台南をめぐる旅にいたった連鎖は、やはり最初から予感に満ちたものでした。すばらしいご講演で、わたしたちをこの旅へ一緒に連れだしてくださり、本当にありがとうございます!

 

2019年

1月

06日

巖谷國士★講義 第3回「新★ぜみ」の報告

今日1月6日は、12月25日のクリスマスから数えて12日目、フランスでいうところのÉpiphanie(エピファニー/公現祭=jour des Rois)の日です。東方の三博士(Rois mages:ガスパール、メルキオール、バルタザール)が、星の導きによって、生まれたばかりのキリストをもとめてはるばるやって来たことを記念し、フランスではこの日にla galette des Rois(ガレット・デ・ロワ)を食べ、神の子と彼らの出会いを祝福します。

 

また日々の生活のなかで人やものがその本質(真実)の姿をあらわす瞬間のことを「エピファニー/epiphany」と表現することもあるそうで、そうした突然のひらめきや発見を好む私たち「★ぜみ生」であればなおのこと、1月6日に第3回「新★ぜみ」を開催し、mageならぬ★先生の講義をうかがえますことを、偶然にも!  貴重な機会と思っている次第です。講義の最後にはガレット・デ・ロワを一口ずつ、参加者全員(37等分!)で分かちあいました。 

 

キリスト教世界では翌月曜日から新年がはじまります。今年の月曜日は1月7日、まさに★先生のお誕生日から2019年ははじまるのですね!

 

さて、今回のテーマは「フランス」について。私たちの身近にあるフランスとは、クリスマスのビュッシュ・ド・ノエルのようなお菓子だったり、パンやワイン、料理にファッション、文化、芸術のほか、土地に根づいた豊かで多様な風景や建物や庭園、エレガントで美しいイメージばかりが思い浮かぶでしょう。

 

しかしながら、昨年12月、フランス全土でgilet jaune(ジレ・ジョーヌ/黄色いチョッキ)を身につけた人々が政府の増税をきっかけに抗議デモをおこし、ついにはマクロン大統領の辞任要求にもいたる、大々的な国民の怒りをあらわにしました。凱旋門を汚しシャンゼリゼ大通りに火をつけるほど……。ただ、こうしたフランス人(フランスという「くに」に生きる人々)の行為は、街頭で民衆の声を響かせて、権力の不正や濫用に、徹底的に抵抗しよう(Réagissez!)とするもので、彼らが社会的正義と多くの権利を獲得するために編みだした手段ともいえるのです。ひるがえって日本を見れば、国家権力がふるう暴挙に抵抗するでもなく、まるで自発的隷従を受けいれているかのよう……。

 

第3回目の講義では、巖谷先生がこれまで旅してきたフランスの不思議な町、庭園の数々を、ご著書とTwitterの★写真でめぐりながら、フランスの自然や風土だけでなく、世界の記憶と、前回のイタリアと同じく地中海世界を共有する人々の「くに」への意識、いまを生きる私たちへの指針など……さまざまお話を聞かせていただきました。

 

「新★ぜみ」の報告に代えて、okjに講義の「概略」とあわせて参加者からの「感想」を一部、匿名にてご紹介させていただきます。

 

***

【概略】

 

「フランスとは何か」を、エピファニー(公現祭)の日に、★先生がまさに「出現」させてくださいました!

 

まず、人為的で可変の「国家」ではなく、自然や風土に根ざした「くに」であることを、★先生が去年旅したブルゴーニュにまつわる歴史から例にあげ、Twitter★写真も示しながら、そもそも人類が20万年前から旅をしつづけてきたという事実を明らかにします。

 

ラスコーなどの洞窟絵画から、芸術の起源までも!旅する原生人類~それ以降もこの地域には、ケルト人やローマ人、ゲルマン人が交じりあい、ガロ - ロマン(鶏たち!)文化も生まれながら、王朝や王国も次々に交代していく国境なき歴史が立体的に浮かびあがります。

 

ストラスブールをはじめとする、神聖ローマに繁栄をもたらした自由都市群、なかでも北の海まで広がるフランドル文化圏から東側、縦に伸びるブルゴーニュ王国の豊かなこと! 

 

ブリュッセル〜ブリュージュ〜ディジョン〜ナポリ〜シチリア、イタリア - ルネッサンスへ連なる「縦のライン」が見えてきます。アールヌーヴォーも、北のグラスゴーから南のミラノまで連なっていたと★先生。

なんという驚くべき視点でしょう! 

 

アントネッロ・ダ・メッシーナ(ヤマザキマリ『リ・アルティジャーニ』より1ページを引用/★先生Twitterを参照しつつ)が、フランドルのより強度のルネサンスに驚愕したように、このイタリアとの接続には驚嘆です! 

 

アルル王国やマルセイユは、古代ギリシアの植民市や都市だった町でもあるので、古代オリンピックの休戦協定期間の、マッサリアからオリンピアへの観光旅行にまで話は及びました。

 

★先生がTwitterにあげているブルゴーニュの町々などの写真を見ながら、その地の自由さ率直さ、すなわち「フランク」さを実感する私たち。中世が「暗黒時代」などではなく、現代よりもずっと往来がさかんで文化が発展していたことや、その「現代」の問題を指摘し、ジレ・ジョーヌ運動についても説いてくださいました。

 

講演の最後には、ガレット・デ・ロワを分けあい、先生が冒頭解説してくださったように、東方三「祭司」の祝福、キリスト教以前の風習……自然界の死と再生の儀式……に耳を傾ける誰もが浴することができたのでした。

 

今回もすばらしい講演を、本当にありがとうございました!

 

***

さてここからは、参加者よりお寄せいただきました「感想」を一部ご紹介します。

 

【感想】

◎ブルゴーニュの旅は、私がフランスで巡った中でも1番心に残るものでした。今回の講義でバラバラだったイメージがまとまっていくような感覚になり、もう一度ブルゴーニュをめぐってみたくなりました。ヴェズレー、オータン、ボーヌ、などなど。

 

◎一角獣の講義もぜひ聞きたいです。リモージュにある有名なチョコレート屋、Auzonとか言う名前だったかと思います。Fève にはBernardaudの小さなお皿型の磁気が入っていました。毎年コレクションする人もいるそうです。

 

◎高校時代はろくに世界史の勉強をせずに過ごしてしまいましたが、こんなに生き生きとした人の移動がある面白い世界だったとは!! 歴史の教科書もメディアの報道も嘘っぱちなんだという、知っているけど見ないふりをしていたことに改めて気づかされました。今年は自分の感性を頼りにこの日本を泳いで行きます。

 

◎今回は、フランスとは何か? でしたが、前回と引き続き授業に出て感じたのは、もともとすべての国には国境がなく、考え方や、実際にも国境なくいろいろな人たちが行き来しているのだとつくづくと実感しました。私自身ももっとそうなりたいと思ったのと、旅をして定住をなるべくや避けたいと思いました。

 

◎フランスとはどういうことか考えもしなかった展開。魅力的な街のことを知りまた旅に出たくなる。これからのことを境界線についても考えようと思います。

 

◎ヨーロッパ中央に位置する「フランス」の成り立ち、都市について、15世紀ごろまで、講演いただき大変興味深く、また、Twitterでの写真等も後日、講義内容と合わせてもう一度見たいと思います。できましたら15世紀以降の講義も希望します。

 

◎ユニコーンについてのご講義を熱望します!

 

***

 

報告の最後に……

このたびの「新★ぜみ」はちょうど★先生のお誕生日の前日に催されたので、講義後の第26回夕食会の会場(庭園美術館デュ・パルク)にて、ぜみ生から★先生へ、オルタンシアとかすみ草とデルフィニウムのブーケが贈られました。

他にも、mageならぬ★先生のもとには、巨大なグリフォンの卵やら幾重にも宇宙が内包されたラブラドライトが届けられたのでした。

2018年

10月

07日

巖谷國士★講義 第2回「新★ぜみ」の報告

「25」まで数え、あらゆる猛威をふるいつくした大台風群が過ぎさって、フェーン現象で、季節はずれの夏日となった本日10月7日(日)、第2回「新★ぜみ」が明治学院大学内某所にて開催されました。

前回同様、第2回「新★ぜみ」でも、旅から戻ったばかりの★先生に、約1ヶ月にわたる旅の成果を、たっぷりお話しいただきました。

今年9月の★先生の旅は、フランス・ブルゴーニュを経て、南イタリアのカンパーニャ地方(ナポリ他)とプーリア地方(レッチェ他)とをめぐるものでした。ーー旅の経過と訪ねた先々での写真は、都度、★先生がTwitter(巖谷國士:@papi188920)上に載せてくださっていたので、そこを覗けば、なんとなく、日本列島で台風被害に(のみならず人災にも!)遭っている私たちでも、一緒に旅をしているような、開放的な気分になれたものですが……
 
今日の講義では、その写真を、手元のスマートフォンで繰りながら、旅から帰還したばかりのオデュッセウス(いやプリニウスか?)に、「イタリアをめぐる話・地中海世界の話」あるいは「真実・本当の話」をしていただきました。
 
またぜみのはじめには、★先生からのプレゼントとして、明治学院大学図書館から刊行されたばかりの『絵本とメルヘン・コレクション蔵書目録』と北海道をめぐる話(10月号は「室蘭」)の掲載された『開発こうほう』が配られて、近年の★先生の多様なお仕事が、旅が、講義が、ずっと連続していることを知らされます。 
 
大学図書館の蔵書も、北海道という大地も、日本という「くに」も、イタリアという「くに」も、地中海を囲む沿岸域のさまざまな都市も、「それぞれの独自性と多様性をそなえているべきものだ」(巖谷國士著『絵本とメルヘン・コレクション目録』より)ーーという★先生の理念が、つねに「こだま」するような講義でした。
 
そこで、第2回「新★ぜみ」の報告に代えて、今回の旅の同行者でもあったokjに、講義の「概略(講義中に出てきた心震わせるワード!)」を、あわせて、参加者からの「感想」を、一部、匿名にてご紹介させていただきます。

【概略】
帰国直後の★先生から語られた超ライヴ講義「イタリアとは何か、地中海とは何か」に高揚しています!

9月、★先生がブルゴーニュへ発ったのちに、ナポリ王国に入城されるのを追いかけて、プーリアへの旅に同行させていただきました。
 
近代国家としての「イタリア」が吹き飛ぶような、めくるめくマグナ・グラエキア世界。
 
さらに古代へとさかのぼる、超他民族・地中海世界ーー古代ギリシア、ミケーネ文明、クレタ文明、フェニキア人、イタロ人、リグリア人からヴェネト人、メッサピ人やイルリア人、シクロ人まで。たくさんの都市国家、スパルタ人やアルバニア人。北のゲルマンに対するロンゴバルト族や東西ゴート族。ノルマン人やアラブ人、シャルルマーニュやアンジュー家、神聖ローマ帝国やスペイン王家も入ってくる、あらゆるものが混じりあう世界。

地中海沿岸地方は一つの世界と捉えられる!
 
ビザンチン文化もロマネスクも、バロックも……何もかもがその土地の空気にさらされて、独自の発達を遂げる。レッチェのバロックは、反宗教改革としてのそれとはもはや別次元のもの! 地産の石灰岩レッチェ石による、舞台装置のような超バロック建築の大盤振舞い。地中海からブリンディシに上陸した人々は、ローマを目指してアッピア街道をひた走る。ハドリアヌスやネローネ、皇帝たちの夢と記憶と遺跡の数々ーー。

クーマの巫女。温泉と神殿と神託。アルタムーラの閉ざされた中庭と呼応する「地中海、そこから開かれる扉」というアンゲロプロスの言葉。

リグリア、ティレニア、イオニア、アドリアという4つの海に囲まれ、北部にアルプス山脈をいただき、中央部をアペニン山脈が走る山がちな、限られた平野(北部とプーリアにあるばかり)しかもたない半島ーーイタリア。
 
ここに、今回の旅の行程を記載しておきます。★先生が用意・展開してくださった、南イタリアをめぐる旅の驚異と類推の魔法(ツイッター上に公開中)で、ぜひみなさんも一緒に旅をしましょう!
 
カゼルタ 〜 レッチェ 〜 ガッリーポリ 〜 ブリンディシ 〜 ターラント 〜 マルティーナ・フランカ 〜 アルベロベッロ 〜 アルタムーラ 〜 ナポリ 〜 クーマ 〜 ポッツォーリ 〜 カプリ
 
***

さてここからは第2回参加者よりお寄せいただきました「感想」を一部ご紹介します。
 
【感想】
◉まず、非売品との『絵本とメルヘン』の本をいただいて、とても嬉しいです。大切にさせていただきます。
大学図書館の蔵書の選び方から始まった、先生の今回のご講義、私が、以来ゼミに加えていただくご縁となったのは絵本学会主催の講演がきっかけでした。イタリアには一度行ってみたいと思いながら、今まで実現しておらず、Twitterにある先生の写真を見ながら、詳しい話をお聞きかせいただいた。イタリア各地の様子が実際に目に見えるような時間でした。先生ありがとうございました。新★ぜみの開催に向け、幹事の皆様ありがとうございました。

◉あらためて「くに」がもたらす豊さを、★先生の映像をともなう講義から実感する。レッチェLecceに旅してみたい。クーマCumaの洞窟、三角のStereonomieを通る神託の!温泉と神殿と神託の関係性は感慨深い。

◉「地中海世界」のお話、おもしろかったです!例えば、Twitterに先生がアップされた素晴らしい写真の中でも、特に気になっていた「アルタムーラ」の街。「修道院の中庭のよう」な「閉ざされた庭」はアラブの影響だというお話。深く納得。「アルベロベッロ」の教会の写真も感動しました!あちこち今すぐ行きたくなりました。★先生のお話は、やはり特別です。

◉フェニキア、古代ローマ、神聖ローマ帝国、etc。学生の頃に勉強した世界史上の懐かしい名前です。しかも面白くて楽しい授業でした。ありがとうございました。

◉古代ギリシアのお話、すばらしかった。ターラント、アルベロベッロ、レッチェ、行きたくなりました。民族の話もよかった。アンゲロプロスの言葉も良かった~!ありがとうございました。また聴きたいです!

◉Méditerranée 地中海の周辺域がひとつの世界。多様な民族が長い歴史の中で交流し、多様な文化が紡がれた、ということ。その中では、多様な自発的意見をもつ人々が存在する、という当たり前の魅力!
次回をますます楽しみにしています。
 
***

報告の最後に……

次回のmont analogue★事務局の主催する、第3回「新★ぜみ」は12月あるいは2019年1月を予定しています。また詳細が決まりましたら、随時ご案内してゆく所存です。

2018年

6月

02日

巖谷國士★講義 第1回「新★ぜみ」の報告

まだ6月がはじまったばかりだというのに……快晴、青空、高温、多湿の東京から〜

全国のmont analogue ★ぜみ生のみなさまへ、本日6月2日、大学内某所にて、校友会を通じて「新★ぜみ」が始動いたしましたことを、ご報告申しあげます。

北海道をめぐる取材旅行と、札幌と小樽での講演を終えたばかりの★先生(みんなで1月にプレゼントしたアニエス・ベーのブラウスを着用)を囲み、世代もさまざま、★ぜみ卒業生のそれぞれが「待ってました!」の笑顔で、★先生のお話に耳を傾ける、ワクワクの3時間ーー。そこには、同調も忖度も拘束もない、参加者それぞれの「共通の場所」が生まれ、「シュルレアリスムであろうとする」★先生と、自在にくりひろげられるその語り口から、参加者の誰もが、いっそうの、自由な時間と空間を体得できたように思います。

そこで以下に、第1回「新★ぜみ」の報告に代えて、聴講者による講義の「概要」と参加者からの「感想」を一部、匿名にてご紹介させていただきます。

【概要】
 ★先生の北海道での講演レポートや連載エッセー「すばらしい北海道」(「開発こうほう」に連載中)に触発され、いてもたってもいられない私たちからの、熱烈リクエストに応えるかたちで、第1回「新★ぜみ」では、★先生に「北海道とは何か?」と題するお話を聞かせていただきました。

 ★先生が明らかにする、驚くべき北方民族圏。大陸~カムチャッカ~千島列島~アリューシャン~ベーリング海峡~アラスカまで、広大な範囲に渡って存在する北方民族があらゆる手段で往来をくりかえし、やがて北海道の森へとたどり着いて、そこを棲処としながらも、なお旅を続けて多様性と交じわり、沖縄まで航海をして日本列島における縄文人の祖になっていったこと。

 また北海道と本州とでは、植物相も動物相もぜんぜん異なるというのは日本人の誰もが実感するところですが、そうした生物相の分布境界線(ブラキストン線という)が、実際、最終氷期(約7万年~1万年前)のころに、津軽海峡を横切る深い溝となって、大陸移動の過程でできあがったのだ、とも。つまり地理的にも北海道は北方世界と地続きにあった大地なのですね。

 一方、本州列島を北へ北へと攻め上がってくる弥生文化も、海峡のおかげで北海道まで及ばなかったことや、近代以後も北海道人の社会や政治に対する意識は独自のものであることなど…するどく、さまざまな視点から指摘する★先生の話により、歴史〜文化〜自然のすべてがつながって、北海道という「国家」ではない「くに」の姿が浮かびあがってきます。

 世界水準と言える人口密度や面積、オホーツク遺跡や縄文遺跡、北海道出身の芸術家たち、瀧口さんにとっての北海道…なども展開され、私たちは北海道という「くに country」と各都市の魅力にいよいよ惹かれてゆきます。

 そこでこのたび、★先生がへめぐった北海道十勝の4つの庭園について…真鍋庭園、千年の森、十勝ヒルズ、紫竹ガーデン…それぞれに驚くべき姿を呈していて、すべてが多様性、まさに「これが日本か!?」。

 

 講義の終着点には、札幌のイサム・ノグチ設計によるモエレ沼公園にまで話がおよび…ノグチの失われた幼年時代の夢と記憶が、そのまま庭園作りに表現されているのだと★先生。世界中の遺跡をめぐり、世界人イサム・ノグチが、その生涯の最後に成し遂げたかったこととは、庭園という記憶装置のなかに、宇宙(世界)の縮図を置いてみたかったのではないか…とも。

 

 デザイナーや彫刻家として知られるイサム・ノグチの、夢見る子供(l’enfant qui rêve)となって庭園(自然界・楽園)を作る、記憶の表現をこころみる、その姿勢は、「これから記憶を確かめる作業をしてゆこうと考えている」と話す★先生の姿に重なります。

 

 ーーその記憶、ぜひまた私たちにもお聞かせください。こうしてふたたび講義を聴かせていただき、参加者である私たちが、★先生の記憶を追体験できる幸運を心からうれしく思っています。

 ★先生、ぜみを復活させてくださり、ありがとうございます!

 

***


さてここからは第1回参加者のみなさんよりお寄せいただきました「感想」を一部ご紹介します。

 

【感想】
◉先生のお話には北海道にせよ、庭園にせよ、今まで見ていなかった、気づかなかった物事の本質、見知らぬ側面、隠された何か、いろいろなことにあふれていて、なんという聴く喜び! 学ぶ喜び! 何度でもこの時間に戻って来たい。先生のお話こそ宇宙の縮図の庭園のようなもの。日が暮れても帰らない子どものようにずっとそこで遊んでいたい。

◉先生のぜみに出席された皆々の紹介、それぞれの方々との心の交った先生の細やかな初対面からの記憶の鮮明な人物表現が素晴らしい講義冒頭でもありました。

近頃、より近年、旅らしいことから遠ざかっていた私には、どこの場所であっても新鮮なものであったに違いないのですが、「北海道の旅」は50年以上昔のことで、当時の北海道は、異国情緒というか、本州とあらゆる面が違う世界と思った記憶がありましたが、今日の講義に、そのことは、50年前ゆえのことではなく、「北海道」の成り立ち、むしろ動植物、民族的背景、などなど 旅は多様性の交流ということ、何もかもが「目からうろこ」のような新鮮なお話で、かつ庭園のとらえ方も…新しい視点から見る「見方」を学べました。

先生のぜみは、自分自身の今までの物事のとらえ方、見方、味わい方とは全く違った視点によるもので、自己の生き様をじっくり考える大変良い機会となりました。ありがとうございました。

◉人間の生きることに対する「国家の侵蝕」について日頃直結した仕事をしているのですが、その根底にあるものを改めて「つかんだ」という思いがしました。五つ星運動にもつながる、久々の霊的つながりを確認する時間でした。

◉北海道(と沖縄)をめぐる話、とても面白かったです。多様性のある庭園、どこも行ってみたい、「これが日本か」と言ってみたい。沖縄についてと同じような問題を北海道も抱えている、そういう視点で北海道を特別に捉えたことがなかったので、今後注目していきたいと思う。「全部つながっている」千島や樺太との連続性も興味しんしん。

◉先生の北海道の話が聞けて本当によかったです!やはり先生の旅は格別です。先生との旅、根源への旅、記憶の体験、アナロジーの展開、歴史、文化、自然の体験、★魅惑‼︎! 先生の旅や写真にまつわるお話などが聞きたいです。

◉北海道をめぐる土地の歴史、絵本、庭園…それぞれが、人間の「記憶」へとアナロジックに結びついてゆく。先生のお話は今日もたいへん鮮やかで、あっという間の3時間でした。今後もゲリラ的に自由に、多様な角度から世界を見る「共通の場所」が開かれてゆくことを切実に希望します!本日はどうもありがとうございました。

◉またやりたいです。ぜみがあるといいです。

***

報告の最後に……

第1回につぐ、次回のmont analogue★事務局の主催する第2回「新★ぜみ」は、10月前半の日曜日を予定しています。また詳細が決まりましたら、随時ご案内してゆく所存です。

 

もちろん「10月まで待てない!」という★ぜみ生の方々も多くいらっしゃることでしょう。

 

そうした方々には、みずから★先生のほうに名乗りでていただき、ときに美術館や画廊、カフェやレストラン、森の中や旅先の町などに集まって、そのつど思いついたプランを実行したり、あるいは、とくに予定も立てずに、★先生の話を聴いたりするような偶発的・ゲリラ的・遊戯的に生まれる「小規模★ぜみ」を、たくさん重ねていってもらえたら……そしてこのHPの「ゲストブック」にさまざまご報告いただけましたら……幸です。

2018年

2月

02日

巖谷國士★講演「今こそ澁澤龍彦を読み、語る」@京都・恵文社一乗寺店


巌谷先生が京都・恵文社に颯爽と登場し、恵文社のリクエストに応えて澁澤龍彦の「すがお」について語ってくれました。『澁澤龍彦論コレクション』全5巻の完成記念講演です。先生宛の手紙や絵葉書、晩年に声を失ってからの筆談メモなど(未公開のものもふくむ)に囲まれて先生のお話を伺うのは、これ以上ない贅沢でした。

先生のお話から、人間的に裏表のない、こだわりも思い入れもないあっけらかんとした澁澤さんの姿が清々しく浮かび上がります。その裏のない「すがお」が文学と通底していると看破する巌谷先生。アナロジーによって過去の説話やお話をコラージュして作品をつくる澁澤さんは、自分の情念やらを作品から解放する、日本では珍しい超モダンなひとであるというご指摘は、これ以外考えられないというくらい的をえています。こういう超モダンな澁澤さんを語れるのは先生しかいない!と再認識しました。

会場には漫画家や三島研究者、イタリア文学者、『高岡親王航海記』の人形劇関係者、編集者、京都新聞の記者、画廊主、すてきなマダム、核表象の研究者、大学院生など様々なひとがいましたが、先生が澁澤さんの「わたし」を中心に宇宙のあるクルミに譬えたり、玉虫三郎の構想を説明したりする間、みなさん、ひたすら頷いたり、涙したり、身もだえたりしていました。巌谷先生が澁澤さんから受けとったものが数え切れないほどあることもまた、明らかになりました。

サイン会のあとは近くのイタリアンのお店で食事をしました。昔の東京、学問=科学とテクノロジーの違い、ゼミの話や即答することの重要性やらの話で盛り上がりました。

先生、京都に来てくださり、本当にありがとうございました。日々感じないことを感じたり、別の現実を生きたりするとっても刺激的な時間でした。
AH

2018年

1月

16日

巖谷國士★対談「澁澤龍彦の宇宙を新たにひらく」@東京堂書店

編集者として巖谷先生や澁澤さんと長年つきあってこられた安藤さんと巖谷先生が対談を行い、巖谷先生は澁澤さんをめぐる世界を、ますます広く深く語ってくださいました。

 

生涯を通じた澁澤さんの人物像と作品の変遷、全体。ブルトンと同様に特異な「私」と、澁澤さんのキーワードとしても読みとれる「現代性」。

 

アナロジーによって「私」を探求し、似たものとして、サドも、フーリエも、南方熊楠や稲垣足穂や花田清輝も、プリニウスも、東洋も西洋もつながってゆく。

 

ブルトンとの出会いによって変容し、その先にはドーマルの類推の山も見えていました。

 

エルンストのコラージュも、無意識的に文化的なアナロジーが働くから、われわれも物語が読みとれるとおっしゃる巖谷先生。

 

お話は民俗学や人類学にまでもおよび、これらのシュルレアリスムとしてのあり方を示唆されます。

 

 

また巖谷先生自身もアナロジー的人間といえ、澁澤さんのなかに似たものを感じていたそうです。今回の澁澤龍彦コレクションの出版は、文学史上にアナロジーによって澁澤さんを残す試みであるとおっしゃいます。

 

まさにこの本を手にしたわたしたちは、近代的自我や境界やテクノロジーなどのある種の病理から解放されます。巖谷先生が新たにひらく澁澤さんのあり方は、現代を生きる人間にとって、有効です!

 

 

そして巖谷先生がまた新たに明かした「記憶のプール」という視点から、体験としての記憶、旅の記憶、そこにはたらくアナロジーの旅が、さらに続いてゆきました!

okj

2018年

1月

07日

巖谷國士★講演「澁澤龍彦の思い出」@森岡書店

巖谷先生が語ってくださった、澁澤さんの思い出。

初めて出会ったときから巖谷先生に作用しだした、特別な印象。

ともに旅しては、どんなことを話しどんなふうに過ごしたか。

好きな食べ物、言葉、歌、遊び、ゲーム、血液型の話などなど・・・

同調・自粛・忖度とは無縁の、「物理人間」としての澁澤さんや巖谷先生の日々。

ほかの友人たち・・・種村季弘さん、松山俊太郎さん、出口裕弘さんなど・・・

それぞれの視点や特徴がまたおもしろく、巖谷先生が対談でも見事にそれを

引きだしてくださっています(『澁澤龍彦論コレクションⅣ』参照)。

 

澁澤さんの普遍化していく「私」、説話的自我、記憶のプール、インファンティリズム、

アナクロニズム、アナログ思考・・・彼は近代の日本に現れた特別の「私」を持った

作家だと巖谷先生は指摘し、今の『皆殺しの天使』のような閉塞状況を突きぬける

要素があるとおっしゃいます。

 

澁澤さんが入院してからの、生涯でもっとも巖谷先生が付きあったという日々、

その間の筆談のやりとり。いずれもとても感動的です。

当時ただひとり巖谷先生が、澁澤さんの変化する作家という点を見抜いて書いたことを、

うれしかったと澁澤さんは語りました。

 

澁澤さんが亡くなった知らせを、クロアチアのドブロブニクで受けとってから帰国する

までの巖谷先生の旅は、シチリア、マテーラ、パレルモ、イゾラ・ベッラなど、澁澤さんが

行った町をたどることにもなりました。

今回の巖谷先生の写真展にも、これらの町の写真は展示されており、またストラスブール

など別の町の写真も、まるで高丘親王航海記と呼応するかのように偶然の一致をなし

ています(写真展より、「薬子」など)。アナロジーの特徴としての、偶然の一致、円環。

 

巖谷先生の澁澤さんとの付きあいは、亡くなって以後ますます続き、読者をその円環に

巻きこんで、わたしたちをそれぞれの旅に誘いだしてくれます。

見れば見るほど、読めば読むほど、新たなアナロジーが展開する写真たちに、

『澁澤龍彦論コレクション』の文章。その不思議と感動をますます加速させ、まるでオブジェ

のように手にとれる思い出を、珠のように差しだしてくださったご講演でした。(okj)

 

2017年

12月

23日

巖谷國士★対談 ルイス・ブニュエル「皆殺しの天使」@シアターイメージフォーラム

ルイス・ブニュエル『皆殺しの天使』を巖谷國士先生が、四方田先生との対談をまじえながら語ってくださいました!
たんなる不条理映画でもパニック映画でもなく、現実として展開していくブニュエル一流のシュルレアリスムが明らかに…!
上流階級の登場人物たちが自分から出ていかないことを指摘し、この映画の寓話性をもとらえて、皆殺しにされるのは誰か?天使とは何か?を考えていきます。映画の中でブニュエルが笑っている数々のものや、人物、またブニュエルが好んだ作家や、ブニュエルのカトリック的側面にも光をあてて行きます。
閉ざされた部屋の中に実は外の世界があること、ラストシーンの町の暴動は実は最初からずっと進行している可能性、などもほのめかします。

劇中の女性が、ほかのブニュエル映画の女性ともアナロジーをなしたり、ほかの映画のタイトルになっていることばがセリフとして出てくることを今回発見する巖谷先生……「私たちは忘れられた人々だ」……長期間上映禁止になることもよくあったブニュエルの映画、忘れられたころにまたやってきては、新たにそのときの映画になるとおっしゃいます。

映画そのものが皆殺しの天使と見ることもでき、ブニュエルの自画像といえるとも切りこむ巖谷先生。映画の中でほかの映画も回帰し、結果的に伏線があらわになることも示してくださり、わたしたちもふたたび映画に出会いなおしてしまいます。
ブニュエルの客観性、いつの時代にも観客を殺しうるアクチュアルさ。巖谷先生の鋭いまなざしと類推の視点で、強度に映画を体験してしまう、ものすごい時間でした!(okj)

2017年

12月

02日

巖谷國士★講演「絵本とメルヘン」@明治学院大学明治学院大学白金キャンパス アートホール

絵本に感じるなつかしさとは何か。★先生は、人類が森を出てながいながい旅をし、ついに定着して農耕をはじめ、文明を営むようになった歴史までさかのぼります。
古代文明のレリーフやギルガメシュ叙事詩、ラスコーやアルタミラの洞窟絵画など、絵物語・・・絵本の歴史は人類はじまって以来のものとも言え、それは文明によって失われた自然にふたたび戻ろうとする衝動であり、芸術の起原であるのだと。

そして、★先生が幼いころ、疎開先の山形ではじめて手にした絵本~アーティストの叔父の創作によるもの~の記憶から、絵というものへの何ともいえない切なさ、紙の質感や匂い、味など五感を刺激する、オブジェとしての絵本の本質に迫ります。

さらに、作者がおらず自然発生的にうまれたメルヘン、おとぎ話がペローによって再話されたこと、アリエスが明らかにしたように「子供」の概念は17世紀以後生まれたことなどを詳細にたどり、近代的な意味での絵本の起源を語ります。
バンドデシネやカリカチュア、紙芝居、ランボーも好んだエピナール版画、ステンドグラスなど民衆的な起源も指摘します。かつて子供が小型の大人だったように、大人もまた大型の子供だったのだから、民衆版画がこどもっぽいのも頷けると!

そして実際に、今回展示もされている絵本のかずかずを映写しながら、絵本の驚くべき世界を解説・展開してくださいました。
エピナール版画の紋切り型に見られる「共通の場所」、博物学、旅、エグゾティスム、インファンテリズム、風刺画的な毒、シャルル・フーリエ、恐怖と魅惑の森、無限に展開するもじゃもじゃペーター、妖精世界の系譜、シンボリズムの世界、アニミスム、地域的な展開、アール・デコ、アール・ヌーヴォー、アニメーションの感覚、オブジェの感覚、シュルレアリスムの感覚・・・。

絵本の魅力を、これほどながい歴史のなかから深く、そして無限の視点から語られた、本当に画期的なご講演でした。人類の本質に迫り、「共通の場所」へとアナロジックにつながっていきます!

 

(okj)

2017年

11月

08日

第20回★最終講義&夕食会のお知らせとご案内

~第20回★最終講義&夕食会のご案内 (2017年12月2日土曜)~

 

巖谷國士先生が明治学院大学図書館長でいらした頃から、着々と蓄積されてきた貴重書の数々…

「絵本とメルヘン」「ダダとシュルレアリスム」「旅とエグゾティスム」という3本柱が大学図書館に築かれて、ようやく2017年、★先生と図書館との共同作業で、コレクションの内容調査と目録製作が一部完了したという、素晴らしいお知らせが入りました。

 

とくに私たちの記憶に残るのは、★先生の監修による「森と芸術」展@庭園美|2011年、「〈遊ぶ〉シュルレアリスム」展@損保J美|2013年、「旅と芸術」展@埼玉近美|2015年…といった全国各地で開催された展覧会で、いずれの会場でも、さまざまなストーリーをともないロマンティックに眺めることのできた貴重書の数々でしたが、今回はそれらの書物によりいっそうの詳しい解説が、★先生の手で加えられたのだろうと思います。

 

なかでも「絵本とメルヘン」コレクションは、★ぜみでも閲覧会を開いたり、実際に手にとったこともある私たちにとって、じつになじみ深い書物たち…大学図書館のみなさんには、こうした素晴らしいコレクションの維持と発展にご尽力くださったことに感謝申しあげます。

 

そしてそれらを、来たる12月2日に、全国に展開する絵本学会の研究者のみなさんが、明治学院大学図書館を閲覧の会場とし、アートホールで研究会を開き、巖谷先生に「たっぷりと絵本とメルヘンの話を聴かせていただきたい」ということで企画・実現されます。

 

絵本学会の研究会には「一般参加」も大歓迎~とのことですから、私たちも★ぜみの延長として一緒に絵本でもりあがっちゃいましょう~! 

 

ここにいまいちど当日のプログラムを記しておきます。

 

*明治学院図書館「絵本とメルヘン・コレクション」展示

 見学可能時間:13:00~17:00(入館の際は、講演会場受付配付資料を図書館の入口にて提示)

 

*絵本学会 2017年度研究会

 絵本とメルヘン(巖谷國士先生登壇)

─明治学院大学図書館所蔵「絵本とメルヘン・コレクション」をめぐって─ 

 日 時:12 月2 日〔土〕 14:00 ~ 16:00(13:00 開場)

 会 場:明治学院大学白金キャンパス アートホール(パレットゾーン白金2F)

 参加費:無料|事前申込不要(定員:150 名先着順)

     

 主 催:絵本学会(研究委員会 担当:本庄美千代、松本育子、みつじまちこ) 

 後 援:明治学院大学図書館

 問合先:絵本学会事務局 mail: office@ehongakkai.com

 

***

 

いっぽう、私たちMont Analogue★事務局では、★先生の講演の機に乗じて、第20回をかぞえる夕食会も企画しています。なんと! 2017年末に「20回目」ということで、今回は鎮海楼を18時から貸し切ってしまいました! 会場には40人+αまで入れますので、みなさんどしどし「参加希望~」とお知らせください。

 

近年の鎮海楼…かつて中学生だったお兄ちゃんが立派な店主となり(マダムもお父さんももちろん健在!)、改装された店内も次々やってくるお客で賑わっています。学生時代に通っていた当時に比べると、多少味も価格も変わった…ように思いました(あるものはサイズダウン、あるものはカット大で価格アップ)が、それはいまの世相に起因するものであり、店に文句をつけるような問題ではなく、むしろずっとあの場所にありつづける鎮海楼に、私たちはこれからも通いつづけなくてはいけないわ!…と、思いを新たにしたところです。みんなで鎮海楼の餃子をつつきながらおしゃべりしていると、いよいよ「満足!」です。

 

マダムもお父さんもお兄ちゃんも、12/2の食事会に腕をふるってくださる!とのことですから、

みなさんも、ふるってご参加くださいね。

 

日時:2017年12月2日(土)18:00開店|18:30スタート

場所:目黒駅より徒歩3分 中華料理 鎮海楼

会費:3000円(飲み物代別途) 

 

前回同様、あらかじめ夕食会への参加希望人数を把握したいので、参加をご希望の方は、

申込締切:11月27日(月)を厳守の上、

かとう(やまもと)ゆきこさんのアドレス 

yuki-mk2☆key.ocn.ne.jp(☆→@)

までご連絡くださいますよう、かさねてお願い申しあげます。

 

2017年

10月

21日

巖谷國士★講演「澁澤龍彥 文学の旅」@世田谷文学館

澁澤さんの生涯を通じて、その作品と人格の変化、円環、類推、伏線、呼応を語っていく★先生。年少の友人として生涯にわたって付きあい、澁澤さんが亡くなってからもその作品と付きあい、書きつづけてきた★先生にしか語りえない今日のご講演は、まさに入れ子の宇宙のようで、かなしくせつなく、鋭く、本当に感動的でした。
 

亡くなるまで高丘親王航海記を書きすすめる様子、それ以前の作品からもつきまとう珠・玉・丸・円・空洞の芯。遊ぶインファンティリズム。観念からオブジェへの変化。記憶のプール、アンソロジーとしての自我を持つ澁澤さん。東洋も西洋も区別せず類推し、過去はやがて戻ってくる。彼のアナクロニズムとモダン。ときに鏡のように自分が二人になって、それぞれを客観視する。
書くことについて自分を追いつめ、「小説」へと向かう堀内誠一さんとの手紙のやりとり。澁澤さんの病気と、高岡親王と、「類推の山」との呼応。

 

まだまだ書ききれませんが、澁澤さん独特の字体を示しながら★先生が私たちの眼前に広げてくださった世界は、はてしなく円環する話中話のように、私たちをつつみこみました。この続き、詳細は、ついに刊行された澁澤龍彥論コレクションⅠ・Ⅱ「澁澤龍彥考 略伝と回想」「澁澤龍彥の時空 エロティシズムと旅」をにてご覧ください!扉の★先生の写真も必見です。(okj)

2017年

9月

04日

巖谷國士★講演「合田佐和子さんの思い出」@銀座ブロッサム「ミモザ」(森岡書店 銀座店主催)

「合田佐和子 90度のまなざし」展(2017年9月4日-10日、森岡書店銀座店)の関連イヴェントとして、巖谷國士★講演「合田佐和子さんの思い出」がおこなわれました。巖谷先生の語りの遠景にひっそり、だがはっきりと存在している合田さんのまなざし。

本展は合田佐和子著『90度のまなざし』(港の人刊)ただ一冊だけが店頭にならび、合田さんによる「眼」のドローイングと一点の油彩が展示されるという企画です。

先月刊行された『合田佐和子 光へ向かう旅』(平凡社刊)に寄せられた巖谷先生の巻頭エッセー『「眼」の人 合田佐和子さん」とも通じています。岡安圭子さんによる朗読で『90度のまなざし』から「祭」と「レンズ効果」を聴くことができたことも幸いでした。

講演の冒頭ちかく、同書が偶然にも武田百合子さんの遺稿集『あの頃』と同時期に刊行されたことにふれ、性質の異なる二人は「見者」、すなわち見る人であることで共通していると先生は指摘します。それは「あるがままに見る」という意味ではなく、「物を見たい」という根源的なものをもっていたのだ、と。

「見る」ことはしばしば教育によって画一化されてしまうが、そのような常識や紋切り型を否定し、自分の見方を探求する人。「自由な人」とはこの世界が自由でないことを知り、それを獲得しようと試みる人のことである。

 

先生と合田さんは友人同士で年齢も近かったが、実際に交流が始まったのは互いの仕事がすでに確立していた80年代になってからでした。しかし60年代に瀧口修造を介し、その存在を間接的には知っていた。その頃の合田さんが捨てられたもの、役に立たないもので制作したオブジェ(人形)たちは、高度成長の時代、すなわち格差を生む一種の「戦争」の時代へとその眼を向けていた。それは既存の役割から「もの」を解放する、ダダ・シュルレアリスムの精神とも共鳴するものでした。

先生は日本経済新聞の連載「植物幻想十選」で合田さんの「Rose」を取りあげています。合田さんは植物ならバラを好んで描きました。描いたように見えて実は写真であるこのバラの渦は、洞窟のように、奥へ奥へと「眼」をさそう。そこには「ノスタルジア」(幼年期の思い出を越えた、太古への、自然と連続した世界への思い)がある。

★の語りの中に見え隠れするまなざしは、私たちの時代にも目配せをし続けています。

 

ymk

 

2017年

5月

13日

巖谷國士★講演「現代美術としての備前焼」@ギャルリー宮脇

5月13日、京都ギャルリー宮脇での巖谷國士講演「現代美術としての備前焼」、すばらしかった!
楽しかった! ありがとうございます。
会場に入ると伊勢崎淳さんのオブジェの数々に迎えられワクワク! そして先生のお話を聞いたあとで、またオブジェたちと新たに出会ったり、挨拶したりできる幸せ! なんという素敵!
備前の土があり、水があり、風があり、木がある。その風土、その自然から生まれるからこそ、伊勢崎さんの作品にはどことなく生命が宿る。土が生命を帯びてその形になっている。生まれつきのアニミズムがある。
偶然かどうか、会場にはミロの大きな絵。そのミロも陶芸もやっていて、やっぱりその土地カタルーニャの土や自然などから発想したものに、生命が宿っている。風土そのものから妖精を呼び出すことをミロはやっている。伊勢崎さんも備前の土地でそれをやっている、と。
そんな偶然から繋がる即興ライヴ講演って、ほんとに楽しいです!やがて講演も、アニミズムを帯びて、妖精を呼び出していくかのよう!
伊勢崎淳さんと巖谷先生との出会いの話から、伊勢崎さんとオブジェの話、伝統と革新の話、伊勢崎さんと岡崎和郎さん、瀧口修造やミロや砂澤ビッキのお話などなどなどまで! 先生だからこそ伺えることが次から次へ。満席(階段にまで座っていらっしゃいました)の参加者みんな夢中になって、あっというまの1時間半でした。

備前の風土からオブジェを創る伊勢崎さんが、ミロの作品に出会いに行ったり、砂澤ビッキの作品に出会いに行ったり、その土地へ足を運んでいる、ということ。備前にとどまらず、「国家」の壁を作らず、いつも世界を向いている、それが伊勢崎さんの風土だといえると思う、と、先生はそう締めくくられました。
感動しました。ありがとうございます。       
nawa
0 コメント

2017年

2月

18日

巖谷國士★講演「マン・レイ/オブジェ/シュルレアリスム」@ヨコハマ創造都市センター

 

この日限りの、マン・レイの作品公開。軽井沢セゾン美術館からやってきたオブジェたちは、★先生がオブジェとは何かをギリシア語の語源から語るのそのままに、われわれの「前に投げだされて」いました。

 

マン・レイは、オブジェにあらかじめ意味や「正解」を与えることはしません。オブジェは、意味も役割も用途もメッセージもなく、人間の主観や内面と断絶したところに、投げだされる「モノじたい」なのです。そこにわれわれが何を読むか。アナログ思考がはてしなく展開し、自由の、未知の世界にひきこまれ、知らないあいだに世界のはてまで連れていかれるような旅がはじまります。

 

これが「国家」や「資本主義」による支配にとっては都合の悪いことで、「戦争」は人間も含めてあらゆるものに用途を強要し、国家のために用い、役に立たないものを排除する--と鋭く指摘する★先生。20世紀からはじまるこれらに支配される現代において、オブジェはそうしたものからの解放といえます。

 

マン・レイは第一次世界大戦がはじまって以降、『戦争』や『ふたり』という絵を描いたり、『資本主義』という風刺漫画も描いていました。★先生はマン・レイのロシア系ユダヤ人としての出自を語り、マン・レイのものの見方の立ち位置や客観性を語ります。すべての作品はセルフポートレートともいえ、自らの顔も名前も人間そのものもオブジェ化していることを指摘。生活のための仕事としてのファッション写真ですら、マン・レイが撮ると「商品」としての用途から解放されているのです。

 

次々とマン・レイの作品を映写しながら、マルセル・デュシャンとの関係、オブジェと写真作品とのちがい、作品『贈り物』にみる身体感覚や戦争との関係、オブジェが作っては壊されることにマン・レイがみる永続性、マン・レイの映画観、錯視とことば遊びの永遠に連鎖するアナロジー、身体を楽器のアナロジー、『ペシャージュ』は「桃風景」だけではなく「罪風景」でもあり、三美神のアナロジーは★写真作品へも連鎖していること……などを展開し、われわれをアナロジーの魔のただなかにおいて驚嘆させます。

『われわれすべてに欠けているもの』というオブジェから、永続性や人間の属性、マン・レイが映画に撮らせたシャボン玉、レーニンの言葉にまで連鎖したことは、本当に感動的でした。

 

★先生が語るマン・レイの底無しの謎、永遠に追いたくなります!解放!

(okj)

0 コメント

2017年

2月

04日

巖谷國士★講演「澁澤龍彦の宇宙誌」@世田谷美術館講堂

 

★先生は1963年、二十歳のときに澁澤さんと出会いましたーーそして澁澤さんが亡くなってからすでに30年が経ち、★先生は今も、澁澤さんとつきあっているように感じているといいます。

 

さまざまな世代におよぶ澁澤本読者にも数多く出会う★先生は、その世代によって澁澤龍彦をどう呼ぶのか、澁澤龍彦を呼ぶその呼称の異なることをおもしろく指摘します。団塊の世代の男性読者は「シブサワ」「タツヒコ」はては「シブタツ」……と呼ぶのに対し、若い女性の読者は「澁澤さん」と、まるで身近なお兄さんを呼ぶように、それぞれの私の抱く澁澤龍彦像を話しだすのだそうです。

 

澁澤さん自身も「私」を主語にして書くことが多く、生涯「私」とは誰かを問いつづけ、その著作のなかで次々と変化して広がってゆく「私」を展開、浮き彫りにしました。美術にせよ「私はこれが好きだ」からはじまる澁澤さん。好きなものをずばり「好きだ」といい、それはなぜかを問う。個人的な事情は「気質」という言葉を使うにとどめ、自分の内面や体験にさかのぼったりすることはしません。現代の人間のものの見方、心境、症例を含めて探り普遍化してゆく。「私」はいつのまにか「わたしたち」になり客観化されて惹きこまれ、読者のなかに澁澤さんが作られて、澁澤さんの「私」と読者の「私」が同一のもののように錯覚されてやがて私たちは親しくなってしまうのです。

 

好きなものを決めつけるのではなく、類推される事柄と結びつけながらどんどん広がって、やがてそれがくずれて溶けてゆくーー時間の流れとともに展開してゆく過程は、澁澤さんの最後の小説『高丘親王航海記』そのもの。

 

60年代のサド裁判の進行と64年東京オリンピックや70年大阪万博への嫌悪と「私」の変化を自覚しはじめた70年代以降と、澁澤さんとの出会いから時間を追って澁澤龍彦像を展開してゆく★先生。

 

出会ったとき、また鎌倉の自宅へ呼ばれたときの澁澤さんの描写、着ているものから体の動き、会話や反応、一緒に歌った歌までーーまるで澁澤さんが目の前に現れるかのような迫真の記憶力で、わたしたちは驚嘆し、澁澤さんのインファンティリズム、稚拙でモダン、を真に体験するのでした!

 

さらに★先生は、スライドを使って『夢の宇宙誌』などから澁澤さんのミクロコスモス、驚異、エグゾティスム、アナクロリスム、発見とアナロジーの旅、植物への想い、東と西のマニエリスム、自筆デッサンにみる気質、彼のもっとも好きなものたちなどを次々と見せ、わたしたちを驚異と変容の旅に誘いました。

 

★先生と澁澤さんの出会いにはじまる旅は今も続いており、それは「わたしたち」のなかに反射しているかのようです!

(okj)

2016年

11月

19日

巖谷國士★講演「絵画とシュルレアリスム アンドレ・ブルトン再発見」@ギャルリー宮脇


巖谷先生の講演「絵画とシュルレアリスム アンドレ・ブルトン再発見」は、ミロのかわいい奴らやキリコのおかしなマネキン、エルンストのちっこい鳥星人などに見守られながら、行なわれました。

ブルトンの『シュルレアリスムと絵画』の冒頭を飾る一文「眼は野生の状態で存在している」。
巖谷先生は、これをどう読むかという問いからはじめます。野生とは文明化される以前を指すため、「野生の目」とは、常識や慣習にとらわれずに(言葉のない状態で?)ものをみる行為のことです。ふつう、この「野生の眼」は画家の眼を指すと読みがちですが、先生は、さらに「絵を見る観者の眼」として読む必要があるとおっしゃいます。

『シュルレアリスムと絵画』は、シュルレアリスム「と」絵画の関係を扱っているのであり、いわゆる「シュルレアリスム絵画」の様式や技法について語った本ではありません。「シュルレアリスム絵画は存在しない」というピエール・ナヴィルの主張をブルトンはまったく問題にせず、つまり様式や方法としてのシュルレアリスムを否定しながらも、シュルレアリスムが絵画をどう「見る」か、ひたすら追求しました。

だからブルトンは絵画を「窓」とみなし、単なる構成された平面ではなく、そこから見わたすかぎりにひろがる「風景」のなかへ眼で分け行ってゆく過程を演じているのではないか。それゆえ、その森や町などの風景がわたしたちの「共通の場所」にもなり、わたしたちはそのなかに生きている作者・画家にも出会えるのではないか。
ブルトンはピカソをまず登場させながらも、キュビスムの方法など問題にせず、やおらデ・キリコの広場や室内に入ってゆきます。ついでキリコの地平を受けついだエルンストやタンギーのなかに、戦争の時代の「共通の場所」の可能性を見出してゆきます。

ブルトンの『シュルレアリスムと絵画』は、野生の眼で絵画を「見る」ことの実践こそが、魅惑的であると証明した、例外的な本です。先生のお話を聞いていると、美術史を様式や方法の展開ばかりで合理的に「構築」する現代の教科書式な批評が古びてみえます。ブルトンの詩的エクリチュールは誰にもまねできない唯一のものですが、わたしたちはブルトンのそれを読み共感することで、共有することができます。

この閉塞的な時代にこそ、ブルトンの絵の見方、絵の生き方を再発見すべきだ、と先生のお話を聞きながら強く感じました。

(はせ)

2016年

10月

15日

巖谷國士★講演「アンドレ・ブルトンとは誰か」@LIBRAIRIE6/シス書店

LIBRAIRIE6/シス書店での巖谷國士★講演「アンドレ・ブルトンとは誰か」を、今回はymks/guwashiの二人でレポートします!

 

本講演は、『ユリイカ』の臨時増刊特集号「ダダ・シュルリアリスムの21世紀」〜アニー・ル・ブラン来日〜「岡崎和郎 Who's Who- 見立ての手法」(千葉市美術館・北九州市立美術館へ巡回)〜同美術館での巖谷國士★講演「Who’s 岡崎和郎ーオブジェ・ダダ・シュルレアリスム」にまで繋がるすばらしいものでした! 

 

偶然の出会いによって誘発されるアナロジーの連鎖。今でこそ「〜は誰か」という問いはウィキペディアで済んでしまう感覚をもたれているが、もちろんそれで済むはずもない!

 

「シュルレアリスムとは偶然の出会いを理解することではないか?」という巖谷先生の問いかけは「アンドレ・ブルトンとは誰か?」という問いかけ同様に、それ自体が答えでもある。 問いはあらたな問いを呼ぶ。それは『ナジャ』という書物の特性でもある。

 

講演では「著者による全面改訂版」と銘打たれた1963年版から翻訳した『ナジャ』(岩波文庫、2003年)を片手に、そのなかのイメージにまで話はおよぶ……読めば読むほど問いが生まれ、イメージ同士がアナロジーによって結びついてゆく。それはテクストから呼び起されるものだけでなく、収録された写真にも同様の作用がはたらく。エリュアールやペレといったシュルレアリストたちの肖像写真にとどまらず、さまざまな写真を「読む」ことでアナロジーはどんどん拡がってゆく……『ナジャ』も★先生のお話も、出会いとアナロジーの連鎖へと読者/観者を誘う。

 

ドゥルイ氏〜最高だ〜!! もっと『ナジャ』の話をききたいです!

(ymks)

 

恵比寿の LIBRAIRIE6/シス書店。店内は巖谷國士先生の1時間の講演を聴きに集まった人たちで溢れていました。壁際に立つ人、床に座り込む人、誰もがそわそわと 落ち着きなく待つなか、「それではそろそろ始めましょうか」と先生の穏やかなひと声で講演がはじまりました。

 

テーマはアンドレ・ブルトンとは誰か。今回はブルトンの作品で、「私は誰か?」から始まるブルトンの著書『ナジャ』の中の写真を読み解くことから彼に迫っていきました。

 

先生に促されて見る写真はどれもがどこか奇妙で、不自然で、何やら秘密めいている。そして写真に関する文章も一読しただけでは意味がつかめない。まずは写真について誰? 何? なぜ? と。ついで、写真に施されたトリミングやぼかしの跡にも触れて、私たちの感じる「なんだか変」を丁寧に拾い上げていきました。その後は先生による写真にまつわる文章の朗読。つかみどころのない文章は、読み上げる先生の絶妙な間と調子とにあいまって店内に笑いを誘います。

 

皆で笑いながら先生の声に耳を傾けているうち、私たちは先生のアナロジー、類推の世界に引き込まれていきました。先生が発するアナロジーはさらなるアナロジーへと連なっていく。その一つ一つに絡み合うブルトンの人生。それを会場に居合わせた人とともに追体験する不思議な世界。

 

そうして先生に導かれ『ナジャ』の写真と文章に散りばめられた類推の種を読み解いてゆくと、ブルトンが分身のように感じた懐かしい友や、分かり合えたシュルレアリストたち、そして本のタイトルにもなったナジャが姿をあらわしました。そして彼らとの辛い別れも。

 

アナロジーの世界からブルトンは呼びかけてきます。 偶然出会った人とのつながりは、いかなる理由で別れを迎えたとしても、心の中から消えてなくなることはない。大切なのは出会い。出会うこと。このブルトンの声はそのまま先生の声と重なり、ズンと私の中に落ちていきました。

 

最後に。

時間が足りない……この続きはもっと時間をかけて、もっと多くの人とこの体験を共有できたらと思います!

(guwashi)

0 コメント

2016年

10月

01日

巖谷國士★講演「Who’s 岡崎和郎ーオブジェ・ダダ・シュルレアリスム」@千葉市美術館


WHO'S WHO (who is who?)ーー「人名録」あるいは「誰は誰?」とも訳せる謎かけのようなこのタイトルから、岡崎さんの編む「人名録」あるいは、問いかけ「誰は誰(何)?」に迫ってゆく★先生!

人のみならず自然や身の回りのどんなものにも働く私たちの想像力と類推の力……「見立て」とは世界をアナロジー(類推)でとらえ、言葉だけでなく、ときには記録やオブジェの形をとって、私たちの目の前にポンっと提示させること!

そもそも「見立て」は、私たちの生活のなかでもさまざまに使われ、日本文化の基礎ともなりうる思考・表現方法であり言葉です。見立てること、擬(なぞら)えること〜といった人間本来の思考方法によって、似たもの同士がどんどん繋がり、連鎖して円環を描くように大きな世界がたちあらわれてくる……

私たちが毎回、★先生の講演を聴いて目からウロコを落としてる、あれのこと! 目の前のもの、テーマにしていることが、★先生の密やかな合図で「きゃ、これって世界の縮図だったの⁈」みたいな……

アナロジーはデジタルやミメーシス(模倣)とはまったくの別物で、★先生は「アナログ/アナロジー」の古代ギリシア語源「アナロギア」にあたって、詳しく解説をしてくださいました。
アナ=似たものや対応するものを脇に置き…ロギア=それをつけたり離したりしながら言葉や形として記録する……このアナロギアな作業から生まれたものを、岡崎さんは「補遺(ほい:サプリメント)」と呼んでいるとも★先生。         

さらにここから「岡崎さんとは誰か?」について語られます。
★先生が瀧口さんを通じて岡崎さんと出会った物語……やがて岡山出身の岡崎さんを通じて備前焼の陶芸家・伊勢崎さんとも出会ってしまう物語……人間関係もアナロジーのように連鎖して、はてしなく拡がってゆく……そして強度の「出会い」とは何か? まで。

★先生が1982年に富山にて瀧口修造の追悼展で岡崎さんの作品《HISASHI》を初めて見たときから、二人の関係は感覚的に具体化し、横田茂ギャラリーでのひっそり展示(告知するデジタル情報はいっさいなし。現在もWikipedia 情報すらない!)に際し序文を執筆することになって以来、たがいの対話がいよいよはじまったのは、2011年の東日本大震災以後だったと★先生は言います。

震災に感応し、自然に近づき、自然とつながっていった岡崎さん……北斎版画にアナロジーで結ばれ、「消し絵」(実際は足し絵、サプリメントであると★先生!)という新しい世界が生まれました。そして岡崎和郎展によせて「オブジェ論」をやってみようと★先生と目くばせし、このたびの『ユリイカ特集号  ダダ・シュルレアリスムの21世紀』に収録された「対談」へと連なります。
この「現代」において唯一有効なのは「シュルレアリスム」であり、その表紙にふさわしいのは岡崎さんの作品以外ないと確信していた★先生。この展覧会タイトル「見立ての手法」にも「手」が入っている重要性をいい、また「見立て」とは意図されるものでなく、結果として私たちが多様に読みとるものであることを、指摘するのも忘れません。

本展図録に掲載された、たった1枚の岡崎さんのセルフポートレート《手びさし》から「岡崎さんとは誰か?」を無限に見立ててつまびらかにしてゆく★先生!
オブジェもまた「見立て」の手法・手段であるといい、デュシャンの《泉》を例にオブジェの威力を示しながら、岡崎さんとデュシャン、マン・レイとの関係を明らかにしていきます。岡崎さんにしかつくりえない《HISASHI》という領域についても……展示作品や図録の掲載作品を次々と示しながら、★先生は「Who's 岡崎和郎」の核心へと切りこみ、ときにさらっとほのめかして、無数のアナロジーを浮遊させていきます。
ヨーゼフ・ボイスとはちがう、単純ですばやい一瞬の見立て。
休息していた記憶をよみがえらせる作用…戦争・原爆・黒い雨…意図せずともオートマティックに出現させる。
人工的に見える鉄ですら、そこに自然物としての記憶、武器としての記憶がよみがえる。
手の刻印からは芸術の発生や大地から疎外された人類が自然界に再び参加する営みまでをも見通してしまう。
マン・レイのその先(次)をいく仙人掌の見立て。
一升瓶やソフビの内側の型どり、世界の皮膜、事物の裏返し。
りんごという無限のアナロジー。りんごが先か、矢が先か。矢とは何か……岡崎さんと瀧口さんの出会いから読みとく。リバティパスポートに導かれる自由な出会い。
《Wink Ring》のアナロジー……マルチプルであると同時に1対1の関係であるとずばり!
それは障壁ではなく、 空間を上下に切って庇ってくれる自然物の《HISASHI》。
北斎の自然界のダイナミズム、絵のなかでオブジェとして共生する自然と人間。
これぞずばり現代!と指摘する《ウィリアム・テルの記念碑》。「りんごを射よ!」というほのめかしに背筋がゾクゾクします〜。

岡崎作品はアナロジーの無数の山、そこに動的な宇宙が見える〜と語る★先生ーー意味がどんどん浮遊して広がっていき、岡崎さんの作品が彼のほかの作品ともじつに軽妙につながってゆくのです。
なんてオートマティックでシュルレアリスムなんでしょう! ルネ・ドーマル『類推の山』の話中話「空虚人と苦薔薇の物語」のうつろびとと、岡崎さんの空洞を実体化するという創作行為とが、ふるふると結びつきます〜。
人間にとって本質的なこと、そして芸術の起源に迫る★先生のお話は、本当に感動的でした。1対1の、私たちへの贈り物そして出会いですよね。
岡崎さんの生涯にわたる作品と、「岡崎さんとは誰か?」「誰は誰か?」「誰は何か?」を普遍的に語り、ひっそりと過激に「現代」に迫るご講演。この日会場にやってきた観客1人1人に応え、内容を展開してゆく★先生の無数のアナロジーとウィンクが、点滅★またたく、素晴らしいご講演でした〜。
(okj)

2016年

6月

18日

巖谷國士★講演「旅への誘い 観光・文化・自然」@札幌TKP

「旅」という言葉を味わい、古くからのさまざまな旅にかんする知識を深め、「本来の旅とは何か?」を探るーー「『旅』をテーマに多岐にわたる話を聞き、地域観光政策に役立てよう」と企画された今回のセミナー。

企画担当のI氏は、なんと★旅本ファン! 

★先生は「北海道の自然・歴史・文化~札幌★7選」を紹介しながら、北海道の魅力がその風土だけによるものではないことを観客に気づかせる。

 

ご著書『旅と芸術』をひもとき、驚異・発見・夢想の旅へと誘い、現代の旅を案じ、これからの旅に一石を投じる。その歴史と自然、国境ばかりか、さまざまな壁や思考の壁もとりはらう、壮大無限な★先生の「観光・地域政策セミナー」は、私たちの旅細胞を増殖させ、新たに森に生まれて旅する感覚を呼び覚ましてから、原初の森における無限の出会いへの期待をたかめるものだった。

 

∞ ∞ ∞ ∞ ∞

 

日本列島をひとつの国と考えるべきではない!

北海道には本州とは異なる歴史がくりひろげられてきたことを再認識。

翡翠・タカラ貝……遺跡出土品に、縄文時代からの交易を見る~糸魚川~沖縄~台湾~アムール川流域~国の別がなかった昔。遠地とのさかんな往来からアイヌ(沿海州・千島・樺太などの先住民)文化へ……。「自然」と共生して暮らす時代が長くつづいた。太古にはパスポートなどない。たがいに移動し融合してきた北海道!

 

そこでちょいと寄り道。「札幌★7選」の最初に挙げられるモエレ沼公園へ。

二重国籍に苦悩した独特の旅人、世界にも稀な彫刻家・イサム ノグチが晩年に設計したところ。「人類とは何か?」所属がわからないことが、芸術をひろげていった……と。

 

雨空からパッとひらいた広い空! その日の朝、私も緑の芝の小さなオブジェになっていた。

そこは宇宙の縮図! 地球の縮図!独自の風土と歴史をもつ北海道だからこそ、あんな空間づくりが可能になった。序章にして、北海道がその手をのばしてひろがりながら、まぁるい地球になってゆくのを見る。

 

『旅と芸術』もあらたな観点からも考察してゆく。

 

◆「旅」という言葉から、本来の旅を探る。

英語travelは、フランス語travail (労働・労苦)から派生した言葉だとか。旅には苦労を伴う感覚が……。

 

◆「旗」と「人人」→漢字「旅」。

旗を持って人々を連れ歩く~中国語では旅団。

 

◆日本語の「たび」の語源は?

たひ・他の日・外の日・他の世・他の火(=食べ物がある所)~そして語源が同じ「食ぶ」+「給ふ」→「別の処へ行って食べ物を給はる」柳田國男説。本来、旅は野宿して食べ物をたまわること~枕詞は「草枕」。旅の暮らしには苦労を伴う……旅芸人・物乞い。

 

いろいろな意味をもつ「たび」は、いいことば!と★先生。なるほど実に奥深い!

ほかの火には「暖」の意も?

ずぶ濡れtravail travelののち、有島邸で燃える火が嬉しかった~ついさっきのこと……芸術の森。

 

前述「たび」の奥深さが詰まっている『奥の細道』序文。

日々旅(journey)・旅に死せるあり(travail・草枕)・旅を栖とす→移動するのが人であり、旅!

定着しても定住しない。「一時ほかの場所へ……」、観光旅行と混同する広辞苑の「旅」定義がまたもや覆る。

 

◆人類の移動(多様性と驚異)

アフリカのイヴの長い長い旅の過程~最終氷期、地続きだった樺太経由で(青函は早くに分断)北海道~列島全土~ベーリング海峡を渡ってカナダへも……。米インディアンと縄文人とアイヌ人は文化的にも共通する。

 

カナダ滞在後、彫刻への概念が変わったという砂澤ビッキ。彼やその作品がすばらしいのは言うまでもない(『森と芸術』参照)。彫刻作品『四つの風』はビッキの遺志に従い、自然が「風雪という名の鑿」を加えていくままにした……作品が時間を旅し、そのまま腐食してゆくままにした。

 

北海道には「国家」という枠を超えてしまうような解放感がある!と★先生。

 

種族や文化の違いは多様性に過ぎず、差異はあっても優劣の差はない。差をつくるのは文明。差別は植民地「国家」によって生まれた。イヴがひろまってゆく長い旅の結果に生じた多様性。その多様性の驚異や不思議に出会う体験が旅であり、遺伝子の多様性を保つためのDNAレヴェルの旅が人間の本性にはある。壁や海の向こうはーー夢想旅。

 

◆人間は移動を続けている生物

◇交易・探索(狩猟・採取)・遠征~◇放浪~本性◇巡礼=観光の起源~延長に物見遊山。自然信仰の日本~崇めるしかない「自然」~人間はその一部◇遊行=行く先々で食べ物をたまわる~中世の偉大なる宗教家! 生涯旅・一遍上人◇漂泊の思い~漂いさまよう本性(芭蕉)

 

本性としてある「旅」は、日本でもさまざまに表現されてきた。

 

◆古来より文学にも旅!

◇歌枕~歌に詠まれたところを訪ね歩く◇神話・伝説(古事記~死んで鳥になって空の旅~死後の世界にも…)◇和歌(万葉集)◇御伽草子(浦島太郎ほか)◇俳諧(芭蕉他)◇旅日記(『更級日記』千葉から京都へ。貨幣の代わりに名産品=土産~ほか)◇探検記(『日本奥地紀行』英国女性がアイヌの調査まで~ほか)、漫遊記(東海道中膝栗毛)

 

◆古来より美術にも旅!

◇絵巻物~旅・時間を描ける(cf.一遍上人絵伝)◇挿絵◇浮世絵◇北斎◇ビゴー

 

■北海道の自然・歴史・文化~札幌★7選

知るほどにおもしろくなる! たくさんのものが見えてくる! 北海道の旅がひろがる! ふくらむ! みなさんも訪ねる機会があったなら……。

 

 1 モエレ沼公園(ガラスのピラミッド・プレイマウンテンほか) 芸術にして子供の遊び場となる作品が多いイサム・ノグチ。最も愛したのはインドとメキシコ。

 2 野幌森林公園(北海道博物館、開拓の村、北海道埋蔵文化センターほか)。

都市の真ん中に圧倒的大きさと驚異! 植物もまた進化の旅! 北海道の歴史がわかる! 日本国の歴史とは全く違うことがわかる! ガラスケースには糸魚川の翡翠がいっぱい!

 3 北大植物園(アイヌ資料館ほか)・北大(総合博物館)

 4 芸術の森(美術館、野外展示:砂澤ビッキ、ダニ・カラヴァンほか、旧有島武郎邸)

 5 円山公園とその周辺(宮の森美術館、道立美術館、旅人・三岸好太郎美術館ほか)

 6 中島公園(豊平館、八窓園、天文台、野外彫刻、安田侃ほか)

 7 大通公園(旅によるブラックスライドマントラ~イサム・ノグチ、サンクガーデン、市資料館、街路樹ほか~)

 

■美術・文学・漫画~北海道出身あるいはつながりの深い作者たち。美術では(多民族的)彫刻家~森のくに、文学では旅の人、漫画においては女性・SFに結びつく人が多い…かな~。

 

≪美術≫

国境のないイサム・ノグチ、砂澤ビッキ、安田侃、本郷新、旅の人・三岸好太郎、圧倒的自然と片岡球子ほか

≪文学≫

SF的小説説に北海道を感じる旭川生まれ満州育ち・阿部公房、岩田宏(多国語翻訳家・詩人)、大震災も旅のきっかけ~瀧口修造、石川啄木、野口雨情、小林多喜二、有島武郎 宮沢賢治 武田泰淳 三浦綾子ほか……富国強兵暴走国家の影も

≪漫画≫

岡田史子(独特なポエジー)山岸涼子(アラベスク…ロシア)佐々木倫子(動物のお医者さん)野田サトル(旅物語『ゴールデンカムイ』…アイヌ) 現代の遊行者・吾妻ひでお

 

そして★著書が、驚異・発見・夢想の旅へと誘った

★『〈遊ぶ〉シュルレアリスム』

旅とつながる、字も似ている「遊ぶ」。機械に見るアソビ部分は計算されていない部分…ふむふむ、おもしろい!

 

★『幻想植物園』

植物をめぐる旅~植物に見る「自然」の生命力・変化・再生。北海道いたるところ、そのまま植物園~いつでも幻想の旅!花の浮島浮遊!

 

★『旅と芸術』

画像映写。終了予定時刻が迫るころ……息をのんでいたのか、静まりかえっていた会場に、音はせずとも、身をのりだすようなざわめく気配! 前方スクリーンに映し出されたのは『ヘレフォード世界図』! 時代の世相や流行を映す作品に「驚異・発見・夢想」である旅の変遷を……その時代を背景に生まれた文学や美術や博物誌を、急ぎ足ながら映像で見ていった。最後となった明治20年代の災害を描いたビゴーのスケッチに、旅をして見るものの違いを指摘。「国家」ではなく「くに」を描きのこしている~外国人が残した日本の庶民たち(被災者たち)の姿。

「災害を防ぐ唯一の方法は記憶と記録である」日本列島すべての人が常に心に刻むべき、寺田寅彦のことばを引かれた。テクノロジーが進歩するほど被害は増大。テクノロジーで対処しようとするのは旅をしない人の発想。現代日本の一種の病気!と警告。(三陸被災地の切土による盛土は早くも崩れている)生き延びてゆく方法は「自然」との共生。そのためには「壁」をつくってはならない。自然に対してたたかう姿勢を見せるのは、定住者による壁の内側を守ろうとする発想。

 

本来は、歩いて移動していた。道を歩いて何か不思議に出会うことが旅であり、人間の本性でもある。

見るべき点(ポイント)ばかりを見て帰るのではない!観光が情報化されると、点ばかりの旅となり、本来の旅が失われかねない現代。予定通りではなく、点を線で結びながら、迷いながら歩くのが旅。

原生林のなかを、次は誰に会うか?

道に向かって歩く旅をとりもどさないと!

はるか昔からそれをしてきた人類は、それを捨てることになる~私たちの危機感を募らせた。

 

北海道はその開放感ゆえか、旅細胞を増殖させちゃう不思議なところ! 札幌★7選の一か所でも訪ねてみたなら、昔からの旅の感覚一気に回復!

 

Mont★Analogueのおかげで、あいにくの天気も、幸いの天気に思えたり!★魔術に感謝です!

(株)D社のIさん、受講要望をお聞き入れいただき、ありがとうございました!

 

ご講演の合間にふとされた、新幹線は必要なかった昔の北海道周遊券旅行のお話~各停長距離列車★内部が木の汽車だの……途中駅のホームからサンゴ草に染まる湖を見たり……似たり寄ったりの旅を重ね、旅の変わりようを思う。高速化→北海道は廃止された路線も多い。

(violet)

2016年

5月

08日

巖谷國士★講演「旅への誘い〜文学・美術・自然〜」@柏崎市文化会館

柏崎での★先生の講演をめあてに、モンアナログ的旅(を愛)する人々が知らず集まり、今回もそれぞれが、游文舎主催のもりだくさんの柏崎と春の日本海を満喫してきましたよ〜。
おそらく集まった人たちの訪ねたさきざき、見てきたものいろいろを集めただけで、柏崎ガイドブックが1冊できてしまうほどでしょう!

米山さん(山)と日本海のあいだにぽっかり生まれた文化(あらゆるものを愛で、集め、酔い痴れ、娯しんだ)が、これからもますます熟成され、受け継がれてゆきますように!

柏崎に到着してから2日間(前日入りしたのです!)、★先生が指さす先に見た(見せていただけた)もの数かぎりなく……
飯塚邸の庭園にいまものこる、地震にも落雷にもひるまぬ異形の植物、鉱物たち。市立博物館にあるナウマン象の化石や縄文土器、「一遍上人絵詞伝」と新天地を求めて大陸へと旅だった柏崎の満州移民の足跡と運命、木喰像たち。図書館の保管する新潟の町や雪山や駅や海、村や田畑や油田の映しだされた古絵葉書コレクション、などなど。
旅人たちのコレクションをひとつずつ結んでゆくだけでも、柏崎の今と昔を旅した気分になります。いま眼のまえに広がる森や米山、日本海に浮かぶ蜃気楼のような刈羽原発もまた、柏崎なのでした。

そして講演で柏崎こそは旅にかかわる〜というのも、旅する★先生の視点から眺めると、めくるめくものでした!  

縄文人のはるかな「交易」「探索」〜中世の一遍上人の踊り念仏とアンギン(縄文編みの衣)をまといながらの「遊行」〜近世の芭蕉の「漂泊」〜などを経て、ゴーギャンのタイトル「われわれはどこから来たのか、何者なのか、どこへ行くのか?」が講演の最中、つねに鳴り響いているようでした。そして旅としての人類史へとつづき……。

お土産にした柏崎銘菓「越の荒海」をかじりながら、ネーミングとはうらはらなその柔らかな味と食感に感心しつつ、柏崎での時間を思い出しています。今回も素晴らしい★旅と講演をありがとうございました!
 
trois

2016年

1月

11日

巖谷國士★講演「旅、外へ向う心」@下北沢B&B

下北沢B&Bさんの主催で、★先生のご著書『旅と芸術』をめぐるステキな講演会がひられました。ここでは展覧会の監修者というより同名の単行本著者として、★先生が4ヵ月間ものあいだ、旅するように書いてきた体験としての「旅と芸術」紀行を聞かせいただいたように思います。

 

書くことは「旅」すること、と★先生は語ります。本書『旅と芸術』は、旅の「文化史」とも「百科事典」とも評せるように編まれていて、序となる「旅から旅へ」はさまざまな時代の旅を予感させるように、★先生ご自身が旅人の身になって書きだされたそう。本文にはたくさんの「注」がついていて、それらもまた旅の途中の寄り道だったり、★先生が旅として体験している「書く」行為のなかで、なにかと出会う痕跡だったりするのでしょう。読者である私たちも、そんなオートマティックに紡がれる文章に誘われて、いつしか歩みを進めながらも立ち止まり、さっき出会ったような気がする……とページを行きつ戻りつ、本のなかを旅してしまうのですね。読む体験もまた旅……とはこのこと。

 

さらに本書のなかには、50篇をこえるコラム、巻末には人名解説が収録されていて、とくに人名解説のなかでも、★先生がオマージュを捧げている旅人などは一目瞭然「意いたりて筆したがう」とでも申しましょうか……簡潔な旅人列伝が並んでいて、これが百科事典とよべる所以です。たんなる人名解説に非ず! これだけのヴォキャブラリーをもつ著者を私はほかに知りません!

 

こんな風にページをめくるたびにさまざまな扉がひらかれ、興味のおもむくまま、さらなる旅へと誘われる書籍『旅と芸術』、皆さんもぜひお手にとってみてくださいね!

 

さあ、今回はymksくんが講演のリポートをしてくれますよ~!

 

***

 

 埼玉県立近代美術館の連続講演から約ひと月、下北沢B&Bでの★講演は、著書『旅と芸術』の成立をめぐる話から、人類の普遍的な習性「旅」をさまざまな角度から考察するものとなりました。

 

 埼玉近美の講演は出品作を見ながら行われたが、展覧会自体は副産物(!)であり、著書はそれに先立つ。「旅の文化史」とも「旅の博物誌」と評されることもあるという本書。「序ーー旅から旅へ」は、さまざまな旅を予感させると同時に、震災の年に刊行された『森と芸術』(★監修による同名の展覧会の図録も兼ねる)の序文、「森から森へ」を引継ぐものであることを予告する。

 

 書くことは「旅」をすること、と★先生は語ります。その語りも旅であり、読む体験もまた旅である、と展開することも可能でしょう。

 

 各章は「部屋」と呼ばれる。私たちはそれぞれの部屋に入り、いつの間にか歩き出します。そしてさまざまなものを見、感じ、そこで目にしたものが、のちに伏線だったことがわかる。本文の左右に設けられた余白には適宜註が施され、各「部屋」には53ものコラム、巻末には人名解説が配されている。これらは扉、あるいは窓がひらくように、私たちをさらなる旅へと誘います。この著書は展覧会終了後にも「我々はどこへ行くのか」、その道しるべになることでしょう。

 

 20世紀以後、現代は「旅」の時代であると同時に、猛烈な大衆化の時代でもあります。旅を社会学的な対象とするのでなく、体験してみよう、と★先生は呼びかける。難民問題は社会・政治の問題と捉われがちだが、そうではなく人類古来からある「旅」とも連なる。現在世界に遍在する人類はみな、「アフリカのイヴ」(と呼ばれる)のDNAが流れている。かれらは海岸沿い、あるいは川沿いに移動し、各地に定着しました。同様に、現在も難民たちは、移動し、また各地に定着している。それは日本でも例外ではなく、アルゼンチンにも沖縄の移民が集っている。

 

 生命は本質的に移動するものだが、「旅は人間だけがする」と★先生は指摘。人間の歴史は旅の歴史であり、エグゾティスム(「異国情緒」と訳されるが、そうではなく「外に向う心」のこと)がその核心にある。文明の起源は都市、文明を作ることにあり、都市は「壁」(あるいは「境界」)を作り、内と外の概念をもとにエグゾティスムは生れる。旅の語源は、「た(外)」と「び(日・火)」であるという説があり、そこからも「旅」は「外」を求めると云えるのではないか。★先生がたびたび話題に出す『進撃の巨人』、そこで描かれる「壁」に囲まれた世界は、そのメタファーとなっている。

 

 我々は『旅と芸術』をふたたび繙き、14世紀初頭の《ヘレフォード世界図》や15世紀末の『年代記』に描かれた地図を見、その時代の旅を、そして★先生の話からラフカディオ・ハーン(小泉八雲)やゴーギャンの旅を追体験する。「我々はどこから来たのか 我々は何者なのか 我々はどこへ行くのか」

 

 ゴーギャンの言葉を引用し、とくに重要なことは「我々はどこから来たのか」であると、★先生は導く。震災をはじめとした自然災害に常に見舞われる日本のこと、ビゴ―の描いた震災の光景、北斎の描いた日本の庶民たちと自然、また★自身がはじめて旅をした疎開の経験、戦後の品川駅付近で目撃した引揚者たちの住む廃バスの光景、長じて日本のみならず世界を旅して出会った信じられない風景の数々。★の歩んできた軌跡が星座となって浮かぶ。

 

 実はただ歩くだけでも旅はできてしまう。下北沢という町にも不思議は満ちている!

 

 講演終了後、すぐに町を歩き始めた★先生に誘われて、我々もふと気づくと町中に満ちあふれたオブジェたちと目配せを交す。さあ、こうしてはいられない。ふたたび旅へと出発しましょう!

(ymks)

0 コメント

2015年

12月

12日

巖谷國士★講演「夢想と冒険-19世紀からシュルレアリスムの時代まで」@埼玉県立近代美術館

待ちに待った、先週から引きつづきの、第2回目の★講演です。

今回は近代の観光から、シュルレアリスムの時代、日本列島の自然・災害まで。映像を駆使しながら一気に駆けぬける、めくるめく「線」の、人生の、20世紀に生きる私たちの「旅」という体験!


旅(=journey 日々の体験、人生航路)も人生も「線」であり、すべては時間の体験です。

「観光ポイント」ばかりを紹介するガイドブックの「点」ばかりを追いかける観光では、点と点との間に大事なものがあっても見過ごしてしまう……つまり「点」だけで構成された人生では、点に向かうばかりの努力で終わってしまう、という指摘にはっとします。


旅の本質は、別の土地へ行って多様性に出会う驚異と喜びですが、そこには同時に偏見や異質のものを排除するという危険があることも指摘。もともと同一(ホモサピエンスのホモは「同一」のこと)の起源から、地球上の土地土地に応じて多様性が生まれたのだから、人間同士に違いがあっても差別すべきではない、それは旅が教えてくれることだとおっしゃいます。

 

狩猟・採集という旅の生活をしていた人類が定住し、都市で文明を営むようになると、やがて壁を作り、「内側」に安定したユートピア世界を築こうとする。

 

だからこそ、外(=エグゾ)へと向かう人間の心があり、エグゾティスムを「異国情緒」と訳すのはおかしいとおっしゃいます。外とは「国」ではなく、漠然とした、見たこともない世界であり、その異郷への思いがしだいに旅の原動力となる。

 

そもそも「国」=近代国家は、壁を作ってさまざまな多様性を「画一性」のなかに閉じこめようとするもので、日本列島においても、決して「単一民族」などではないと指摘します。


外へ向かう心が呼びおこす、発見と驚異と夢想……先週に引きつづき、映像を示しながら、時代をおって展開する旅また旅……の数々。

 

オリエンタリズム、オリエント(東方)とヨーロッパ(西欧)の関係、ドラクロワのモロッコでの光と色の発見、アングルの影響、オリエント急行とアールヌーヴォー都市、フローベールの言及するフーリエ世界、観光の大衆化による近郊への旅、バルビゾン派、写真と絵画の関係、鉄道とポスターと印象派とファッション、アンリ・ルソーの特別な旅情、リシュボア(リスボン)の繁栄と大地震による壊滅の歴史、絵葉書とシュルレアリストの関係、アメリカ新大陸の驚異、植民地帝国主義が背景にある万国博、ジュール・ヴェルヌ、ジャポニスム、ゴーギャンやランボーの壮大な旅、赤ずきんちゃんやアリスやアンデルセンやフーリエの驚異の世界、シュルレアリストの日常の旅・亡命の旅・パラレルワールドへの旅、北斎の生命・自然の運動表現の驚異、日本列島の災害の重要な記録・記憶……


とてもここですべてを書ききれないので、この展覧会のさらなる外へと連れだしてくれる★先生の今回のご著書

『旅と芸術 発見・驚異・夢想』をお読みになり、どうぞすみずみまで旅してください! 世界の重層化・類推につぐ類推・人生の旅、ここに開かれる……!

(okj)

0 コメント

2015年

12月

06日

巖谷國士★講演「発見と驚異-太古からロマン派の時代まで」@埼玉県立近代美術館

「旅の美術史」なんていう領域はいまだかつてなく、旅と芸術とを結ぶ本も専門家もいないなか、★先生がこの画期的な試みの監修をおこなった理由……それは、「旅」が現代という時代において、避けがたいテーマだからだと明かされました。

 

戦争と災害の世紀、テクノロジーの「進歩」による大量殺戮、災害被害の拡大、そこから生じる難民・移民・亡命者の旅。一方で、大衆化の時代に、産業化・組織化・商品化される旅。

 

また、わたしたちにもつながる★先生ご自身の体験として、★先生の生涯最初の旅、昭和20年にB29の爆撃を逃れて山形へわたった疎開の旅を語られます。その後、ともに疎開した女性たちの再話にもよって、★先生の「体験」となった、まるでちがう世界、別の場所で出会った驚異。

 

どこか別のところへ行く、外へと向かう状態、心のありかた(エグゾティスムのエグゾ=外)こそは、人間の本質・習性であると解説された★先生は、同一の祖先をもつホモ・サピエンスが、アフリカを出て移動の旅をはじめ、長い年月をかけて各地の風土に適応し、多様性が生まれていったその壮大な歴史の過程を展開します。

 

46億年前に海で生まれた生命は、ついに陸へ上がって移動をはじめ、そして人間特有の「旅」という行為に変化してゆく。生物学的にも多様性がなければ、環境の変化やヴィールスによって、たちまち絶滅してしまう危険があることも指摘されます。


こうした多様性の発見が、旅の本質であり、わたしたちのなかにはいつでも「旅への誘い」があると★先生。


旅へ誘うボードレール、旅を喚起するアンリ・ルソー、旅人たち……オデュッセウス、マルコ・ポーロ、コロンブス、ゲーテ、ラフカディオ・ハーン、ゴーギャン、アンゲロプロスなどについても。


今回の著書・展覧会に掲載・出品された図像を映しながら、

未知の世界がひろがると考えられたインド(東方)、古代の七不思議、驚異の博物誌、グランドツアー、ロマン派、ナポレオンのエジプト遠征、オリエンタリズムとドラクロワ、などについてくわしく解説してくださいます。点と点が、偶然・連想・類推・体験によって線となり、時空を線として体験する旅……

 

★先生が今回の著書を書く過程そのものも旅であり、わたしたちは読んで参加し、展覧会のさらに外へ行く! 紹介された作品が、次々に私たち聴衆の旅の記憶となるようで、本当にスリリングで画期的な講演でした。

 

その後、日本列島各地から旅して集った大人数での夕食会のありさまも、こうした旅の高揚につつまれて圧巻でした!

(okj)

1 コメント

2015年

9月

19日

巖谷國士★大月雄二郎トークイヴェント「鉄器時代」@LIBRAIRIE6

大月さんの今回の展覧会「鉄器時代 L'âge de fer」、会場に入ると圧倒されます。何十キロもある鉄の鋳物、ジャッキ、すでに用途をなくした廃品たち・・・そして15センチ四方の小さなキャンバスたくさん。巖谷先生のおっしゃるように、これらはみんな人間みたいで、もの悲しくて、おかしくて、かわいくて、切ないのです。

 

巌谷先生によって語られる、大月さんと鉄との関係。哲学と鉄学!「鉄の時代」について、歴史的には石器時代までさかのぼり、ヒッタイトの登場や遺跡、それにまつわる映画まで紹介し、さらに神話的には「黄金時代」から「銀の時代」、「ブロンズの時代」を経て「鉄の時代」に至る状況を、現代という時代や現代日本を鋭く分析しながら象徴で語ります。

 

鉱物としての鉄や、漢字としての鉄、大月さんの「鉄の時代」感覚や言葉遊び、パリのアトリエの様子、ポップとレトロ、産業革命と鉄、鉄道……とお話は次々と展開し、東西南北・古代と近代の都を駆けるオリエント急行の走った都市でアール・ヌーヴォーが栄えたという★説が紹介され、目からウロコのお話の旅に!

 

エッフェル塔と東京タワー・東京スカイツリーの決定的な違いが、アール・ヌーヴォーと鉄の視点から指摘され痛快そのもの! ルイス・ブニュエルの『昇天峠』よろしく、メキシコで★先生の乗ったバスがエンコして、大月作品のようなジャッキでバスを持ちあげたお話も映画的に展開。

 

今回の展覧会と、巖谷先生と大月さんの対談により、鉄の時空が明らかになり、鉄に対する見方が一変しました。まさに哲学、鉄学!すばらしかったです!(okj)

0 コメント

2015年

6月

13日

巖谷國士★講演「自然・災害・ユートピア〜手塚治虫から岡崎和郎まで〜」@芦屋山村サロン

JR芦屋駅の目の前にある文化施設「山村サロン」で開催された今回の★先生の講演会は、堺ご出身のpandaさんが、お母さまとともに熱烈に企画してくださった貴重な講演でした!    
芦屋の会場にはご年配の方々も多く、やっぱり文化レベルの層が厚いのだと感じられます。

はじめに主催者のおひとり山村氏が、20年前の阪神淡路大震災のことに触れ、「ここ芦屋も震度7の被災をしたのだ」と…… 

たしかに駅の周辺や川沿いなどは、なにもかもが新しく、新建材の家々がまだ個性をもたずに静かに並んでいます。山がちの方へ行けば猪も出るほど欝蒼とした森を抱える屋敷もあるというのに、やはり天災というのは、起きてしまえば、町の歴史も記憶も、全部一緒くたに呑みこんでしまうものなのですね。 

★先生のお話も、そうした震災の記憶が残る芦屋のみなさんに向け、語られはじめました。

もちろん最近でも日本列島の各地では、地震、火山、台風、水害……とさまざまな天変地異が起こっていて、自然の再生活動は持続しています。けっして過去のものでなく、いま現在も私たちのすぐそばで、自然は躍動している!

私たち日本人は、そうした自然のくりかえす再生活動とともに、この列島のなかで経験を積み、人間の側がうまく自然に寄り添うかたちで生きてきたというのに……あるときから科学で自然を想定し、科学技術で自然をコントロールできると考えるようになってしまった(日本にも移植され、やがて原発事故へ)。

自然災害の少ない大陸に住む人々ならばそうした考えもありえるだろうが、これだけ日本列島のなかで自然に左右されて生活してきた私たちが、どうしてその記憶を忘れることができようか?と★先生。 

もとに戻すための復興よりも、被災した人々の間にうまれたコミュニティーにこそ、「ここは危険であそこは安全」といった土地の記憶が保持されるものなのに!

為政者たちはまやかしの言葉をあやつって、コミュニティーを破壊し管理して、かつての町に凡庸でどこにでもあるような「ユートピア」まがいのものばかりをぞくぞくと建設してゆく…… 

私たち日本人こそは自然と共存し、無秩序な自然の織りなす楽園に、自分たちの原初の記憶を取り戻すのが本来のあるべき姿だろうと★先生。

けれども多くの人間は愚かなもので、自然と対立する壁やら境界(盛り土でできた宅地造成など)などをつくって、それがさも「われらが理想とする国家、美しい国⚪︎⚪︎」であると…… 

いやいや私たち個人には、国家が必要なんじゃない、自分たちが生活するこの土地の、あるべき姿だけを望んでいるの…… 

鴨長明は「方丈記」に京の都に起きた火災、竜巻、飢饉、大地震を書き残し、自然に従順であれと日本の自然の無常観を記しています。

また芦屋に近い宝塚出身の手塚治虫(21歳のとき)の初期作品にも、同様の、現代の私たちへの警告ともとれる漫画「メトロポリス」があり、科学技術(テクノロジー/ここでは原子力、バイオテクノロジー、コンピュートピアのこと)はやがて人間を滅ぼすだろうと。 

★先生は、このようにさまざまな芦屋の(関西の)人々にもなじみ深い人物や歴史を挙げながら、するどい真実の言葉で境界を押しひろげ、突き破ってゆきます。 

最後に、芦屋の画廊(芦屋シューレ)で開催中の岡崎和郎(岡山県出身)のオブジェ作品にも触れ、岡崎さんが作品のなかに見るという「記憶・休息・再生」についても教えてくださいました。 

★先生の講演を聞いたあとだとなおさら、「記憶・休息・再生」という、岡崎さんの手仕事をする(自分の痕跡をのこす)うえでの想念が、じつは自然に寄り添って生きる、日本列島の自然に左右されながら生きる、私たち日本人にとって「自然に参加して生きていく」ための普遍的な感覚であるかのように思えてきます。 

今回の★講演は、日本列島を自然として考えようとするものでした。 講演を聞いた私たちのなかにも、共感するコミュニティーが生まれはじめます。 ★先生、ほんとうに素晴らしいお話を、ありがとうございました!  

そしてpandaさん(お力添えくださったご両親にも!)に、素晴らしい企画をありがとう!と心より感謝申しあげます。 
(trois) 

2015年

5月

23日

巖谷國士★トークショー「写真・オブジェ・驚異」@スパンアートギャラリー

今回もまた、驚異と感動を呼んでいる★先生・桑原先生の展覧会。今日は★先生によるトークショーが開催され、ギャラリーいっぱいに観客が詰めかけ、ひときわ盛りあがりました!

今回の写真展のテーマは「驚異の部屋・驚異の旅」です。驚異……ラテン語ではミラビリア。マニエリスムがあらわれたのと機を一にすると★先生、その16世紀という「世界不安」の時代の状況と美意識、地理上の発見や体内の発見(解剖学)について示し、驚異の部屋が誕生したことをお話します。それが18世紀、近代科学によって分類化・情報化されて不思議が奪われ、驚異の部屋が滅びた過程、さらには20世紀に、シュルレアリスムによって復活した過程を語られます。

そしてミラビリアは★先生の写真と大きな関係があることが明かされるのです。ミラビリアの「ミラ」は、「見る」ということ。《扉の国のチコ》のチコのように、生まれつき目が悪かった★先生は、ものの見方を教育され画一化されることに抵抗感があったといいます。
カメラのレンズという機械の目は、教育された人間の目が「現実」をなにかしら意味づけて見るのとちがって、意味も用途もないオブジェとして見ることができます。ファインダーを片目でのぞき、無限にある時間と空間のなかからそのただ一点を撃つとき、そこに超現実……新しい現実、不思議な現実が見えると★先生。そこにはもはや意味内容はなくなり、さまざまな意味作用が浮遊しだすのです。


3次元の世界を、2次元のフレームのなかへ切りとり、ズームで遠くのものを近くに引きよせることもできる。フォトグラフィーを正しく訳せば「光の絵」だと★先生がおっしゃるとおり、★先生の写真は決して行ったところの説明でも、「現実」そのままでもないのです。彫像を撮ればまるで生きている人間のようになり、逆に人間を撮ると人形や彫像のように見える……瞬間瞬間、オブジェや光や色を撃つ★先生の目!骸骨などの「メメント・モリ(死を想え)」ですら、★先生が撮れば「生を想え」とばかりに動きだす……進撃すらはじめる……!

今回の作品一点一点についても語ってくださり、わたしたちはいっそう感動に震えたのでした!(okj)

0 コメント

2015年

4月

26日

巖谷國士★講演 「アール・ブリュット、〈境界〉なき世界へ」@ギャルリー宮脇

金沢で館長をはじめ観衆の心を揺さぶった★先生は、京都でもわたしたちのハートを冒頭からがっちりとらえて最後まで離しませんでした!
 桑原敏郎さん、アンティエ・グメルスさん、塔本シスコさんをはじめとした「〈境界〉なき世界」に遊ぶアーティストたちの奇跡のような創造活動を具体的に紹介しながら、アール・ブリュットとは何かをわかりやすく説明してくださいました。アール・ブリュットとは通常思われているように、わたしたちの社会から切り離された特殊な環境で創作する人々の作品のことではありません。創作する喜びに身をゆだねて作り出された作品のことです。ギャルリー宮脇に押し寄せた観衆は漫画家の卵をはじめ、ものをつくる観衆が多かったようで、わたしたちはみんなアール・ブリュットを作れるのだという先生のお話を聞きながら、何度も何度も深く深くうなずいていました。ただただ夢中になってものを作ることの喜びのために行う創造活動は、まさにまだカットされていな原石のような輝きをもっています。「わたしたちの内なる狂気」を解放するために無償の行為を行っている人々の作品に囲まれながら先生のお話を聞くうちに、わたしたちは心も身体も芯から解きほぐされていきました。
 「アール・ブリュット」を時間的、「アウトサイダー・アート」を空間的な概念であると看破された先生に対して、興奮のあまり拍手をおくりたくなります。まさに目からうろこのお話ばかりが続きました。境界ばかり作りだす今の社会に(壁の世界の『進撃の巨人』が流行している日本に)必要なのは「壁の思考」ではなく、壁をなくす思考です。壁や境界がつくられた政治的、社会学的な背景を理解しながらも、それをとりのぞく必要性をあらためて感じました。
 講演の翌日は、★先生、桑原先生と愉快な仲間たちで相国寺に行きました。若冲や抱一の作品には聖なるものにつながるような、自由な遊びばかりがありました。若冲の鶏をみたあと、鳥岩楼の親子丼を食べながら、すべてが繋がっているという至福に浸りました。
(AH)

0 コメント

2015年

4月

25日

巖谷國士★記念講演「澁澤龍彦-小説の旅」@しいのき迎賓館(泉鏡花記念館主催)

「澁澤龍彦―小説の旅」…泉鏡花ゆかりの地、金沢で★先生が講演を行いました!


巖谷小波と泉鏡花、巖谷小波と澁澤栄一、それぞれのかかわりを明かし、1963年に★先生が15歳年上の澁澤さんとはじめて出会ったとき、一瞬で通じてしまったことを話してくださいます。


60年代には、「異端」や「密室」など世間と交わらないようなイメージを持たれた澁澤さんですが、その背景に家族の病気や10年にわたるサド裁判の法廷闘争を抱えていたこと、「異端」とは現代の神=テクノロジー、及びそのテクノロジーに身を捧げてしまった芸術家に対する異端だったことを語る★先生。そして万博以後の70年代、ヨーロッパへの旅をきっかけとして澁澤さんの変化していった過程をお話します。


60年代のオカルト的なイメージにはうんざりで、小説でも書くしかない……と堀内誠一さんへの手紙にも綴っていた澁澤さん。そして書いた『唐草物語』が泉鏡花賞を受賞したのでした。独創性という近代の悪弊を免れようとしていて、書くものすべてにもとがあるのです。小波・栄二の巖谷家父子による『大語園』を愛していたのも運命といえましょう!

澁澤さんの最初の小説は『犬狼都市』だと思われていますが、実は澁澤さんが初めて小説を書いたのは25,6歳のときで『撲滅の賦』と『エピクロスの肋骨』であったことを指摘する★先生。★先生の読みによって、ここにすでに、澁澤さん最後の小説『高丘親王航海記』のラストシーンがあらわれていることが明らかになるのです……!魚、鳥、木琴に変身するコマスケ、dry bones……生涯のモチーフが円環をなして形成される物語。

『唐草物語』の最初に入っている「鳥と少女」についてもくわしく語ってくださり(折鶴とウッチェッロ……!)、澁澤さんの自画像ともいえるウッチェッロと、澁澤さんにとっての女性像の原型ともいえる野生の少女・セルヴァッジャが、ついに最後の長編小説へとつながっていきます。アナクロニズムとともに、もはや澁澤さん自身と区別のついていない高丘親王、生涯つきまとう女性たち……薬子、秋丸・春丸、パタリヤ・パタタ姫、カリョービンガ…… 骨というオブジェになった高丘親王、そして終わる澁澤さんの小説の旅。
 
入れ子状に主人公と自分が合体していき、円環をなして生涯がアナロジックに構成される……自然発生的に人生が書かれ、しかも偶然をきっかけとして死にゆく……こうしてみると澁澤さんの生涯が旅であったことがわかると語る★先生。生涯を通して作家を見る★先生、この圧倒的な読みを前に、わたしたちはただただ感動に呑みこまれて、茫然としてしまいました。会場には涙する人も。いままで誰も語ることのなかった、おどろくべき読みでした……!(okj) 

0 コメント

2015年

1月

18日

巖谷國士★特別講演「ヴィーナスは裸にされて、さえも」@カスヤの森現代美術館

横須賀市にあるカスヤの森現代美術館は、もともとこの地にあった森がそのまま美術館になっています。

美術館の背後にある森には、250体ものかわいい羅漢さまが、林間の空地には宮脇愛子さんの「うつろい」が、竹林のなかに、さまざまな樹木が共生しあい、大きな生命体として息づいています。


★先生は、登場した時点からすぐに、この美術館の姿をその環境からほのめかします。


美術館の窓からはいつでも森が見え、自然界とつながっている、絵もまた窓なのかもしれない……生命体としての森や、森で起きるおとぎばなしを糸口に、絵画の窓へと私たちの視線を導きます。


窓のように点々とかけられた若江さんの絵には、あまりにも有名な「名画」の数々が引用されているのです。さあ、これから★先生による絵画の読み解きがはじまります〜!


若江さんの引用する「名画」たちを、各時代の政治、事件、民族、風土、文化、宗教戦争、美術、神話、聖書、図像、象徴……といったあらゆる視点から、次々と解きあかしていくさまは、超一級のサスペンスのようで、息もつけないほど。こんな立体的な……もはやそれ以上に、四次元的な美術史がたちあらわれるとは!


講演の過程で明らかになる、ヌードとは何か?裸体とは何か? 日本語にある「裸婦」ではない、裸体を描いたルネサンス以来の名画の読み解きーー。ジョルジョーネによる横たわる女性の裸体画が登場してから、ティツィアーノ、ゴヤ、マネとさまざまに変化・展開していく、裸体の絵画史を鮮やかに! エルンストの百頭女にまで!★先生の語りがくりひろげられるのです〜。


いよいよデュシャンの登場ともなると、若江さんがご自身の作品に引用したデュシャンやクラーナハやティントレットやアングルの作品までも、さまざまに浮かびあがってきて……★先生が問う、絵画における「泉」とは何か? へと、お話は音をたてて転がりはじめます!


日本語では同じ「泉」でも、フランス語ではla source(湧水、源泉)とla fontaine(湧水がたまった場所、噴水装置)とあって、アングルの《泉》は前者で、デュシャンの《泉》は後者であるーー。

ライプツィヒ美術館にあるクラーナハの《ウェヌス1》では、水の精=ニンフを噴水ととらえているーー。

デュシャンの「遺作」を実際に★先生が覗いたとき、その裸体は自然界に置かれたのだと感じたーー見ることの不自由をともなう、デュシャンの覗く「遺作」ーーそこには滝がおち、デュシャンが森や自然をよみがえらせているようだ、ともおっしゃいます。

そして原初の森のなかに裸でうろつく楽園のエヴァ……アンリ・ルソーの描いた世界までも見通してしまう★先生!


泉は古今東西、女性とともに描かれ、つねに裸体とともに描かれてきた長い歴史を指摘し、それをデュシャンが便器に置きかえたこと、それによって生じるシニフィアンにまで迫ります。


それまでの美術史に受けつがれてきた主題を、すべてひっくり返して考えなおすこと……当の便器はすぐさま消失し~残ったのはスティーグリッツが撮影した写真のみ〜その写真に残る便器の姿のシニフィアン〜フィラデルフィア美術館の大ガラス《花嫁は彼女の独身者たちによって裸にされて、さえも》の向こうに透けて見える噴水。



若江さんの作品にあらわれる、裸体の絵画史に寄与した大作家たちについても、★先生がくりひろげる解説が忘れられません!

宗教戦争やペスト流行〜「神の死」〜それまでの価値観がゆらいだ16世紀〜マニエリスムの誕生〜そう! この展開からさらに★先生は、マニエリスムの裸体の系譜までも示してくださいました。

16世紀と同じく、不安で不穏な現代ーーその現代にいたるまで、長く描かれてきた裸体には、つねに泉がまとわりつき、裸体は森とつながっていることを明かしてくださった★先生。「裸体」という主題を、「裸婦」と名づけた日本のアカデミズム的な女性差別的な文脈から、泉へ、森へと解き放ってゆくすばらしい読み解き〜! 


 観客である私たちも、すでに妖精のように自由な身となり、カスヤ羅漢の森をふたたびさまよい、海辺のモン・アナログ晩餐会へとくりだしたのでした〜!

(okj)


0 コメント

2014年

12月

10日

類推の山という名前の「世界樹」が生えた!

このMont Analogue のサイトが立ちあがってから数年たちましたが、

たちあげた当初から、新規のブログの書きこみが入るたびに成長する木を

このホームページの画面上で育ててきました。


そしてようやくその木が、この年末に、★先生のたびかさなる講演のおかげもあって(ブログ報告する話題満載!)、思いもかけないほど大きく成長した木となりました!


これは★先生のお話にもよくでてくる「世界樹」か? と目を疑うほど、

こんもりとした、おやおや、なんだかそのなかにもまた、別の世界がありそうだぞ〜と希望がわく、おもしろおかしい形をしています。


この木の名前はその名も「類推の山」。私たちMont Analogueサイトはひとつの船(不可能号)となり、今年も、来年も、さらにずっとずっと、終わりのない旅をつづけることでしょう!

0 コメント

2014年

12月

06日

巖谷國士★講演「花と木とお菓子のクリスマス」@ロビニエ

今日12月6日は、聖ニコラオスの日。4世紀、トルコ地中海側のエフェソスの近く、ミラの聖者・司教です。

子どもや貧者の守護神で、ロバに乗って出かけていってはこっそり靴下の中へ金貨を入れるなど、贈り物をしていたそうです。この聖人が、サンタクロースのもとになったのですが、その語源や、オランダ・フランス・イタリア・スペイン・ドイツ・イギリス・スイス・ロシア・北欧圏、そして日本でも、サンタクロースやクリスマスの呼び方が異なり、伝説や、贈り物をくれる存在も、それぞれに多様性があることを語っていく★先生。

 

贈り物をする期間も、この聖ニコラオスの日から、1月6日のエピファニア(公現祭……聖母マリアの出産をベツレヘムの星が知らせ、東方三博士が贈り物を持ってやってきた日)まで、続くのだそうです。


そもそもキリストが生まれたのが12月25日だというのも本当かどうかは分かっておらず、キリスト教を広める過程の、一種の妥協の産物だったといいます。キリスト教は、ユダヤ教、イスラム教とともに、男性神をいだく一神教ですが、これらはせいぜい紀元前1世紀ごろに生まれたもので、それまでの世界は、自然界のすべてに神々がやどる原始自然信仰でした。

自然とは母なるものから生まれるもの、はじめからあるもので、キリスト教のように神がつくって意味づけをしたものではなかったのです。


★先生は、日比谷のシンポジウムでもお話されたように、人間が森を出て、自然と文明を対立させ(自分勝手に)境界をつくっていった過程をお話します。

そして、もともと人間と森とは連続していて、クリスマスももとは森のものであり、じつは冬至のお祭りであったことを明かします。冬至は1年のうちで一番日が短くなる日ですが、次の日から徐々に日が長くなっていきます。つまり、生命が衰え死の世界までいったのが、ふたたびよみがえり再生する日ということです。


古代ローマ人、ケルト人、ゲルマニア人、ブリタニア人などの森の民は、このように自然界や宇宙を感じ、よみがえりを促進するために火を焚くなど、アナロジーで太陽に働きかけたりしていました。

森を失ってガリアへ遠征したローマの皇帝カエサルが、ケルト人が神殿も政治組織も持たないことに驚いています。が、彼らには、森が神殿でオークの木の知恵を持つドルイドがいたのです。

こうした森の民に、男性神で一神教のキリスト教を広めるためには、自然界の母としての神(聖母マリア信仰)が必要で、そこに木の信仰(クリスマスツリー)が生まれたといいます。木の信仰は同時に山の信仰であり、世界樹や高次の人間が住む山(『類推の山』!)など、世界中の民族にある、天と地をつなぐ軸となる神話についてお話する★先生。


クリスマスツリーも山に形が似ていて、天にのぼれる形をアナロジーで選んでいるといいます。『類推の山』をめぐるご講演とつながっていきます!

そして一方で、クリスマスツリーの悲劇についても、アンデルセンの創作童話から語られます(くわしくは★著書『花と木の話』をお読みくださいね)。19世紀なかば、産業革命のただなかで、山をもたないデンマークの地で書いたアンデルセンのすごさ。これほど自然と文明、商業主義、資本主義を象徴したものはないでしょう。


生命力があって保存のきく常緑樹、ヒイラギやヤドリギなどをちょっと飾り、生命を獲得するのが本来のクリスマスツリーだとおっしゃる★先生は、クリスマスの花についても色々お話してくださいます。


たとえばシクラメンは、その名はサイクルからきていて、自然界の周期を表現しているのだそうです!ポインセチアには、古代マヤ・アステカにルーツが……! そしてクリスマスのお菓子こそ、木の実や干しぶどうやスパイスなどの植物に起源を持ち、食べることでそこから生命力を得られるものを食するのだと!


フランス、イタリア、ドイツ、イギリス、それぞれの国のさまざまな都市で生まれたクリスマスのお菓子の由来についてお話してくださり、なんとロビニエ・サロンには、先生のお話そのままにお菓子が勢ぞろい。すべていただくことができたのです!日本の甘味の原型は干し柿だとおっしゃる★先生、なんとサロンには★家の庭になった柿までも並んでいます(これもくわしくは『花と木の話』、柿の章をどうぞ)!

今日のテーマ「花と木とお菓子のクリスマス」、そのすべてがつながり、植物の生命力で、私たちは五感をふたたび取り戻す、すばらしい再生の体験となりました。


このお話を聞いて、生命のアナロジーである花や木を身のまわりに飾り、お菓子を食べて、森のなかの家(にいるかの気分)でささやかにすごすであろう今年の冬至のお祭りは、私たちにとっても特別なものになるでしょう!

(okj)

0 コメント

2014年

11月

28日

巖谷國士★シンポジウム「おとぎ話とアート」@日比谷図書館

日比谷の森で行なわれた今夜のシンポジウム、鴻池さんが作品を秋田の山へ移動~旅させる展示プロジェクトについて話されたこと、村井さんがおとぎ話について話されたことを受け、★先生は狼の話をはじめました。


ここ日比谷公園には、1938年にイタリアから贈られた、ルーパ・ロマーナ(ローマの雌狼)またの名をルーパ・カピトリーナ(首都の狼)という、イタリア、ローマ帝国以前の文明、エトルリア時代につくられたブロンズ像のレプリカがあるのです。

贈られた当時は、戦時下の日伊ファシズムの結びつきを表す意味が生じていたかもしれません。

しかしいま私たちの世代に、★先生の視点から明らかにされるのは、この雌狼(ルーパ)が象徴するローマ建国神話が、森の先住民エトルリア人による表現であったこと!  そしてローマ帝国が豊かな森を失いガリアへ向かったこと、双子の兄弟ロムルスとレムス、その母レア・シルヴィア、双子を育てた雌狼の4つの乳房……

原初の森の記憶をわたしたち聴衆に呼びおこさせる★先生のものがたり。


17世紀のぺローと19世紀のグリムは、口承で伝わるおとぎ話をまとめた時代がまずちがい、同時にその対象となる聴衆もことなりますが、彼らの編んだ話に見られる狼の悪役的なイメージは、いったいいつ、なぜ生まれたのか?  そんなところから始まり、現代の私たちが抱く狼のイメージを次々に逆転させていきます。

ヨーロッパのキリスト教世界、牧畜社会では、狼は人間の囲いこんだ羊を襲う敵と見なされました。でも本来森で集団生活をいとなむ狼が、単独で人里までやってくるのは、人間が森で鹿や猪を狩ってしまい、狼の食べ物がなくなってしまうからです。

狼は森の主で「大きな神(オオカミ)」。大きく噛むということもあり、「おおくちのまかみ」という言葉が古代にすでにあったそうです。たとえば日本の農耕社会では、畑の作物を食べてしまう草食動物を食べる狼は、ありがたい存在であり信仰されてもいました。狼は自然の生態系を保っていたのです。

でも悲しいことにニホンオオカミは1905年に絶滅しています。わたしたちの身近には犬がいて、本質的には差がないのに、文明世界に囲われ退化させられた犬……犬にどこかしらつきまとう悲しさはそのせいかもしれないと★先生。

フランス語では「犬と狼の間」と表現される夕暮れ時、「逢魔が時」の話もされて、先日の唐組の芝居『紙芝居の絵の町で』が点滅してきます。

★先生は16世紀、17世紀の狼にまつわる古い絵を見せたあと、19世紀ギュスターヴ・ドレの版画「赤ずきん」をしめし、ドレが狼を悪役と解釈しなかったことを指摘します。

赤ずきんちゃんが狼に食べられるというのも、森と一体化することが予見されてたからではないか?ともおっしゃい、一般的にアンハッピーエンドとされる解釈、狼に食われることが悪であるという論理に疑問を呈します。

そして最近いろいろな国で、女性が描いた狼の絵に出会う……と、フランソワーズ・ペトロヴィッチの絵などを見せてくださいました。

森に入ることで体験する通過儀礼……おとぎ話の運命的な展開……森と文明、狼と犬、正気と狂気、夢と現実、光と闇、といった境界をなくす、その延長にあるシュルレアリスム……品物ではなくオプス(過程)としてのアート……糸や縄文土器を紡ぐ女性の創造…… など、類推の魔法で★先生のお話は旅をはじめ、自然と人間、芸術の核心へと迫ってゆきます。

フランスの「驚異の洞窟」内で、不思議な動物の絵のほかに、人が手形を押した痕跡を発見した★先生。それは自然のなかに痕跡をのこすことで自然に参加する類の行為……あるときから森をあとにして文明を築いてしまった人間は、こうして自然と交流せずには生きていけなかったのではないか?  それが芸術の出発点だったのではないか?  とおっしゃいます。

きっとまっ暗な洞窟のなかで火を焚いて、人びとが集まり、自然発生的におとぎ話は生まれてきたのでしょう……個ではなく類の存在として、人間の精神に必要なことがおとぎ話のなかには保存されています。

こうしたお話が展開されると、私たちの奥底に、太古の昔からずっと求めていたような感覚が生まれ、森から新たな生命を吹きこまれるような思いがしました。

集団で森にくらす、野生の狼の意識も芽ばえたかのよう! 


 前回の『類推の山』講演でも登場した映画『ふたりのヴェロニカ』のラストシーンで、ヴェロニカが木に手を触れることが思いおこされます。

あらゆる原初の感覚が刺激され、真実に触れる、類推が類推を呼び、船出するような……本当にすばらしい★連続講演でした!(okj)

0 コメント

2014年

11月

25日

巖谷國士★トークショー ルネ・ドーマル『空虚人と苦薔薇の物語』(風濤社)刊行記念   「『類推の山』の話中話、世にも不思議な物語」@東京堂

このサイト名の由来でもあるルネ・ドーマルの小説『類推の山』(巖谷國士訳、河出文庫)について、★先生が語るのは今回がはじめてのことです。
会場は、観客同士も目配せで通じあうような、高揚した空気につつまれていました。 


まだ学生だった★先生は、この本に出会ったとき、自分の今後にかかわるだろう……生涯つきまとうだろう……と予感したそうです。もう一冊の『ナジャ』とともに。
私は誰か? 私は誰を追っているのか? もうひとりの自分、人間が1ではなく2であること……またその合一(合体、一体化とも)、作者ドーマルの少年時代からもっていた合一への発想、映画『ふたりのヴェロニカ』にもあったような、わたしたちの存在の根幹にかかわることが、★先生のお話で次々と開かれてゆきます。


『類推の山』の話中話として、この小説自体をあらわすかのように、入れ子の状態にある「空虚人と苦薔薇の物語」。★先生は、8人の登場人物について、高山の「伝説」について、空虚人の様子について、苦薔薇とは何かについて、博物誌の驚異について、あらゆる民族の神話に登場する高山について、そこに住む「高次の人間」について、お話を展開します。


そして、この物語が、未完であるのになぜ本として出版されたかという重要なことに気づかせてくれるのです。
 
『類推の山』の物語には、汗水垂らすような努力も苦悩もバトルもなく、冒険の骨や筋だけが書かれていて、すべてが思ったように実現していきます……ピーエル・ソゴルが、まず問題が解決されたものと仮定して、そこから方法を考えてゆくように!
だからわたしたちは読んでいてうれしく、ときに安直を感じながらも、みるみる希望がわいてきます。ひとりひとりが小説に点滅するイメージを空想でつくりあげることができます(★先生は、建石修志さんの描いたイメージ、野中ユリさんがコラージュとデカルコマニーで描きだそうとしたイメージも話してくれます。)。
 
この、読む人によっては進行が「安直」にすら感じられる物語ですが、じつは作者のおそるべき苦境のなかで書かれていたことが明かされます。
ドーマルは不治の肺結核にかかり、第二次大戦中、ユダヤ人の妻と逃亡しながらアルプスを超え、パリへたどり着き、病床でこの物語を書きながら、亡くなりました。
絶望から出てくる透明な希望、とも表現した★先生。最後に澁澤龍彦と『類推の山』について語りあったことも聞かせてくださいました。
澁澤さんも、絶望的な状況で、この小説から希望をつかんだこと。『類推の山』を元にしながら『高丘親王航海記』を自身が患うガンの病床で書いたこと。
一方は書き手の死で終わり、妻と友人がひきとって完成させ、一方は書き手の分身の主人公の死で終わる……
 
若い★先生と澁澤さんで『類推の山』のことを話していたとき、もう1が2になっていました。
2は3になり、3は10になり、100になり、冒険がはじまります。カメレオンの法則!


もう私たちも共感する読者であり、すでに100になって、ここにいるんだ……と興奮につつまれました。この希望があるから生きてゆけるのですね!だから『類推の山』を読むと元気がでるんですね!

(okj)

0 コメント

2014年

10月

24日

巖谷國士★講演情報!『類推の山』を語るときが……

ルネ・ドーマル著/巖谷國士訳・解説/建石修志画による

絵本『空虚人(うつろびと)と苦薔薇(にがばら)の物語』

10月20日、風濤社から刊行されました!

 

このサイト名の由来となった

『類推の山(Le Mont Analogue)』(河出文庫)

のなかに登場するすばらしい話中話、たまらなく美しいメルヘンです!

 

それについて、11月25日(火)の19時から

1時間、神田の東京堂で

トークショー★サイン会

 

巖谷國士★先生が『類推の山』について講演をするのは

なんと!はじめてのことです

 

 


 

0 コメント

2014年

10月

04日

巖谷國士★特別講演「種村季弘のマニエリスム 迷宮としての書物」@板橋区立美術館

種村さんとちょうど10歳ちがいだった★先生。その出会いから種村さんのお亡くなりになるまでの、40年にわたるふたりの付きあいを語ってくださり、そこから種村さんという人物が、マニエリスムとは何かが、みるみる浮かびあがってくる魔術的なご講演でした!

 

職業も、住む場所も、教える大学も、転々として同じことを長くしなかったという種村さん、マニエリスムを、美意識や趣味としてはもちろん、モラル=人間の生き方にまで広げていたといいます。結論を出さない「宙吊り」の状態でいることも、そう。

ものすごい仕事量・仕事の速さで律儀ないっぽうで、おおらかな超「O型気質」で、時に誇張をする体質であることもマニエリスムを形成していたと★先生。★先生が国学院大学で教えていたとき、なんと隣の教室で種村さんが教えていたとか! 授業があるたびにふたりで飲みにくりだした日々のお話の、おもしろいことおもしろいこと! トントン拍子で話が通じ、それでいて「平行線」をたどるふたり。銀座マキシムでアール・ヌーヴォーについての対談をしたときも、★先生がナンシー派のガレの話を出すならば、種村さんはダルムシュタットのオルブリッヒの話をして平行線。種村さんはある種の戦略家で、「負けによる勝ち」を狙うという、ここにもマニエリスムの特徴があったといいます。

 

1968年版『怪物のユートピア』の画像を示しながら、種村さんには楕円のようにふたつの中心があって、西と東は戦いだという感覚、片方がゆがんだもう片方にひっぱられていくという感覚があったと★先生、これに対して澁澤さんは円のように中心がひとつだったともおっしゃいます。
おふたりと深く付きあった★先生こその視点での比較に、目からウロコの納得!

 

さらに、1957年にグスタフ・ルネ・ホッケが書き、1966年に種村さんが翻訳し出版された『迷宮としての世界』のなかの図版や、ヘロドトスの挿し絵、地中海の地図などを示しながら、マニエリスムとは何かについてお話を展開します。


マニエリスムはあらゆる時代にあり、政治権力が人為的につくりだすクラシシスムとの対立がそもそもあること。宗教戦争やペストや火山の爆発などでそれまで信じられてきたものが分裂し、あらゆるものの価値が相対化されていった16世紀という危機の時代……その不安が無意識にあらわれていたマニエリスムは、様式をもつものではなく、権威への反抗の表現であったこと。これに対してバロックは、カトリックの威光を示そうとする宗教的権威の表現であったこと。16世紀は大航海時代でもあり、ミラビリア(驚異)の発見もマニエリスムを推進させたこと。ホッケがあくまでヨーロッパの歴史の流れの中で見ていたのに対し、同じ1957年にアンドレ・ブルトンは『魔術的芸術』の中で、ヨーロッパの正統美術を覆していて、人類学的見地から見ていたことも鋭く指摘されます。

 

地中海の地図や、オーストリア・ハンガリー帝国の地図で、古代ギリシア時代からアッチカ風とイオニア風(アシア風)が共存・対立していたこと、この東方からの流入がマニエリスムを生んでいったことも明らかに! たとえば、マゾヒズムも西の権力側から見て病気とされましたが、ザッヘル=マゾッホが育ったガリツィアという「辺境」の地では、母権制が通常のことだったのです。

 

種村さんは、このように無数の民族がモザイクのような多様性をなしていたオーストリア・ハンガリー帝国が、第一次世界大戦で失われてしまったことを意識し、なおかつ、自身も東京大空襲で生まれ育った池袋の家を焼かれていて、失われた故郷への憧れを持っていた……宙吊りの状態にあった……と★先生。

最近出た種村さんの本にも、種村さんの見た戦災や震災の夢が書いてあることに触れ、種村さんが災害を身近に感じ、マニエリスムをそこに重ねて何かをやろうとしていたのでは……と現在の世界まで見通します。

宙吊りのまま、逝ってしまった種村さん。★先生が軽井沢にいてその訃報を聞いたとき、浅間山が爆発したそうです。

 

★先生の目をとおして立ちのぼってくる、種村さんの姿、ヨーロッパの歴史、マグナ・グラエキア、ヨーロッパの「辺境」世界、ヨーロッパ史以前の歴史、ひとつではない原理、マニエリスム、神話、驚異、戦災の感覚……このような広大な規模で、かつ具体的なエピソードとして、「種村季弘のマニエリスム」を知ることができようとは……。

時間の感覚もなくなるようなめくるめく体験で、★先生の魔術としか言いようがありません。お話が、体験が、歴史が、種村さんが、すべてがこの講演のなかによみがえり、生きていました!

このライヴに立ち会えたことを心から幸運に思います。(okj)

0 コメント

2014年

9月

06日

巖谷國士★特別講演「絵本のシュルレアリスムーチコと瀧口修造」@神奈川近代文学館

9月6日に神奈川近代文学館で開催された★先生の講演「絵本のシュルレアリスム―チコと瀧口修造」、そしてその晩に★先生を囲んで中華街・萬珍楼でもよおした「第10回★夕食会」では、出席者のだれもが、刺激的で心揺さぶられる1日を体験したことでしょう。

 

「なかえよしを+上野紀子の100冊の絵本」展にならぶ『ねずみくん』シリーズの原画に、鉛筆の線のやさしくて雄弁な表現力を見た人もいれば、『ねずみくん』が生まれるまでの、なかえ+上野夫妻のニューヨークでのさまざまな出会いに感動した人もいたでしょう。

 

いっぽう、ニューヨークで活躍するお二人に、遠く日本からエールを送りつづけた瀧口修造の存在を知るようになると、お二人が最初につくった『ペラペラの世界』のなかのチコをはじめ、黒い帽子と望遠鏡、扉や魔法や旅……といったものが、いっそうの不思議を帯びて見えてきて、40年前の時空からいっきに今日まで、★先生の『扉の国のチコ』でおぼえた切なさやよろこびまでもが、ずっとず〜っとつながっているんだと、絵本のなかの少女(否、なかえ+上野夫妻のコンセプトというべきか?)に、言いようのない感動をおぼえます。

 

そしていよいよ★先生の講演「絵本のシュルレアリスム―チコと瀧口修造」がはじまります。会場には大勢の人が講演を待っています。なかには懐かしい顔もチラホラ……あちこちで手を挙げ、声にしない笑顔で応えあっています。

 

★先生はまず「絵本」と「シュルレアリスム」とをどうして並べて話せるのか、それにはまずシュルレアリスムの「オブジェとは何か?」を知らねばね……と、ご自身の愛用(20歳年長の友人からの贈り物)の黒松のステッキをとりあげて、そのステッキが壁から突きだしていたら、どんな風に人々は受けとめるか……と、おもしろくてわかりやすい表現で、ステッキの本来の役目をとっぱらって、つるりと持ちやすそうで、ひんやりとさりげなく、素敵な思い出をもっていそうなそれの、オブジェの感覚を教えてくださいました。

 

そうしたオブジェ同士がさまざまに出会い、同じ場面でなにか物語を語りはじめる……彼らの「偶然の出会い」が、次の世界をつくるようになるのだと。戦後の復旧ではなく、シュルレアリスムが求めたものは次の世界だったと。とくに絵本にはそうしたことが可能で、理性を包みこむ想像力のあるおかげで、見ることの旅、次の世界への旅が実現するのだとも……。

 

なかえ+上野夫妻から★先生が持ちかけられた絵本制作の折にも、すでにそうした予感があったのでしょう。『扉の国のチコ』の原画も展覧会に出品されていましたが、油彩で濃密に描かれた絵を目にしたとき、★先生はきっとその絵に旅の予感を感じとっていたにちがいありません。漆黒の画面のなか、望遠鏡をもつチコちゃんが、美しい晴天の広がる扉の向こう側に誘われています。

 

なかえ+上野夫妻が『扉の国のチコ』の絵をまず最初に仕上げて素材を揃え、★先生がそれにお話をつけてゆく……今度はそのお話にさらに触発されて、絵がふたたび描き直され、絵本そのものが旅をはじめる……おもしろいことに、扉の国のチコのお話は、こうした3者の共同作業によるブリコラージュの過程を辿っていくのです。

 

チコちゃんはステッキの老人に導かれ、さまざまな扉を開けて、さまざまなものと出会います。

 

ある場面では、オブジェたちが背広を着てなにやら話しあいの最中で(丸善の背広とスペインのカボチャ、カラバザとだけここでは記しておきます)……いずれの場面にもあらわれる、さまざまに塗られた床はどうも瀧口さん家のフローリングに通じているらしく……オリーブの木陰から望遠鏡をのぞくチコちゃんの姿はまさに瀧口さんのこの写真だと……これらはみんな3者の間に共通する瀧口さんとの個人的な思い出ではありますが、なぜだか不思議なことに、絵本を読んだひとならば、だれもが瀧口さんと、またなかえ+上野夫妻、巖谷★先生と、共謀関係が結ばれたように、みんなの思い出話になってしまうのです。それが「絵本」のもつ不思議な魔法なのかもしれませんね。

 

瀧口さんはたわわに実ったオリーブを瓶詰にして、ほうぼうへ配ったそうです。そのラベルには「NOAH’S OLIVE NATURE’S GIFT」と書かれています。ノアのオリーヴと言えば、オリーヴの枝をくわえた鳩が新しい陸地の発見を知らせた〜という逸話がありますが、なんだか瀧口修造がその言葉を、友人への贈り物にする瓶詰のラベルに使ったことも意味深ですね。★先生がこのオリーブの話をしてくださった折、あらわれた言葉をここに記しておきます。

 

 長い長い旅をしてきた者/「物々控」/手も扉/本も扉/扉を開く

 

そして最後に、★先生は瀧口さんが1970年に書きとめた「遺言」と題した詩(著作権の関係上、HPでの掲載はできません)を、講演の最後に引用されました。

この詩には「扉」と「国(國)」という言葉があらわれます。「ああ、『扉の国のチコ』とはそういうことなんだな」……瀧口さんのこのじつに美しい詩を読んで、おそらく聴衆のだれもが理解し、次の世界への扉を開けたような気がします。

 

そういえば、このMont Analogue HPには、★先生のメルヘン『ステッキ』というお話が掲載されています。それもなんだか『扉の国のチコ』のまた別の物語のようです。

 

★先生の講演は、あっという間に終わってしまいましたが、絵本という扉を開くたび、さまざまな思いが去来して、ほんの2時間のあいだに、なんだか私も長い長い旅をしたようです。本当に素敵な旅……★先生、今日もありがとうございました!

 

第10回★夕食会は、たくさんの旅人たちが、旅から戻ってきた人、これから旅立つ人、(女優、怪優たちをふくむ)、さまざま集まって堂々の老舗中華料理店を彩りました。

 

参加者のみなさん、本当にすばらしい夜でした!  いつもありがとうございます!

(trois)

0 コメント

2014年

9月

01日

巖谷國士★この秋の講演情報ほかUPしました!

2014年秋の巖谷國士先生のご講演のスケジュールなど、もろもろUPいたします。

 

そして★ぜみのみなさんとの夕食会情報も

「イヴェント案内★詳細情報」のページにUPしました。

 ★講演情報

*9月6日13:30〜 横浜/県立近代文学館 「絵本のシュルレアリスムーチコと瀧口修造」

第10回★夕食会

*10月4日15:00〜 東京/板橋区立美術館 「種村季弘のマニエリスム 迷宮としての書物」

*11月21日夕刻〜 東京/日比谷図書館ホール 「森とおとぎばなし(仮称)」のシンポジウム

 

さらに唐組の秋公演パンフレットに★序文「逢魔が時のために」を寄せられたので、

そちらも「ホーム」画面にてご案内させていただきます!

 

唐組秋公演「紙芝居の絵の町で」

*10月11日〜11月3日の週末(金、土、日)毎夕7時〜 唐組秋公演「紙芝居の絵の町で」

0 コメント

2014年

7月

19日

巖谷國士★京都いろいろいろいろかたり

京都いろいろかたり(京都新聞掲載記事)
京都いろいろかたり(京都新聞掲載記事)

5月の京都★訪問時にうけたインタビュー記事が、京都新聞に掲載されました。

0 コメント

2014年

6月

14日

巖谷國士★特別講演「昭和文学とダダ・シュルレアリスム」@昭和文学会 春季大会


砧撮影所が近くにある会場で行われた昭和文学会。★先生の講演「昭和文学とダダ・シュルレアリスム」は、すばらしいライヴでした!

この学会で特集されたフロイトの理論Unheimlichをわかりやすく解説してくださいながら、それがシュルレアリスムのdépaysementとは似ているようで、まったくの正反対であることが明らかになっていく過程の解放感といったら!

 

フロイトの説は、19世紀的なとらえかたで、保守的で、「去勢不安」などと女性を除外していると批判する★先生。フロイトは安定・安楽・安心をよしとして、それを切り崩すものに「不気味」(=抑圧されていたものがあらわになること)を感じます。

が、シュルレアリスムのdépaysementは、安定・安心だ~とされる与えられた現実を疑い、本当の現実がもっとすばらしいものだということを発見し、解放へと向かうのです!


1920年代と1960年代をつなごうとする学会の企画に、★先生は歴史をおって当然それを現在までつなげ、戦争後と震災後に共通する「危機」を指摘されます。

戦争の現実と不可分のダダは、第一次世界大戦中、参戦した国々でも同時多発的に発生し、ある意味、20世紀文明に遍在しうるものだとも。


同大戦後にはシュルレアリスムが発生しますが、ダダもシュルレアリスムも日本においては様式化し、形式的流行が見られました。これに抵抗する、関東大震災後の瀧口修造の活動から60年代アンデパンダン〜千円札裁判にいたるまでの活動を話され、また第二次大戦前・中の花田清輝の抵抗、戦前・戦後の瀧口修造の花田清輝への目配せ、ネオ・ダダや60年代シュルレアリスムへの鼓舞・援護にまで話は展開してゆきました。

最後に、60年代が1920年代に似ているという学会の問題提起に対して、むしろ東日本大震災後の現在こそ、関東大震災から治安維持法、日中戦争へとむかった1920年代によく似ていると、きっぱり発言されました。
 
日本におけるネオダダの時代の様子、活動、ウルトラマンのダダ星人やブルトン星人の誕生に見られる、あの時代の精神。大阪万博で、人類の「進歩と調和」ではなく「原始と混沌」をやった岡本太郎(アイジャック事件にダダカンも登場!)……。


★先生の体験から語られる臨場感に興奮を抑えられません。瀧口さんと目くばせ関係にあった花田清輝についてもくわしく展開してくださり、彼の戦争への抵抗の様子、自画像的な書き方、予想外のものを併置する文体、エルンストやメルヘンの引用、などなど、★先生の読みには目からウロコです!

1960年代からダダ・シュルレアリスムの推進者だった★先生のさまざまなご著書もまた「昭和文学」であり、時代をつうじてすべてを見て察知してきた★先生だからこそ可能となった今回の講演。三人の個別の発表を聴いたうえで、即興で、それらすべてをつなげて批評的にとらえなおし、広い視野と多様な見方をプレゼントするというすばらしい超ライヴ!

その★先生が現在進行形で、花と木のシュルレアリスムという新たな領域を創造していることに、ますます感動してしまう……そんな一日となりました。(okj)

1 コメント

2014年

5月

24日

巖谷國士★特別講演「庭園とは何か シュルレアリスムの視点」@ギャルリー宮脇

京都滞在2日目のこの日は、前日の恵文社一乗寺店での講演「花と木のシュルレアリスム」から一転、
「庭園とは何か シュルレアリスムの視点」という、いよいよ漠とした(いや)じつに広大なテーマがかかげられ……なおかつ、会場であるギャルリー宮脇には、オーストラリアの著名な画家ブルーノ・レティによる "The White Garden" シリーズが展示されてもおり……
オーストラリア人の描く(西洋/抽象)庭園画を背に、京都=(日本)庭園都市を自負する観客たちを正面に、「庭園とは何か」を講釈しようっていうんですから~、★先生どんなお話をなさるの~って、私なんか、ハラハラドキドキせずにはいられません!
 
でもやっぱり★先生はすごい!
★先生の庭園の定義には、東洋も西洋もないのですから! そんな概念の生まれるず〜っと以前、太古の時代にまでさかのぼって、話は展開してゆきます。
 
★先生は庭園の起源をもとめるのに、いくつかの具体例を挙げてくださいました。
 
紀元前15世紀の古代エジプトの墳墓から箱庭の模型が発掘されたこと、ほかにもルクソールの西岸にそびえるハトシェプスト女王の葬祭殿のテラスには、かつて大庭園が営まれていたことがわかっています。わざわざソマリアまで遠征し、珍しい植物を運んできたことが、女王の一大事業として壁画に描かれているのですから!
 
もっとさかのぼれば、紀元前30世紀の古代メソポタミアに生まれた『ギルガメシュ叙事詩』のなかにも、ウルクの王ギルガメシュは「香りのよい、味のよい」樹木を囲い、庭園をもっていたとあるそうですから、人類の文明のなかには、古くから庭園があったことが証明できるでしょう。
 
ギルガメシュは国の繁栄のため、レバノン杉を求めて森の神フンババに戦いを挑み、森の木々を苅って川へ流し、下流の都ウルクへと凱旋したそうです。この話が伝説や神話であったにしても、★先生は「類推=アナロジー」をつかって、この説話が太古の昔から今日までの、私たち人間の営みそのものであることを、具体的な証拠をしめしながら、みごとに解き明かしてくださいました。
 
氷河に覆われていた時代をへて、地球上にはしだいに植物が繁茂するようになり、生命が生まれたこと……あらゆる生命が植物に育まれ、人間も同様、森の恵みを享受していたこと……しかしやがて人間たちは森から出て、森を苅り、農耕することをおぼえて定住し、文明を築くようになったこと……文明は自然を壊しながら発展し、自然の力を人間の理性で抑えこみながら勝利するといった考えに変わってきたこと……などなど。
 
ギルガメシュの生まれたシュメール文明は、現在のイラクにひろがっていた人類最古の都市文明ですが、そのころ人々はすでに、畑と同じく、四角く囲われた空間を「庭園」として営んでいました。そこには果樹のなる、薬として役にたつ、香わしい植物たちが栽培されていたといわれます。そしてこれが、庭園の起源となり、観念になったのだと……★先生の話は、文明の進歩とともに生じる階級や宗教、死生観といった、あらゆるものをまきこんで、時代をどんどん下りはじめました。
 
メソポタミアからエジプトへ、アッシリア・バビロニアからアケメネス朝ペルシアへ、古代ペルシアからギリシア、ローマ、イスラム、西のはてのアルハンブラ宮殿にまで……ここからしだいに「楽園」という言葉が点滅しはじめます。
さらに、オリエントからヨーロッパへ向かっていたベクトルは、インドや中国、はては日本にまでおよび、あらゆる時空を飛び越えはじめました。
 
★先生の知識の泉から湧き出でる、観客の興奮をよぶスリリングな話の展開は、以下に挙げる単語でつないだほうが、もしかすると、目で読んでくださっているみなさんの五感に、じかに伝わるかもしれません。いつものように、★先生がひゅっひゅっひゅっと目くばせしながら、私たちに指さすように。
 
ザグロス山脈、チグリス・ユーフラテス川、イナンナの園、バビロンの空中庭園、ペルセポリス、ゾロアスター教、パルディス、オアシス、聖なる森(サクレ・ボスコ)、ミダス王、エスペリデス、ガリア、シルヴァティクス、ウェルギリウス、アルハンブラ宮殿、泉水、水路、タージ・マハル宮、クラウストル、糸杉、ホルトゥス・コンクルスス(囲われた庭)、悦楽の園、ヴィッラ、アルベルトゥス・マグヌス、ペトラルカ、ヴェルサイユ、ルイ14世、ル・ノートル、秦の始皇帝、漢の武帝、イングリッシュ・ガーデン、パビリオン、パゴダ、ジャングル、ソバージュ、シュルレアリスム、推古天皇、須弥山、日本書紀、夢窓疎石、相阿弥、枯山水……
 
これら魅惑的な響きをもつ、人類史上あまりにも有名な名詞をつないで説かれる(講義中つぎつぎにあらわれる)★先生の、洋の東西を問わない庭園史は、いずれも世界共通の言葉(word)であり、概念(idea)でもあるからでしょう。私たちのみならず、日本語を解さないレティさんにすら、不思議と★先生の話す「庭園」が、多様なイメージとして浮かんでくるようです。
 
ここに挙げた名詞をひとつでも、辞書で調べてみてください。その単語のもつ背景と庭園とのかかわりを知ったら、どれも眩暈のするものばかり!
 
最後に★先生は人間にとって「庭園とは何か」という問いに(それこそ前のリポートにある「おも/しろく」)こたえてくださいました。
 
ここでは以下の言葉を記して、★回答を暗示しておくだけにしますね(すべて書くにはもったいないもの)!
*果実・薬草・香りへの思い
*文化の記憶をよびおこす作用
*失われた楽園の写し
*(文明に引きずられることのないように)人間が生きてゆくための装置
 
だって★講演は、やっぱりライヴで聞くのが素晴らしいです!  
★先生の野生の目が、その時々にとらえているもの、指さすものを追いかけているだけで、私もまた★先生のアナロジーの魔法を追体験しているみたいで、ワクワクドキドキがとまらないんですから!
タイトルに「シュルレアリスムの視点」とあるのはつまり、「巖谷國士の視点」と理解できるでしょう。
 
私などは、こんな風に魅力的な言葉で紡がれる★先生の庭園史、★アナロジーの連続に、毎回すっかり酔ってしまうのでした〜。
(trois)
 

2014年

5月

23日

巖谷國士★トークライヴ「花と木のシュルレアリスム」@京都 恵文社一乗寺店

5月の京都で、花と木のお話をすることになった★先生。恵文社一乗寺店でのご講演の前に、京都新聞から「京都への思い」についてのインタビューを受け、そのロケーション撮影のために、渉成園(『幻想植物園 花と木の話』より「からたち」を参照)を訪ねることになりました。

京都の印象を色でたとえると?……と問われて「白」と答える★先生。
土の白さや玉砂利の白さ、合理的な直線から構成された町のわかりやすさなどを挙げて、京都の印象をお話しくださいます。
日本の色の「白」についても教えてくださり、例えば「おもしろい」とは、おもて(面)がはっきりすること(白い)だといいます。もやもやしていたものが明るく澄みわたるように、はっきりすること、わかること、だと。
そんなお話を聞いたあと、渉成園の白い玉砂利の空間のなかに、すみれが咲いているを見つけたときは、あぁ、これが京都なんだな!と、なんとなく京都の白を知ったのでした。
 
京都への思いを植物の美しさで語る★先生。
京都には、日本庭園だけでなく、ちょっとしたところにも花や木が繁茂しています。
たとえば若冲の五百羅漢がある石峯寺への山門につづく石段に咲く花々や、境内に混沌と咲く植物たちの魅力とそこを守っている女性の佇まい。

また京都には花の絵が多いことも重要だと、妙心寺の「てっせんと風車の襖絵」(『幻想植物園』にも登場)や、細見美術館の酒井抱一「白蓮図」(日経新聞連載「植物幻想十選」にも登場)をあげながら、さまざまな京都の花を紹介してくださいました。

インド学者でもあり★先生と50年来の友人だった松山俊太郎さんを白蓮になぞらえたお話や、エジプト蓮の姿であらわされるオシリスの物語にまでおよび、花には見立てがあり、シニフィアン(意味作用)が生じるということも。
 
講演「花と木の話」においても、★先生は家族や友人との思い出も含めて、博物学的に、旅するように、植物が人間にとって何であるかを考えながら、2011年からこの連載をつづけてこられたこと、その経緯を語りはじめました。

それは震災と、震災後の現実にも対応していたということ。
シュルレアリスムも、科学技術と合理主義の文明の先に行きついた破壊と壊滅(=第一次世界大戦)という現実に、抵抗して生まれました。文明の対極にある、野生・森の側に身を置くシュルレアリスム……野生の側に立つかぎり、シュルレアリスムは自然とつながっていて、それだから多くの絵に自然が描かれ、その形や姿、表現こそが魅力的だとおっしゃいます。絵画ではエルンスト、文学ではブルトンを例に出されました。
 
どこかしら植物にひたっているような1920年代のブルトンは、ヒースやサンザシ、ノーゼンハレンやスミレやひまわりなど、身近な野に咲く花を書き、『ナジャ』では町そのものが森のように描かれるようになったと★先生。
そして1930年代からはじまるブルトンの旅……カナリヤ諸島で竜血樹に出会い、メキシコやマルティニック島でそれ自体が超現実であるかのような驚異の植物の姿に出会ったり、姿だけでなく「ピターヤという木の実は愛の味がする」と書いているように、五感で植物を体験しはじめるブルトン。
自然界のものはすべて意味内容や用途を持たない不思議なオブジェで、植物界そのものが驚異の部屋なのだとも!
 
新著『幻想植物園  花と木の話』は、超現実への誘いが★先生ご自身のなかにもはじまった本だとおっしゃいます。3年間の連載の間に、同時に執筆・展覧会監修した『森と芸術』、『〈遊ぶ〉シュルレアリスム』などにも触れながら、シュルレアリスムとは主義や様式などではなく、人間の生き方であること、そこにはブリコラージュという人間の本質的な営みがあることを語り、『幻想植物園  花と木の話』もまたブリコラージュで書かれたとお話しくださるのでした。

身近な花を毎月扱い、銀河鉄道の夜に出てくる汽車の車窓のように写真を挿入し、アナロジーが自然と広がり、旅がはじまる本。
わたしたちはすでに★先生の旅~超現実~に誘われています!
(okj)
0 コメント

2014年

5月

18日

巖谷國士★特別講演「花と木のノスタルジア」@ロビニエ

4回目をむかえた吉祥寺ロビニエでの★先生の連続講演。今回は「花と木のノスタルジア」です。

 

ギリシア語の語源からひもとかれる「ノスタルジア」、もとはスイス兵士の病気につけられた名前だったそうです。戦争などで外地に行かざるをえなくなった彼らの、もう帰れない……という、自分の置かれた場所についての苦しみ。日本ではよく「郷愁」と訳され、ふるさとを思う心と混同されがちですね。

 

ただ、これから★先生の話される「ノスタルジア」は、そうした個別の話ではなくて、失われてしまったものへの思いについてです。

 

 

新著『幻想植物園 花と木の話』には、★先生がご自身の思い出を記しながらも、「私」という言葉をほとんど使いません。それによって文章に普遍性が生まれ、たくさんの読者の琴線がゆさぶられたり、涙が出たり、失われたものへの思いにかられるのかもしれませんね。

 

人間が文明を発達させるうちに、決定的に失くしてしまった何か……それは自然。★先生は、3本の傑作映画とそれらの共通点を挙げ、主人公たちが花や木からよびおこされるノスタルジアにかられ、森や木と戯れ、自然と交歓しているシーンを具体的にしめしてくれました。


さらに、花と木にそなわっているノスタルジアについて。植物は、個体がはっきりしている動物とはことなり、空間的にも時間的にも連続性があるのだと。それは花そのものに、すでに歴史や原産地の思い出があって、人間の文化までも花に投影されていることからも理解できるだろうと!


今回は、吉祥寺のロビニエ◇花のギャラリーからの質問「母の日にどうしてカーネーションを売るなったのでしょう〜」にこたえるかたちで、お話はすすんでゆきました。……この花にまつわる歴史や事件、小説、ギリシア神話、キリスト教世界でのこと、各国の母の日、赤や白だけでない花のありさま(ロビニエ店主ヤナがカーネーション産地まで行って見つけた奇形まで!)が次々にあかされて、お話はなんとコロンビアまで旅します〜。

 

日本のカーネーションの主な輸入元はコロンビアだそう!

★先生が語るコロンビアの、混沌とした世界の魅力的なことといったら……土地、気候、植物相、動物相、インディオの歴史、サッカーからガルシア・マルケス『百年の孤独』まで、まさに驚異の旅です。

 

いかに植物がわれわれの文化を記憶しているのかを、体験してしまう観客たち。

お話はさらに時代を紀元前までさかのぼり、サントリーニ島の「サフラン」などへもめぐります。

サフランはそれじたいが旅するもので、交易もあったほど……(もっと知りたい方、この新著のサフランの章をどうぞ!)

★先生は、震災以後、母の日のカーネーションの贈物が飛躍的に伸びたことも挙げ、あらためて人間が「母=(なる)自然」を必要としていることを指摘しました。文明の進化によって、人間が決定的に失くしてしまったものへの思い……ノスタルジア……この思いがなくなったら、人はただのロボットになり、未来はなくなってしまうと★先生。

 

震災直後の著書、『森と芸術』の表紙にもなった絵、アンヌ・ド・ブルターニュにささげられた若木も指さしながら、わたしたち聴衆たちを導きます。こうしてすべてがさまざまなところで連絡しあい、気がづけばノスタルジアが発生している……新著そのものような講演に、酔いしれた花のロビニエでした!

(okj)

0 コメント

2014年

4月

19日

巖谷國士★トークイベント「私の植物誌~シュルレアリスムの視点」@下北沢B&B

本日、PHP出版より、巖谷國士著『幻想植物園 花と木の話』がめでたく刊行いたしまして、それを記念して、この4月と5月に計4回にわたる出版記念講演会が、東京と京都で催されることになりました。

 

そして今日は、配本初日の記念講演であり、★先生がこのご著書ができるまでのことを、当時の担当編集者・丹所さんとともにお話しくださる機会となりました。

 

2010年1月からはじまった★先生の連載エッセー「花と樹の話 私の植物誌」は、3年間に毎月1話、36回までつづき、身近な花や木について、初めて聞くようなエキゾティックで不思議な花や木について……どれも★先生と植物との具体的なつきあいの歴史が綴られました。

 

900字というかぎられた字数のなか、一話ごとに閉じこめられた★先生の花と木との物語には、少年期のもの、友人や家族とのもの、旅での出会い、といった個人的な植物との思い出もあれば、メルヘン、神話、映画、マンガ、物語やフィクションなどから想起される逸話あり、博物学、エコロジー、ガーデニングやアロマテラピーの見地から語られる自然史のテーマもありました。

 

いずれの花も木も、★先生の目には「オブジェ(対象)」とうつるそうで、いずれの物語も、その対象が語りだした瞬間をとらえた(★先生のスナップショットみたいな)ものだと言います。

 

それゆえ、★先生の文章には「私」という一人称があまり登場しませんし、★先生は「私の植物誌」といいながら、植物から物語を聞きだすのがとくべつ上手なのかもしれません。

 

読者である私たちは、これらの物語に、なぜだか(とても広い)普遍的なノスタルジアを感じとり、ときに懐かしくて切ない思いを抱きます。

 

それは人類が昔いた世界、キリスト教のアダムとエヴァ同様、原始自然信仰、アニミズムにも共通する「森」の世界を思いおこすからでしょうか? すべての人の身体の奥に眠っている森の記憶が、★先生の文章によって目をさまし、私自身の植物との思い出に、アナロジカル(類推的、類似的)に重なるからでしょうか?

 

ほかにも★先生はこの本を作る過程を、アナログの連鎖と、ブリコラージュによるものだとお話しくださり、エッセーのときから、さらに1.5倍の増補と魅力的な挿図も多数ちりばめて、植物と自然からのメッセージをもりこんでくださったとのこと。

 

みなさんもぜひ本書『幻想植物園 花と木の話』をご一読のうえ、なかでもお好きな植物の項について、感想・その他、ゲストbookのほうへもお書きこみくださいますよう、よろしくお願いします!

 

そして『幻想植物園 花と木の話』の連続講演なども、お楽しみになさっていてくださいね!

(trois)

2014年

3月

16日

巖谷國士★講演「コラージュとは何か」@LIBRAIRIE6/シス書店 

今日3月16日は恵比寿のリブレリーシスで開催中の「ローレンス・ジョーダンとコラージュ」展に伴う巖谷國士★講演「コラージュとは何か」がありました。雪で延期になっていたものです。
錬金術的で本質的な講演でした!
ローレンス(ラリー)・ジョーダンは一時、晩年のジョゼフ・コーネルの助手をしていた西海岸のアーティストで、自らコラージュやアニメーションを手掛けています(シスにて23日までみられます)。
まず、いまパリで展覧会をやっているギュスーヴ・ドレの版画作品を、ジョーダンがコラージュ映画に使っていることや、ニューヨークのコーネルとのひそかなつながり、そして地震地帯カリフォルニアの風土や歴史などが、このアーティストを読む鍵として語られました!
同じくパリの「シュルレアリスムとオブジェ」展との関連から、レディメイドの結合によるコラージュのオブジェ性についても。
コーネルという人は古い映画資料やフィルムや19世紀のバレエやオペラの図版資料、挿絵本やちょっとした新聞雑誌の記事などを、愛するレディメイドオブジェとしてを厖大に収集していて、シュルレアリスムと出会ってからは、エルンストに倣うコラージュ、そして箱のアサンブラージュやコラージュ映画をつくるようになりました。
専門的な美術教育はいっさい受けておらず、生涯デッサンも絵も描きませんでした。これは岡上淑子などとも類似しています。コラージュは技法や手法としてではなく、偶然の出会いから始まるのです。
何よりも、コラージュの出発をエルンストに見る★先生の説は刺激的でした!
エルンストの特徴は、何かを意図していないこと・イメージが自然に自発的に結びつく偶然の出会いによる新しいイメージの誕生=視覚的錬金術であること・大戦の廃墟という死(鋏による切断)からの再生(貼り合わせ)を体現したこと・壮大な物語の萌芽になること、等々にあるというお話で、こう並べただけでもワクワクしますね。
彼自身も美術学校の専門教育を受けていなかったエルンストが、ヨーロッパの伝統的な画法を脱して、20世紀美術を切り開いた過程と意味がよくわかりました。彼のコラージュはピカソのパピエコレやシュヴィッタースのフォトモンタージュとはまったく違うのです。
その他、コラージュの材料となる版画や写真やカタログや、初期映画のフィルムといった大衆文化のプールの発見、個人の郷愁にとどまらぬ本質的なノスタルジア(エルンストやコーネルや岡上淑子や野中ユリのコラージュにも、ジョーダンのアニメーションにもそれがあります)など、私には衝撃的なお話の連続でした。

そのすべてを報告はできませんが、今日の講演はまさしく言葉の錬金術。そこにキラキラと輝いていた時間こそ、先生からの贈り物だと感じました。先生、ありがとうございました。
そしてこのような機会を作ってくださったシスのささきさん、参加なさった方々もありがとうございます。 
食事会も楽しかったです~。

0 コメント

2014年

2月

16日

巖谷國士★特別講演「花と樹のメルヘン」@ロビニエ◇花のギャラリー


2月16日(日)、第3回★巖谷先生特別講演が吉祥寺の花店、ロビニエ◇花のギャラリーにて開催されました。

タイトルは、ロビニエの植物誌ⅲ「花と樹のメルヘン」。

 

わたしたちのまわりにお話の芽がつぎつぎと生まれて、空気がたちまち森や土の色を帯びてくるような、貴重な体験となりました。植物の見え方がかわってゆくということは、生活や生き方にも関わる重大なことですね。


紀元前3000年のギルガメシュ叙事詩、大地の神様キュベレー(シベール)のお話から、ラプンツェル、ドレの描く『赤ずきんちゃん』、チェコアニメーションの勇ましいサンドリヨン、森のない国デンマークのアンデルセンによる哀しい『モミの木』、石っこだった宮澤賢治の世界、錬金術の話まで、時空の旅をしているような、あっという間の時間でした。


メルヘンでは「いい人」、「わるい人」がはっきりしているのは、なぜかというお話がありました。それは、自然の流れをよめるかどうかで決まってくるというのです。メルヘンのいい人は可愛くて、自然を恐れず、森のなかにある苔やバクテリアのようにいつもただそこにあって、自然と共生してゆける存在としてあります。おとぎ話には、森の記憶がたくさんつまっていて、教わることが多くてクラクラしてきます。

知ろうとすればするほど、植物の迫力と美しさをに圧倒されます。こんなにも身近なのに、植物は本当に偉大な先生です。


参加者のなかには雪のなか、海外からも、院入試を控えた方も。

連続講演ということですので、次回の開催も待ち遠しいですね。

4月の後半には植物にまつわる、巖谷先生の新しい本も出版されます。

たのしみです。

 

0 コメント

2014年

2月

15日

巖谷國士×桑原茂夫★対談講演「港区の歴史と文化2」@港区高輪支所

巖谷國士×桑原茂夫「港区の戦後1950年代を語る」

先週末につづき、記録的な大雪が東京をはじめ関東各地を襲いました。いまだ孤立している山梨や秩父などが心配です。

 

そんななかで、港区★講演の開催された高輪支所には、今日も地元からたくさんの観客が熱烈!来場されました。なんといっても、真夏で気温40度もあるオーストラリアから、摂氏0の東京へ、★先生の講演を聞くためだけに来日したブリスさんもいらしてるんですから! 今日の★先生の講演も期待しちゃう~、そんな観客たちのワクワクのおかげで、輪いガヤ塾はちょっとしたホットスポットでした。

 

それなのに、冒頭のお知らせで、この港区★講演を主催するkissポート財団が高輪支所を離れること、そのために、今回の講演が最終回になる〜ということが伝えられました。これまでの4年間、港区の歴史や自然や文化について、単独の講演だけでなく、さまざまなゲストとの対談講演をつづけてこられた★先生の企画が、とつぜん終わる……今日が最終講義、ならぬ最終講演だなんて……!

信じられません! 悲しすぎる!

 

びっくり、ア然……じつは★先生もさっきはじめて聞いたことだそうです。こんな突然の断絶って……地域のコミュニティを断とうする政治的意図が、まさか、ここまで働いているのか?と 勘ぐってしまうくらいです。

 

さて本題に入りましょう。

今日の講演は、★先生がゲストをお呼びする対談形式。前回は港区の歴史と文化が、この高輪支所のお隣、泉岳寺から語られました。泉岳寺といえば「忠臣蔵」。ちょうど討入の日で、忠臣蔵をテーマに、江戸、明治、大正、昭和と時代をくだり、地元に根づいた庶民の文化をあざやかにうかびあがらせました。

 

そして今回は、一気に現代に近づいて、昭和20年代、終戦後の港区をテーマに! ここに集った観客の多くが生きてきた時代です。対談のお相手は、港区三田を地元(故郷、くに)にもつ、★先生と同い年の著名な編集者・詩人・評論家である桑原茂夫さんです。その近著『御田八幡絵巻』(思潮社)を片手に対談は始まりました。

 

そのまえがきで桑原さんは、戦後をじつに印象的な言葉で表現しています。

「モノクロームの時代……濃淡の切れ目からあざやかな色彩がにじみでてくる」

 

1950年代の三田・田町周辺を手描きの地図でしめしながら、桑原さんは当時の町の有様を語ってくださいました。

闇市マーケット、アセチレンランプの灯、摩天楼と呼ばれた浅野御殿の廃墟、そこを舞台に活躍する黄金バットの紙芝居と弁士のおじさん、芝園映画館や銭湯の混雑、都電と車庫、下町と山の手……。

 

戦後の貧しい、でも「闇」ににじむ裸電球とアセチレンランプの美しかった時代に、小学生だったお二人が見て、歩いて、体験した町の光景は、なんともいえない感動的な色あいをもって迫ります。

まるでおとぎ話のようでもあり、日常がはなやいだ祭に変わる、そんな仕掛が町とそこに暮らす人々のあいだに溢れていて……うらやましいほどの「豊かさ」を感じます。

 

子供にとっては親ばかりでなく、地域の大人全部が優しい。そこには人と人との一対一のつきあいがあって、自発的なコミュニティが生まれていたのでしょう。

 

一方には品川駅から吐き出される引き揚げ者、傷痍軍人、進駐軍、ギヴミーチョコレート、その甘くて苦い味、歴史から消された部落、1950年にはじまる朝鮮戦争と日本の「独立」……歴史がイメージとして沸いてくるスリリングな展開……★先生がこれまでの講演で語っていらしたさまざまな人物たち(瀧口修造、土方巽、岡本太郎ら)もが、ちらほらと点滅をはじめました。

 

そのうちに、日本はやがて高度成長期を迎え、それまでに築かれたコミュニティを壊しながら、新しい科学技術文明と資本至上主義の波に身を投じてゆきました。芝の増上寺の境内を取り壊して、東京タワーが建ったとき、ひとつの時代は終わったと桑原さんはおっしゃいます。

 

戦後の日本は、なんだか震災後の私たちの時代にも重なります。

 

★先生のさりげなく引き出した桑原さんの回想と考察には、いまの私たちがここ(地元)で生きていくための指針ともなるような、とても大切なメッセージが含まれていたように思います。

 

それなのに、これが最終回となるのはとてもさみしい。どうかまたどこかで、この続きの講演を聴くことができますように!

(trois)

0 コメント

2014年

1月

22日

巖谷國士が語るシュルレアリスムとメヒコ!

22日は瀧口さんやミロをめぐって、〈遊ぶ〉シュルレアリスムという生き方を考え、今期のぜみのまとめをしたあと、京都からはせがわさんをむかえて★先生によるメヒコ講演の続編が行なわれました。

 

昨年の京都産業大学での★メヒコ講演に参加した人、参加できなかった人双方からの「もっと聴きたい~!」という熱烈な希望で、続編・シリーズ化を実現してくださったものです!

 

メヒコという土地、民族、歴史、古代文明、古代神話、政治革命、芸術革命、現代政治~という壮大な規模でメヒコの紹介をする回(メヒコ2)、
じつに多様なメヒコ出身の芸術家たち、あるいはメヒコへ流れついたあらゆる国からの芸術家・亡命者たち(そのほとんどがメヒコに魅せられて定着してしまう!とくに女性たち!)の作品のかずかずを見せて、その解説をしてくださった回(メヒコ3)を経て、この日は★先生がつくられたメヒコ人名録についての講演でした(メヒコ4)。

メヒコにかかわった、60人ちかくの人物が挙げられた世界初ともいえるリストです! 革命家、大統領、政治家、暗殺者、大壁画家、画家、写真家、彫刻家、映画監督、女優俳優、ノーベル賞作家、演出家、シュルレアリスト、日本史上の人物、日本人移民、そのほか……超有名人から意外な人物、まったく知られていなかった人物まで!こんなふうにメヒコを把握することになるなんて、誰も予想だにしなかったことで、★先生の魔法としかいいようがありません!

 

京都産業大学でのご講演(メヒコ1)からはじまって、このようにメヒコを語る展開はいままでにない画期的なもので、本当にみなが驚き、感動したのでした。そして★先生の語るメヒコに、聴けば聴くほど魅せられてしまいます。もっと知りたい! メヒコに行きたい! メヒコ人になりたい!

この日あつまった観客やぜみ生のなかには、卒論・修論を出せた人、引きつづきぜみに残れることになった人、就職が決まった人、昇進した人、などめでたい人たちがたくさん! お祝いしながら20人以上で鎮海楼で打上会をし、さながら第9回最終講義となったのでした。★メヒコ講演ももしかしたら、5・6・7・8・……と続いていくかもしれませんね!

(okj)

0 コメント

2013年

12月

14日

巖谷國士×斎藤綾子★対談講演「映像に見る<忠臣蔵>」@港区高輪支所

12月14日に語られた「忠臣蔵」!

12月14日赤穂浪士討ち入りの日に、斎藤綾子先生をゲストに迎え、★先生が「忠臣蔵」について講演をするという稀にみるイヴェントがありました! 講演会場そばの泉岳寺では、義士祭の真っただ中です。

 

★先生はまず、元禄時代の江戸にあらわれた多くの傑出した芸術家、文化人、政治家などを紹介して、

「忠臣蔵」の時代の江戸がどんな世界だったのか、観客の目前に描いてくださいます。

粋で派手でかっこいい町人文化に魅せられ、徳川綱吉の意外な面や、オープンな政治に驚きの声があがります。

 

続いて明治、昭和、現在の泉岳寺をめぐる写真を見せながら、赤穂の塩について、大石内蔵助良雄の扮装について、四十七士自刃の跡、それぞれの義士の墓やエピソード、吉良上野介義央の首を洗った井戸、明治天皇も江戸城に入る前に泉岳寺に詣ったこと……などなどについて語られます。

圧巻は、この一大スペクタクル……未明に吉良の首をとった四十七士が、両国は本所松坂町にあった吉良の屋敷から高輪の泉岳寺まで12kmを練り歩き、当時、世界最大級の100万人都市であった江戸庶民の熱狂のなか迎えられたこと! これを大デモ行進(ページェント)だったととらえる★先生の視点に、はっとする観客たち。★先生もその場にいたのでは?と思うほど、臨場感あるお話にわたしたちも興奮してしまいます。

 

そして斎藤先生とともに、「忠臣蔵」が無数の歌舞伎、絵本、小説、ドラマや映画で語られることや、なぜ「日本人」に受けるのか、その見せ場などについて実際の映像の対比も交えながら、あらゆる視点から客観的にひもといていきます。たとえば、大石と立花左近が相対するシーンのように、語らずして語るような「型」があること、そこに観客とのコミュニケーションを誘っていること。江戸と赤穂、(両国)橋を挟んだ江戸のこちらとむこう、中央と地方、のように東と西を横断する物語であること。権力への反逆と忠義、組織と個人など、正反対の要素が成りたつこと。女性たちの「忠臣蔵」。計画を知っていながらあえて取り締まらない政治のあり方。同時代のもうひとつの大物語「水戸黄門」とのちがい。戦前、戦中、戦後と、50年代、60年代……時代によって変化するせりふや内容。そのほかそのほか……

 

「忠臣蔵」がその時代ごとに、あらゆる物語の受け皿となっていたことが浮き彫りになります。役者たち、映画のセットやカメラワーク(千恵蔵と阪妻の対決、溝口健二の撮影、河原崎長十郎の大石など、ほんとにすごかった!)についても時代背景や人物の生い立ちから詳しく語ってくださる★先生。

 

ここまで「忠臣蔵」がおもしろく、かつ元禄時代から現代日本の社会まで見とおす客観的な視点から語られたことが今まであったでしょうか? 本当に画期的なすばらしいご講演でした!

(okj)

0 コメント

2013年

11月

17日

巖谷國士★講演「〈見る〉ことの自由」@下北沢B&B

「〈見る〉ことの自由」と岡上淑子さんについて

11/17 、下北沢のブックカフェで催された★講演会。
「〈見る〉シュルレアリスム」という巖谷先生のご講演は、雑誌「mille(ミル)」の創刊(0号)にちなむものでした。「mille」(フランス語で千、多数)は日本語の「見る」をかけたタイトルで、いわば見ることの多数性、多様性を意味しています。

★先生のお話は、その表紙に使われた岡上淑子さんのコラージュ作品と、表紙下のリード文(収録されているインタビュー「時を超える夢 by 岡上淑子」からの言葉とエッセー「見ることの自由について by 巖谷國士」の一部引用)に、触れることから始まりました。

じつは岡上さん、太平洋戦争をはさむ暗黒の時代に、ここ下北沢に住んでいたのです。

敗戦後の、大空襲のあとの東京を自転車で走り、焼け跡の廃墟を目のあたりにしつづけた彼女の体験から語りおこし、自由と自立を求めて文化学院で服飾を学ぶあいだに、自然とコラージュをつくるようになった彼女の体験を、第一次大戦直後のケルンの廃墟で始まったエルンストのコラージュにかさねて話す展開は、まさに臨場感のあるものでした。


岡上淑子さんはコラージュを意図的に「つくった」のではありません。「できちゃうの」だと言っています。

そこにシュルレアリスムの芽生えのあることを瀧口修造が見抜き、「続けなさい」と言ったことの意味、そこに「自由」の可能性があったんだ、という★先生のお話は、先日の京都のギャルリー宮脇での講演にもつながりました。それだけではありません! そう、今年の春夏に開催された 「〈遊ぶ〉シュルレアリスム展」に、岡上淑子作品をとりあげよう、展示しよう、と考えたのは展覧会を監修された★先生でした!


「自由」とは与えられているものではなく、また国語辞典の定義にあるように「思うがままにふるまうこと」(国際社会でも思うがままに嘘をつく首相など自由とは無縁です)でもありません。


むしろこの社会では人間が不自由であることを知り、自由を求めて生きることこそが「自由」のありかたであって、★先生のおっしゃる「見ることの自由」もまた、その方向を指し示すものでした。

かつて第一次大戦の体験から、合理主義と科学技術信仰の誤りを思い知った若い詩人やアーティストたちは、ルネサンス以来の絵画のありかたにも反抗し、「見ることの自由」を求めました。

 

たとえば遠近法からの解放。遠くはなれた富士山を目の前にあるかのように見て描く北斎の版画が、セザンヌ以後のヨーロッパ絵画に影響を与えた例など、とてもわかりやすく、〈見る〉〈遊ぶ〉シュルレアリスムへのみごとな導入になりました。

コラージュには遠近法がない、むしろ遠近法を攪乱する行為こそがコラージュではないか、という見方にはびっくり。でもそのとおりです。岡上淑子のコラージュもエルンストの『百頭女』と同じように、廃墟を思わせる背景の上で、大小さまざまなオブジェが浮遊しながら出会っているではありませんか! これも〈見る〉自由の追求でした。

こうしてブルトンの『シュルレアリスムと絵画』の冒頭にある「野生の状態にある」目、「野生の目」へと展開してゆく★講演は、いつもより短い70分という制約がありながら、まさしく「自由」だと感じられました。

ゲストbookにnawaさんのコメントもあるのでくりかえしませんが、下北沢という不思議な町にふさわしい、また原発の時代への視線をも決して失うことのないアクチュアルな講演でした。

(trois と ukk)

0 コメント

2013年

11月

10日

巖谷國士★講演「巖谷小波――人と作品」@広島経済大学

2013年11月10日13時から、広島経済大学で、日本児童文学会総会の特別企画として、巖谷國士講演「巖谷小波――人と作品」がおこなわれました。この講演の記録は、近く刊行される同学会の紀要に掲載されるとのことですので、ここにレポートを載せることはいたしません。なお、ゲストbookには、出席したFJさんによるコメントがあります。

(Mont Analogue事務局より)

0 コメント

2013年

11月

09日

巖谷國士★講演「〈遊ぶ〉シュルレアリスムとは何か」@京都 ギャルリー宮脇

「〈遊ぶ〉シュルレアリスムとは何か」@ギャルリー宮脇

 

11月9日(土)、前日の講演「シュルレアリスムとメキシコ」につづいて、京都の由緒あるギャルリー宮脇で、巖谷國士特別講演「〈遊ぶ〉シュルレアリスムとは何か」がありました。

15時から16時半すぎまででしたが、そのあとのサイン会は長蛇の列で、お隣のお茶の超名店I堂の美しい女将も登場し、長い演劇のような出来事になりました。

 

 

ギャルリー宮脇ではすでに同名の展覧会がひらかれていて、先日の「〈遊ぶ〉シュルレアリスム」の展示作品のうち、トワイヤンやマルセイユのトランプも借り出した盛りだくさんな展示。
3階建てのビルの各フロアと階段の途中に、シュルレアリスムの版画作品とアール・ブリュットのさまざまな作品が所せましとならび、まずじっくりと見てまわります。
そして15時から、階段まで満員の会場で、記念講演「〈遊ぶ〉シュルレアリスムとは何か」がはじまりました。

展覧会の主旨にそって、講演はずばりシュルレアリスムとアール・ブリュットを結びつけます。

アール・ブリュットもまた〈遊ぶ〉シュルレアリスムに内在していること、日本で通用している「アウトサイダーアート」というやや差別的な用語とはまったく違う概念だということ。

 

ディアマン・ブリュット=ダイヤモンドの原石。シャンパーニュ・ブリュット=生のままのシャンパン。だからアール・ブリュットは「アウト」ではなく、私たちの「イン」にもあるもの。

アール・ブリュットもまた、アカデミズム・労働・エンジニアリング・官僚的タテワリなどから解放され、遊び、ブルトンのいうように「野をひらく鍵」(自由)を手に入れようとする体験なのでした!
すべての人のなかにブリュットの可能性があることを示唆し、自然発生的に生まれていく創造について語ります。その例として、「〈遊ぶ〉シュルレアリスム」展にとりあげられ、そのカタログを兼ねた平凡社の美しい本に大きく扱われている岡上淑子のコラージュと、植田正治の写真の作業過程が挙げられたことは、すばらしい、わかりやすい、新たな視点でした。
気がついてみるとギャルリーの空間も、新たな生気を帯びはじめたかのよう。アール・ブリュットにシュルレアリスムの萌芽を見て、両者の接点を結んでいく展開にはどきどきしっぱなしでした。

そのほか、この講演の画期的な意味については、ゲストbookに専門家のはせがわさんが的確なコメントを書いておられるので、そちらをごらんになってください。
すべてがつながってゆく★連続講演。★先生の示唆から生まれたというこの展覧会、そして記念講演は、はせがわさんとのコラージュ・ブリコラージュも感じとれて、ほんとにすばらしいものでした。

(ukk)

0 コメント

2013年

11月

08日

巖谷國士★講演「シュルレアリスムとメキシコ」@京都産業大学

「シュルレアリスムとメキシコ」@京都産業大学

 

11月8日(金)、京都産業大学で、巖谷國士講演「シュルレアリスムとメキシコ」がおこなわれました。16時50分から19時すぎまで、とてつもなくスケールの大きい講演になりました。

 

講演の前にメヒコ(メキシコの本来の名)の地図とメヒコ/シュルレアリスム関係の人名録(メヒコの革命家や芸術家、トロツキー周辺、シュルレアリストたち、ほかの芸術家たち、写真家や映画人たちまで、58名!)が配られ、期待がつのります。

夏にKさんとメヒコ旅行をしたはせがわさんの現地写真と、アーティストたちの絵画、写真の映写をはさんで、2時間以上!

★先生のお話は、アルトーにつづいてブルトンがメヒコと出会った1938年、つまり彼がメヒコに降り立ったときからはじまりました。

 

ヨーロッパや日本でファシズムが台頭し、世界中に不穏な空気が蔓延していた当時……唯一、亡命者を積極的に受けいれる寛容さを示していたメヒコに、ブルトンは「人々の心がひらかれるところ」を見いだして、はじめて出かけたのです。

 

★先生は、ブルトンが以前から思いえがいていた(冒険小説、アンリ・ルソー!)、そしてついに体験した(トロツキー、リベラ、フリーダ・カーロだけでなく、ポサダからアルバレス・ブラボまで、サパタやビリャ、そして自然・風土、古代文明、カラベラ=骸骨、オブジェの不思議まで!)をつぎつぎと開示しながら、次第に、この土地に生きる人々とその歴史、生活、死生観にまで話をひろげ、近代メヒコが混淆と変化をおそれない気高い人格を形成していった過程を解きあかしてくださいました。

ヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)~メヒコ合州国と呼ばれるよりもはるか以前から、ここにはたくさんの古代都市が栄え、魅惑的な名を持ち、旧大陸とは違う自然と生活と信仰を育てていました。(あらゆる神話的な名詞が★先生の口から溢れますが、いちいち記していたら私の報告はおわらないでしょう。)

 

その文明も、16世紀にヨーロッパからの侵略者コルテスによって破壊されてしまいます。(私はコルテスを湖上の夢の都に迎えいれたテノティチトランの民を尊びたい!)でも、侵略・征服されたインディオは、ヨーロッパ人と混血しながら、アステカやマヤの血を絶やさずに、やがて雄々しい革命家たちを生み育てます。

 

時をへて、ロシアにも先立つ独自の革命をなしとげたこの系譜が、自由と解放の旅を選んだシュルレアリスムに受けつがれたことは、★先生の示すさまざまな事実資料や、なかでもパンチョ・ビリャを描いたマルセイユのトランプ(!)の画像からも明らかでした。

一方、メヒコの芸術に与えたシュルレアリスムの衝撃も大きかった。革命後の壁画運動や野外美術学校の運動から、1930年代にいたってシュルレアリスムとの出会いから開花するメヒコの美術はすばらしいものです。とくに写真家や、女性アーティストたち。ヨーロッパから来てそのままメヒコに居残った芸術家も女性のほうが多かったように思えます。

 

★先生のつくられた20世紀メヒコ/シュルレアリスム人名録には、革命家やカルデナスのような政治家、思想家も含まれ、作家たち(パスだけでなく、マンディアルグやル・クレジオ)、さらに日本の芸術家(北川民次などにとどまらず岡本太郎まで―とくに《明日の神話》の新解釈!)、映画監督(ブニュエル、ホドロフスキーからカザン、ペキンパまで!)、俳優たち(シルビア・ピナルだけでなくアンソニー・クイン、三船敏郎!)へと、どんどんひろがっていきます。

 

とうていすべてを報告できないスケールの講演でしたので、私のレポートもここで途切れます。

★先生のお話で私の頭も想像力もフル回転、まだ行ったことのないメヒコについて、ただただ大きな超現実的な、夢と憧れをいだくことになりました。

(trois)

1 コメント

2013年

10月

21日

巖谷國士講演★「植物の生き方・感じ方について」@ロビニエ

「花と樹の話」第2回〜植物の生き方・感じ方」@robinier

コスモスの季節に、吉祥寺の花屋さん、ロビニエのサロンで行なわれた★講演。

 

子供のころ★少年がコスモスを育てた体験にたまらなくなります。

コスモスはギリシア語で「宇宙」、その秩序だった花びらの形に小さな宇宙があるというお話にどきどきし、★先生が被災地で目にしたコスモスが咲き乱れる光景に胸を打たれているうちに、

コスモスをはじめ、花にあふれたロビニエ・サロンの誰もが、すっかり★先生のお話に惹きこまれていました。

 

★先生のテュレ庭園写真(ご著書『森と芸術』や『フランス庭園の旅』に掲載)や、

柏崎の森写真(このブログ冒頭写真!)を紹介しながら、植物同士のコミュニケーションや生命体としての森の感覚についてお話される★先生。

 

植物の五感についてのお話がはじまると、もう、目からウロコの事実が明かされます!

138億年前の宇宙の誕生にまでさかのぼり、地球規模での生命の歴史から科学的に展開。生命に「目」ができて、その「目」にもさまざまな種類があり、それぞれ見え方がちがうこと。

植物も「見て」いる。「見る」とは何か。

聴覚は触覚の延長ともとらえて植物の触覚や平衡感覚、引力(地球との関係)にまで話され、植物が嗅覚(味覚)でとっているコミュニケーションや、植物のもっている記憶、永遠ともいえる植物の寿命についてもお話が及びます。

 

植物と動物は共通の祖先を持ち、共通のDNAを持っていることがわかり、どよめくサロン。

なんてうれしい事実なんでしょう!

それなのに人間はこうした感覚を、脳が知覚にして、エンジニアリングをはじめてしまうのです。

被災地でも森を切って宅地造成をはじめたり……

 

植物の10億年という、人間とはくらべものにならないほど長い長い地球上での歴史。

人間は植物につつまれて生き、自然の一部となり、植物にこそ生き方を教えてもらうべきと★先生。

 

植物界と動物界を区別する必要はなく、植物にどう対処してきたかが、時代の歴史となるとおっしゃり、原発事故や東京オリンピック開催による影響まで見とおす、本当に目の覚めるような展開!

宇宙規模の視野をもつ★先生……宇宙を名にしおうコスモスを、原産地メキシコでみた野生の様子と、大航海時代にメキシコからもたらされ、グラナダ・フェネラリーフェ宮の秘密の花園に咲くコスモスのその世にも美しい姿などでお話をしめくくられると……

感動と興奮につつまれて、その後も★先生への質問が絶えないロビニエ・サロンなのでした。

(okj)

0 コメント

2013年

10月

20日

巖谷國士講演★「森・庭園・建築ー戦前のモダニズム」東京都庭園美術館×明治学院大学

巖谷國士講演★「森・庭園・建築-戦前のモダニズム」

今年開館30周年を迎えた東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)。

この記念に、同じ白金台の地に、歴史ある建築をもち、創立150周年を迎えた明治学院大学を会場にして★先生がご講演をされました。

 

朝香宮邸として竣工したのはちょうど80年前の1933年で、1923年の関東大震災からは今年で90年になります。

10万人以上が亡くなり、ひとつの大きな町が消滅してしまうほどの損害をもたらした災害。

建築を歴史や自然や社会のなかで考える★先生は、関東大震災以後の建築という視点から、旧朝香宮邸をはじめとする白金や高輪の建築群をとらえられます。

1932年の地図を見ながら、この土地の縄文的世界や、市電など当時の交通網についてお話をしながら、そこにある建築、邸宅、西洋館のひとつひとつを詳しく紹介してくださいます。のちのスライド上映でも、その建造物、建築家をめぐる知られざるお話の数々! 木組みや屋根や入口や窓の様式にまで注目する★先生の目によって、日本の西洋館の、この土地における特殊性が明らかになっていき、魅了される観客たち。また★先生撮影の写真がすばらしいのです!

 

朝香宮邸も、もともとは和風建築で高輪3丁目にあったところ、震災によって住めなくなったため、当時の白金御料地へ引っ越すことになったのでした。ここは江戸時代は松平讃岐守の大名屋敷・大庭園で、森全体が庭園だったとおっしゃる★先生。竣工当時の映像や、現在の内部や庭園の映像、「森と芸術」展の映像とともに、朝香宮がパリ万博で見たアール・デコ展について、第一次世界大戦を経て変化した装飾の傾向について、マレ・ステヴァンスやアドルフ・ロース、ル・コルビュジエなどにみる当時の建築の変化や朝香宮邸との共通点について、世界規模の視野で話してくださいました。

 

そうしてわかる、この東京都庭園美術館の森の世界。内部の照明や明かりのとり方は、森の木漏れ陽のようと★先生。植物の装飾が繁茂し、絵本もふくめさまざまな芸術・美術が混ざりあい、引用され、全体として森の世界があらわれている……照明や階段の欄干などに見られるジャポニスムなど、アール・デコそのものに東洋的な要素が入っていて、その感覚がずばりこの土地にあったと話され、女性的な感覚や発想が見られるのは、允子妃殿下のご意見もあったのではないか……と着目します。

 

庭園には不思議な樹木や彫刻や「人間みたいなもの」たちがいるアニミスムの世界。

縄文時代からこうした森とメルヘンの世界で暮らしてきたことを、いまの私たちも忘れてはならないのです。

 

★先生は三陸海岸へ行き、そこで目撃した現在の状況も話してくださいました。

津波で町がさらわれた土地に、周囲の山(=森)を崩した土で、わずか数メートルの盛り土をして宅地造成をする……森がなければわたしたちは生きていけず、災害にも耐えられないのに!

 

「建築」というとき、一方に廃墟の光景があり、震災、戦争がある……人々は失われた建築を忘れてはならず、その土地やそこで紡がれた歴史のイメージを想像力で抱きつづけることではじめて、これから建てられる「建築」を理解することができる、とおっしゃる★先生の言葉には、息をのみました。

 

「建築」も歴史や自然の中で考えてゆく、現在の社会を見とおすアクチュアルな展開、本当にすごい講演でした! 東京都庭園美術館×明治学院大学の主催者のみなさま、すばらしい企画を、ありがとうございました。今日の参加に恵まれた観客は、東京都庭園美術館のリニューアルオープンに真っ先に駆けつけることでしょう!

(okj)

0 コメント

2013年

10月

14日

巖谷國士講演★港区の歴史と文化「岡本太郎」

港区の歴史と文化をとおして岡本太郎を読み解く!

今年もはじまりました、港区の歴史と文化シリーズ!
いままで、島崎藤村や永井荷風、「赤い靴はいてた女の子」のきみちゃんなど、この土地にまつわるさまざまな人についてお話してきた★先生。今回は岡本太郎をとりあげるとおっしゃいます。

 

まずはここ港区がどんな地であるかということを、

高輪や赤坂の地図(江戸、明治、昭和、現代の4種!)を示しながら、
川について、7つの丘について、坂や階段や崖について、寺について、武家屋敷について、駅について、墓地について、山の手と下町について……めくるめくお話されます。

その臨場感にはまるで観客も一緒に町を歩いているようで、時代も江戸~平安~縄文と旅していきます。山と谷だらけの、森の縄文世界が広がります!

 

この縄文の土地勘を、生まれながらに持っていたのが岡本太郎ではないかと★先生。
一平とかの子を父母に、北青山、京橋、白金の自然の中で育ち、パリへ渡り、戦争がはじまると兵隊にとられて5年間も中国の奥地で殴られ続け、復員してまた生まれ育ったこの地へ……★先生が太郎の書いた文章、「生命の交歓」や「崖の家」(『リリカルな自画像』より)を読みといていくと、いかに太郎が自然のアーティストだったかが明らかになっていくのです。

 

★先生の読み、これは感動的な体験でした! 自然との一体感が基本にある太郎、その自然とはまさにこの港区の自然なのです。虫と人間も融合し、「人間みたいなもの」になっていく……

 

その後★先生が上映してくださった太郎のスライドでも、森の世界や「人間みたいなもの」がたくさん登場してたまりません。縄文土器や秋田のなまはげ、沖縄は久高島のイザイホーや御嶽(ウタキ)など、日本列島が再発見されていき、万博で太郎が人類の「進歩と調和」ではなく「原始と混沌」をめざしたと話されるのには会場も大興奮でした。

 

★先生のお話で、自然によってその地域の歴史と文化がつくられることを実感しました。こうした視点から★先生が語る岡本太郎には、本当に目からウロコが落ちました。すばらしかったです!次回も楽しみです!

(okj)

0 コメント

2013年

10月

01日

「花と樹の話」(巖谷國士筆)よりざくろ★UPしました!

すっかりブログの更新滞っておりました〜!

そのあいだにもバンバン! ★先生の講演予定が入っていて……いましがたようやく

講演スケジュールをまとめてみたところです〜! 

みなさんの予定表もこれで10月+11月はたてやすいかナ?

 

「花と樹の話」より「ざくろ」もアップしました!

それと「花と樹の話」が書籍化するなんて情報もありましたね、たのしみ〜。 

できれば、ロビニエ講演も掲載して☆〜! 

 

第2回を数える(半年に1度のペースね!)ロビニエ・サロンでの「花と樹の話★講演」、

次のタイトルもワクワクです。「植物の生きかた・感じかた」って……なんだかうれしくなる。

植物たちは「Surréal」を感じて生きているはず!

0 コメント

2013年

9月

08日

巖谷國士講演★瀧口修造の〈北〉@花巻萬鉄五郎記念美術館でのご報告!

(「書きこみ★ゲストBook」に書かれたviolet報告を整理して、ここに掲載させていただきます

~Mont Analogue事務局より)

 

念願の!夢にまで見た花巻での巖谷國士★講演会「瀧口修造の〈北〉震災・貝殻・シュルレアリスム」!

 

前日に三陸被災地をめぐられてのご講演。2013年9月8日(日)。
(車の旅で、★先生の行く先、カメラを向けるもの、ついつい追っかけた。そこには既知の未知・不可視だった可視!「見る」おもしろさ!)

 

よりによって講演の日の朝、2020年「東京」オリンピックの開催が決定。

秋雨の暗い雲が嵐を呼びそう。観客の出足も気にかかる。

昭和の古い町なみ商店街の一角、役所支所の教室みたいな会議室。さっきまでガランとしていたそこはたちまち秋晴れた!

なんと小樽文学舎バスツアーご一行16人!70F★卒ゼミ県外女性数人まで!
キャラコ(様)白地に幅のせまい(薄)ピンク色のクロスをかけた長テーブルを前に座された★先生。「〈遊ぶ〉シュルレアリスム」の表紙にも見えてくる!

その日のテクストとなった瀧口修造の「自筆年譜」には、小樽講演時と同じページと、あえて別のページが引かれてる。
まずは、〈北〉と「国」それぞれにある、二つの意味について前置きされた。
「北」は故郷としての〈北〉と、「縄文的風土ともいえるもの」・文明に対する「野生」の〈北〉だという。
瀧口さんのこれら2つの普遍的な〈北〉を底流におきながら、小樽★講演では前者から、花巻★講演では後者から、発するシュルレアリスムの色を濃くして、★先生は語られていたように思う。

「私のなかには〈北〉がありすぎるので……」というブルトンの言葉の〈北〉に反応していたかもしれない瀧口修造が、イデオロギーをもたず、「全面的同意」をしなかった根拠としての、野生の〈北〉だ。
(故郷としての〈北〉=生まれ育った「雪国」富山。後には母ともなりし姉みさをへの愛と育った(暮らした)町としての「雪国」小樽。みさをとの悲惨な別れのあと、拠点としての小樽は消えた。)

自ずと小樽では美しく切なく、花巻では切なくもズシズシと。小樽にはランプや夕日や雪あかりや色のある光がこぼれていた。花巻では津波や地震のあとのざわつく光景ばかりを見る。たしかに同じ場所も通ったけれど、まるで異なる背景を旅しながら、気づくと共通の場所で出会っている!
……ん? 出会ったのは自分と自分?! 狐につままれたよう。いやはやもう!
魔術的芸術的★講演!

今回の講演の鍵ともなる二つの「国」。
state=その時その時で変わる「国家」としての国と、country=普遍的な「自然」としての国・その人によって変わらない土地。
「あまちゃん」の歌のひとつ『地元に帰ろう』の「地元」みたいなものですね、と★先生。(「あまちゃん」をひきあいに出して嬉しそう……都度、東北らしく?! ひかえめに沸く!)

まずは年譜の書かれた1969年に着目。瀧口さんが脳血栓で倒れた年。学生の反乱、東大安田講堂事件の年でもある。死を意識して書かれたものか? 苦悩の中での手作業(遊び)の繰り返しだったのか? と★先生。
年譜をたどりながら、瀧口さんと〈北〉・震災・貝殻(・海)・シュルレアリスム……それら普遍的なものたちと、二つの「国」を重ねるように読み解かれていった。
出生年ページにある「想像するに、先祖は……謂わば戦争孤児であったのではないか。」このくだりも、なにやら予告めいている。朝からざわつく日。

 


1923年、関東大震災に「会」って以降(2011.3.11以降の現代もまた似て)、国家は縮小ではなく海外侵略へ、戦争へ……ファシズム国家へ……1940年の「東京」オリンピック(中止)へ。
「長髪で歩いていたので竹槍をもった自警団に追跡されたこともある」瀧口さん。震災後は異質なものが排除されて個が消える。
現代の福島然り。


国家のために難民・疎開。故郷喪失者の続出した20-21世紀。「旅の時代」ともいえるとか。そんな時代を背景に再三めばえた社会主義思想・ユートピア思想。
思想的風土ともいえる新天地北海道「北」~Nowhere。


1924年、偶然にも小樽にいたという瀧口修造・宮澤賢治・小林多喜二。北へのベクトルを持つこの不思議な面々が、あの小樽公園で会っていたかもしれない~そんなおもしろい光景までも見せてくださる領域なき★先生。「アンデルセン」と「向物性」の話では盛りあがったか?! 瀧口さんはシュルレアリスムへ、賢治は法華経へ。

3.11以後にもある種のコミュニティ思想(country)は生まれたものの、stateにのされてしまうのが現実だという。一見地域コミュニティのような「自警団」も、ゆきすぎた監視社会の危険性を孕むと言及された。そうそう、息苦しい。デジタルなインターネット社会がますますそれを助長するのだろう。〈北〉を持ち続けることの困難ゆえの偉大さ!

「現実の漂流物の間に立ちすくんだやうな」蘭島の光景に大震災の記憶~戦争の予兆のようなものを感じたひと夏の回想。「現実の」は、「現実からの」か?「現実にある」か? と★先生。

巖谷國士が瀧口修造と運命的な出会いをした、以来50年ぶりに見た三陸の吉里吉里海岸は、蘭島のそれに似ていたという。
タンギー・トワイヤン・岡上淑子……荒涼とした風景は物質的光景。シュルレアリストのたいていは、観念的なものではなく、とことん物質的なもの・自然物へと向かった。
瀧口修造のつくったことば「向物性」! 本来生命が住んでいた家。
だれかが住んでいたはずの貝殻。切ないまでに美しい姉みさをの……ランボーや偉大な詩人たちの追想の貝殻。
瀧口さんは貝殻に反応して、中を見た。中を想像した。貝殻は時代そのもので、時代そのものが中身を失った貝殻のようだった……物質的骨頂(*これ以上ないもの)を貝殻に見ていた瀧口さん――と語られた。


「現実からの」たたきつけられるまでの漂流物の間に立って、超現実を見たほうがいい。きっと瀧口さんのころ以上に空っぽな現代。
自然界には存在しないもの、核爆発。東京五輪に沸く同じ日本列島・福島に、住民さえ近づくも見るもままならない残酷な現実の光景がある。
見えない現実の光景だから、みんなで意識的にかかえて見ようとしなければ……いわれのない差別をうけているものたちも。


震災や戦争の光景にシュルレアリストたちが見てきた超現実。被災地陸前高田の切土・盛土の宅地造成の向かう先への危惧などについてもお話しされながら、普遍的な「自然」としての国(country)を、その時その時で変わる「国家」としての国(state)にのされて、奪われてはならない!と。

 

ブルトン~瀧口修造~と同様、やはり「全面的同意」をしないであろう巖谷國士の〈北〉の〈北〉から発せられた強くもやさしいメッセージ……花巻★講演。まさにライヴ! 

 

その朝のできごとまでアナロジーの糸でつながれた。
Mont★Analogueにも野生の〈北〉がある。stateのようなデジタルにのされずに発信しなきゃ!

violet

0 コメント

2013年

7月

15日

巖谷國士講演★〈遊ぶ〉シュルレアリスムー不思議な出会いが人生を変える@損保ジャパン東郷青児美術館

7.13ー不思議な出会いが人生を変えるーご報告!

いよいよはじまった「〈遊ぶ〉シュルレアリスム」の東京展。

すでに★先生のご著書を手にしていた人も(ある人たちは待ちきれず徳島展を先に見て)、東京での展覧会開幕を待ちに待っていた人は多く、講演当日は500人近くの人々が会場につめかけ、あっというまに満席となりました〜すごい熱気!

 

冒頭で、★先生は3・11大震災の直後から、すでにこの展覧会が考えられていたことを明かしてくださいました。

震災のあと、六本木でのシュルレアリスム展の講演で、シュルレアリスムと自然、そして震災について話すことにした★先生は、その後の著書および展覧会「森と芸術」でも「自然とは何か?」をあらわし、シュルレアリスムがつねに時代の「いま」を感じていること(予感しているといってもいい)を教えてくださいました。シュルレアリスムの美術にあらわれるさまざまなものが、じつは現代のわたしたちの生き方にも関連している、だからこそ私たちはシュルレアリスムをもとめるんですね。

 

今回の展覧会と著書で新しく★先生が焦点をあてた〈遊ぶ〉という要素を……私たち人間にとって(本質的な)遊びとは何か、ブリコラージュとは何かを、労働やエンジニアリングと比べながら明快に解きあかしてくださいました。

これまでの芸術運動のように決まった主義や様式にしたがうのではなく、その時々、偶然に出会った材料で新しいことをやるからこそ、シュルレアリスムという運動と生き方は今日まで続いている。

人生を遊びととらえ、決まったルートをたどるのではなく、偶然の出会いに賭ける(それも友人たちと集い遊びながら!)って、なんてすてきなことなんでしょう! 

★先生のお話に、聴衆はどんどん高揚していきます。

 

この偶然の出会いとそこから生まれる不思議について、さらに★先生はお話を進め、この展覧会と著書が構成されている「第1室」から「第7室」までの、さまざまな出会いを語ってくださいました。

人と人との出会い、人とモノとの出会い、モノ同士の出会い、カメラと人・モノとの出会い、「人間みたいなもの」や風景との出会い、自然界との結びつきや自然をふたたび獲得しようとする動き、モノたちが集ってコレクションとなるさま……その後のスライド上映でも、それぞれの「部屋」ごとに作品を映しては、驚異の★視点で解説してくださるのですから、たまりません!

 

最後に★先生が瀧口さんを、生涯を一種の遊びにした人としてとりあげ、その様子をお話されたときにはなんとも切なく美しくてもう!

 

……講演後の興奮さめやらず、『〈遊ぶ〉シュルレアリスム』を手に★先生のもとに並んだ人、人、人!

 

この展覧会は、たんに美術史やシュルレアリストの作品・動きをたどるものではありません!

視野と時代は広げられ、この展覧会と著書じたいが、驚異の集うある種のコレクションになっています。

 

そこに集うわたしたちもまた! 

洋食屋「アカシア」2階での超密集夕食会は、モン・アナログ史に残るものでしょう。

作品たち、今日の★先生のお話、今日集った「人間みたいな」たくさんの人々、すべての出会いが人生を変える一日でした!!

(okj)

0 コメント

2013年

7月

10日

「花と樹の話」(巖谷國士著)より★アカシアをUPしました!

毎日暑いです〜!

本日★先生の「花と樹の話」より「アカシア」をUPしました!

アカシア……そうロビニエです! 

4月のROBINIERでの★講演を思い起こします。素敵な講演でしたね。

白、黒、赤、青……日本人がもつ4つの色にせまるお話でした。

 

ほうずきの赤がまぶしいですね。

覆われてしまうほどの夏の夕べも青くて美しいです。

……近ごろは、そんなふうに身のまわりの「色」をとらえるようになりました。

 

★先生監修の「〈遊ぶ〉シュルレアリスム」展もいよいよ東京にやってきました!

ここ数日の東京は炎天下ですが、私たちも暑さに負けず、新宿の42階にまでのぼって、

空中に浮かぶ展覧会を楽しみたいものです。 

nawaさんが、さっそくゲストBookに展覧会リポートを入れてくださいました!

ありがとうございます〜☆

 

13日には★先生の講演(14時から)もございますし、その後は私たちの企画する夕食会も!

そしてその夕食会の会場がなんと!

「アカシア」という由緒正しい洋食屋さんというのですから、

期待が膨らみますね〜。

 

13日をどうぞお楽しみに!

 

0 コメント

2013年

7月

09日

巖谷國士監修★〈遊ぶ〉シュルレアリスム展オープン!

みなさま! 

待ちに待った〈遊ぶ〉シュルレアリスム展が東京凱旋です!

美術館は42階という高層ビル群のなかに浮かぶ不思議な空間。

上空から見下ろす東京の展望も乙なもの。

暑い夏がはじまりました! 展覧会を見にきてください。

そして13日の講演会もお楽しみに!

 

展覧会:〈遊ぶ〉シュルレアリスム 展

 損保ジャパン東郷青児美術館 2013年7月9日〜8月25日

 

図 録:

『〈遊ぶ〉シュルレアリスム』(平凡社コロナブックス)

 

講演会:

★講演@損保ジャパン東郷青児美術館

講 師:巖谷國士(本展監修者、明治学院大学名誉教授)

演 題:〈遊ぶ〉シュルレアリスムー不思議な出会いが人生を変えるー

日 時:2013年7月13日(土)午後14:00〜

場 所:損保ジャパン本社ビル2階(美術館と同じビル)

 

当日13:00までに会場にお越しになれば、申込がない方も入場できるようになりました!

 

0 コメント

2013年

6月

14日

「花と樹の話」(巖谷國士著)より★ひなげしをUPしました!

ようやく梅雨らしくなってきました。沿道のアジサイも美しい季節です。

最近のアジサイは、いろんな形、さまざまな色で、私たちの目を楽しませてくれる、

まるで自然の「オブジェ」ですね〜。


さて、遅ればせながら「ひなげし」をアップしました。

ひなげしの呼び名ってかわいいです。

 

3月4月の頃には、それこそいまアジサイがワクワクしている沿道に、

オレンジ色した小さなひよっこたちが

ダンプカーがごろごろ駆け抜けていくなか、野生らしくたくましく、

群生していましたね。

 

0 コメント

2013年

6月

03日

巖谷國士★瀧口修造・小樽・シュルレアリスム@小樽文學館・美術館

週末の6月1日(土)17:00より  

小樽文学館+美術館にて開催中の企画展「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム展」において、

巖谷先生のご講演がありました!

 

梅雨を知らない北海道ですから時季はとても良く、港町を吹き抜ける風も気持よく、

「北」の町歩きを誘います。

 

小樽まで駆けつけた★ぜみメンバーも数人おり、

講演の前から、講演のあとも、その翌日も、それぞれが瀧口さんの面影とともに

小樽の町を歩きました。

 

講演の感想も、それぞれが感じた「北」や「小樽」についても、

これからたくさん、このHP上にもリポートが寄せられることと思います。

 

この展覧会の図録には、巌谷先生による序文

「瀧口修造の小樽―イノセンス・貝殻・シュルレアリスム」が掲載されています。

それを読んだあとのご感想などもありましたらゲストBookのほうへどうぞ。


ご講演を報告いたします!

瀧口さんの撮影したヨーロッパ旅行写真や、手書きの原稿、部屋に集まってきたオブジェたちなどでいっぱいの展示室。その空間に、まるで飛行機や列車の座席のように細長く椅子が並べられ、講演会場となったのでした。

わたしたちはこの乗り物にのって、★先生のお話で、瀧口さんの小樽時代へと旅をしました。

 

1923年、関東大震災という日本の針路を決定的に変えたものに「会」った瀧口さんは、慶応大学を退学して長姉みさをのいる小樽へ渡ります。瀧口さんの「自筆年譜」をたどって、その記述の背景や土地まで、あざやかに読みといていく★先生。

 

瀧口さんが大学入学前からすでにウィリアム・ブレイクになじんでいたこと、当時の北海道が社会主義の新しい共同体などができはじめた新天地であったこと、小樽を去ってからもたびたび小樽を訪れていて、もはや小樽を第二の故郷としていたこと、そこで姉とも一種独特の愛情でむすばれていたこと……などが明らかになっていきます。

 

瀧口さんにとっての小樽は、作品にあらわれている……と★先生。

 

1926年に書かれた「バッツに」と「冬」に見るヴィジョンには陶然としてしまいます。

ブレイクがフェルファム(フェアラム)の海を女性として感じ、その光景に抱かれたように、小樽の夕日に抱きよせられて「子供のようにころころに」なる瀧口さん。

 

★先生が小樽公園にまちがいない、とおっしゃる坂道を「よちよち」と姉が瀧口さんを訪ねてくるくだり、聴覚~視覚~触覚~味覚~と、姉への思いが物体をとおして描かれ、切ないほど美しいのです。

 

小樽公園のアーク灯から「幻像」を見るところでは、瀧口さんのシュルレアリスムには常に実在の物質があり、見ているうちに不思議な姿をとってヴィジョンになること、背後にはアンデルセンやお伽噺もあることを語ってくださる★先生。

 

お話は瀧口さんがブルトンの書をそこで読んだ蘭島海岸へとおよび、そのとき瀧口さんのおかれた状況や、その時代にさかんに描かれた地平線・水平線絵画のことなど、スライド上映もまじえてお話しくださいました。タンギーやトワイヤンやダリなど、「<遊ぶ>シュルレアリスム」の作品も多々。三岸好太郎の貝と砂浜の絵画から瀧口さんの詩「カヒガラ」までお話がすすんだときにはもう、カラコロカラコロ……と清らかに切なく、泣きそうにふるえるしかないほど感動したのでした。

 

本当にたまらない、ご講演と旅でした。

「〈遊ぶ〉シュルレアリスム」には、1958年のヨーロッパ旅行以後、職業的仕事を拒否して、遊びの世界へいった瀧口さんのことを執筆された★先生。この「瀧口修造の『小樽』ーイノセンス・貝殻・シュルレアリスムー」では、それ以前の戦前のことをお書きになり、語られました。

 

すべてが連続している★先生のご講演、本当にすばらしく、小樽の観客の熱気・反応もすごいものでした。これから東京~花巻と展開するのに、ますますどきどきしています!

(okj)

0 コメント

2013年

5月

16日

巖谷國士著★新刊『〈遊ぶ〉シュルレアリスム』がでました

こちら☞ 巌谷國士著『〈遊ぶ〉シュルレアリスム』

(平凡社コロナブックス、1680円)


表紙の作品はマン・レイのオブジェ《マン・レイ(手・光線)》。

カヴァーをめくると、そこにも手!

表紙扉にはシュルレアリストたちの作ったトランプカード!

展覧会公式図録でもある本書には、どれもシュルレアリストたちの手による

美しいブリコラージュ作品がならんでいます。☞カラー図版多数!


ピンク色の帯!……かわいい!

帯には「この1冊でシュルレアリスムの美術がわかる!」とあり、

登場作家47人、作品図版250点、

人名解説・索引つき

(お値打ちです!)


シュルレアリスムをこの1冊でまるごと理解できちゃいそうですね!

日本ではじめて!こんなに充実した画集&シュルレアリスム論が出版されました

0 コメント

2013年

5月

14日

巖谷國士★シュルレアリスムと遊び@徳島県立近代美術館

徳島県立近代美術館にて開催中の〈遊ぶ〉シュルレアリスム展において、

5月11日、展覧会を監修された巖谷國士先生の講演がありました!

 

演題は「シュルレアリスムと遊び」

 

講演会当日は小雨がふっていましたが、

関東から、関西から、中国地方から、四国は高知から……徳島県内だけではなく、

わざわざ遠方よりお越しの観客も多く見られ、

なにより★ぜみのみなさんも駆けつけてくださり、きっと、これから

 

展示作品について…… 

★講演について…… 

著書『〈遊ぶ〉シュルレアリスム』(☜展覧会図録)ついて…… 

展覧会@徳島県立近代美術館と徳島について……

ご感想・その他、よせてくださることと思います。

 

それに際して、

HP事務局では、「展覧会〈遊ぶ〉シュルレアリスム★だより」という

ページを作っておきました!

5・11 巌谷先生ご講演ー「シュルレアリスムと遊び」―ご報告!

★先生の新刊『〈遊ぶ〉シュルレアリスム』を手にしてから、待ちに待っていたご講演の日。

山のなかにある徳島県立美術館は、この展覧会にぴったりの不思議な建物で、地元の方のみならず全国から観客が集まっていました。

 

「遊び」という視点でシュルレアリスムを語り、展覧会をつくるなんて、日本初の画期的なことですものね!

 

「遊び」とは何かを、「労働(エンジニアリング)」と対置させくらべながら、アリとキリギリスの物語もまじえて明らかにしていく★先生。つねに明日に備える「労働」の人生のままでは、最終的に死んでお墓に入ることに備えるだけになってしまう、というお話は衝撃的でした。

それでは「いま」を生きることができなくなってしまうのですから!

 

「遊び」は人間に絶対に必要で、文化を構成してきた創造的なものである……と「ブリコラ—ジュ(寄せ集め、日曜大工、やっつけ仕事とも訳される)」の視点から語っていきます。

そのあたりに偶然ころがっているものを寄せあつめて、即興で組みたててものをつくること……縄文人もボルツァーノのアイスマンも、もともと人間は森のなかでそうして暮らしていました。

 

シュルレアリスムも〈ブリコラージュ〉の要素が強く、コラージュやフロッタージュでは、素材のほうがそこらにあって、現実を描写するのではなく、自らの手で新たな現実をつくってゆけるのです!

 

エルンストは第一次世界大戦を体験し、一度死んで蘇生したという感覚を得たそうです。

コラージュも一度切られて死んで、貼りあわせることで別の「生」がうまれる、というお話にははっとしました……戦争や大災害という現実を体験してしまったら、与えられ教育されてきた現実が希薄に見えてきますよね。人間には独自に見ることの権利も、能力も、快楽もあって、私たちの目こそは〈遊ぶ〉ことができる、そしてそれをつくるのは私たちの「手」である……と語られたときは、感動につつまれました。

 

いまを生きるわたしたちに、まさに直接かかわること! 主義も様式もなく、現代における人間の生き方を追求する……だからシュルレアリスムはいまもずっと続いているのですね!

 

この本の表紙は、マン・レイの手のオブジェで、しかもカバーをとればトワイヤンによる手のカタログ! 手の作業から出発したシュルレアリスム、目と手がわたしたちの「遊び」につながる……これは読者を〈遊ぶ〉ことへと誘う扉です。

 

本に載せられた数々の作品(しかもそのほとんどを展示会場で見ることができます)を、★先生がスライドに流して解説してくださったのもすばらしかったです!

作品の読みときなど、★先生の視点にはだれもがが驚嘆! そして興奮さめやらず、くりだした会場のそこらじゅうにいた〈人間みたいなもの〉たちのすばらしさといったらもう……!(okj)

0 コメント

2013年

5月

09日

「花と樹の話」(巖谷國士筆)よりミモザ★UPしましたよ!

今週末には徳島県立近代美術館にて★講演「〈遊ぶ〉シュルレアリスム」がありますね〜!

5月11日 午後13:30〜

 

東京から、京都から、はたまた大阪、高知、九州……などなど、みなさんお出かけくださる由、

ご連絡をいただいております。みなさん、名乗りを上げてください!

お会いできますこと、楽しみにしています。

 

遅ればせながら(いつもよりは1日早め)「花と樹の話」より「ミモザ」をUPいたしました。

いつもならミモザが咲いて、桜が咲く〜はずなのに、

今年の東京はほぼ同時に満開を迎えていた気がします。

 

ミモザの花束、ミモザ色の霞のなかミモザ色した和服姿で……なんて、ステキですね。

ゴールデンウィークのころ、黄色い花が全国でもたくさん咲いています。

東京はエニシダが、軽井沢はレンギョウが、北のほうでも菜の花がまだ見頃ではないでしょうか。

0 コメント

2013年

5月

07日

巖谷國士★シュルレアリスム講演のご案内@徳島県立近代美術館

巖谷國士先生監修による〈遊ぶ〉シュルレアリスム展のご案内!

そして徳島県立近代美術館での講演会情報をお知らせしま〜す!

 

展覧会:〈遊ぶ〉シュルレアリスム 展

 徳島県立近代美術館 2013年4月27日〜6月30日

(夏には損保ジャパン東郷青児美術館へ巡回! 2013年7月9日〜8月25日)

 

講演会:

★講演@徳島県立近代美術館

講 師:巖谷國士(本展監修者、明治学院大学名誉教授)

演 題:〈遊ぶ〉シュルレアリスム

日 時:2013年5月11日(土)午後13:30〜15:00(←延長もあり得ます)

場 所:徳島県立近代美術館 二十一世紀館イベントホールにて(入場券があれば聴講無料)

 

図 録:

『〈遊ぶ〉シュルレアリスム』(平凡社コロナブックス)

 

0 コメント

2013年

4月

20日

巖谷國士講演★「花と樹の話」@robinier

本日、吉祥寺のロビニエにて★先生の「花と樹の話」をめぐる講演がありました。

店主談

「ロビニエというのは、ニセアカシア(ハリエンジュ)の樹のことです。パリ植樹の歴史で最も老齢と言われています。ちょうど、ロビニエの花が甘く咲きはじめる4月の末に、★先生に植物、博物の話をしていただけることになりました」


ロビニエの由来をめぐってパリからはじまったお話は、★先生ご自身の植物誌から地球の植物誌へと、時空を旅することとなり、そのなかで★先生がわれわれをとりまく色の秘密を明かしてくださるという感動的なものでした。

★少年がかずかず植えたオブジェのような球根からアネモネの花が咲くとき、台風でたおれたコスモスがやがてまた上をむいて大輪の花を咲かせるとき、胸がしめつけられそうになるわたしたち。木や花を擬人化せずにはいられず、そもそもこちらだって「人間みたいなもの」なわけであって、たがいに愛しあえるといううれしさ!

 

先生は、世界が滅びては再生し、変化していくものだということを植物から教わったとおっしゃいます。色というものも、具体物として植物から教わったとも。 137億年前のビックバン、46億年前の地球誕生までさかのぼり、植物の起こしてきた革命(恐竜を放逐することも!)の歴史が語られる過程は息をのむような展開!

なかでも色について、具体物へのアナロジーとしての色にくわえ、日本人の持つ基本的な4つの色彩感覚まで、語源からくわしく話してくださったのには会場中から「目からウロコ」の驚きの声があがりました。あお(青)は、あわくぼんやりと、いろんなものが偶然であうような、世界をおおう色……つまり森でもあったのです!

 

イスラム世界でももっとも大切にされている青、「ギルガメシュ叙事詩」から森を失ってきた人間の歴史は、現代の原発まで見とおされます。花もメルヘンのように、失われたものを記憶している……一輪の花を持ち帰ることが、森のきっかけになればいい……という★先生のことばが、宝物のようにここロビニエに響きました。

 

 なぜ植物になつかしさを感じるか、なぜ花を美しいと思うか、本能と人類の歴史から知ることになりました。ご講演後も、夏みかん茶や巨峰茶、イランのバクラヴァなど森につながるお茶やお菓子をいただきながら話はつきることなく……こんなに植物愛にみちた時間・空間があらわれることになるとは!★先生、ロビニエのみなさま、本当にありがとうございました!今後もモン・アナログの一拠点になりますね~!(okj)

0 コメント

2013年

4月

18日

「花と樹の話」(巖谷國士筆)よりオオオニバス★UPしました!

久しぶりの更新です。みなさまお元気ですか!

最近は各地で地震などが頻発しています。

木の芽が吹くどころか、地割れするほど、大地にもエネルギーがたまっているのでしょう。

 

今回のオオオニバスは、私も植物園に行くと必ず熱狂してしまう植物ですが、

これも大陸とか地球を感じさせるようなすごいヤツですよね。

 

日本の植物園のはどれも小振りで、とても葉の上になんて乗れそうにないんですが、

ヨーロッパの植物園で彼らは堂々たる風格でした! 特に南のほうで!

 

ではまた、展覧会情報ほか、随時さぼらずUPしていきますね。

0 コメント

2013年

3月

07日

「花と樹の話」(巖谷國士 筆)より「松雪草」★UPしました!

★邸の訪問報告、ありがとうございました!

ちょうど「柿」の樹の話が「花と樹の話」にも掲載されていますから、想像も膨らみますね!

 

さらに今回、少々急ぎ目に松雪草(さらに「すみれ」も)をアップしましたよ!

「森は生きている」〜名作です!

 

日々しだいにあたたかくなってきましたね!

4月の少年に私たちももうじき会うことができそうです!

 

0 コメント

2013年

2月

25日

「花と樹の話」(巖谷國士 筆)より「柿」★UPしました!

すっかりご無沙汰しました!

「花と樹の話」より柿をUPしました!

前回の予告から遅れることはや2月、たいへんお待たせいたしました〜!

次回は1月の「松雪草」をお届けます。

 

2月の梅もすでに開花したというのに、今朝などは東京でも氷点下。

小さな梅の花はかわいそうに凍えそうです。。。

早く暖かくなるといいですね!

 

0 コメント

2013年

2月

11日

巖谷國士×齊藤綾子★対談:港区を舞台にした映画

「港区の文化と環境」パートⅢ、今年度最終回のテーマは映画でした。

 

港区を映画という視点から語る試みは、★先生だからこそ!

高輪で生まれ育ち、歩いては映画館へかよった映画少年★先生。この土地と映画が体験でむすびついていらっしゃるのです。

齋藤先生が用意してくださったレジュメには港区ゆかりの映画人がずらり。ほとんど女性でお嬢様学校出身の人が多いという特徴が!

それ以外にも★先生から出るわ出るわ俳優、女優、人間関係。あのエノケンも青山生まれの麻布十番育ちだったそうです。

 

都電の駅がたくさん載った昭和31年の高輪地区の地図を見ながら、戦争映画の出征も引揚も、ゴジラの上陸(!)も、品川駅がすべての入口だったことや、

港区にはテレビ各局や東京タワーなどがありメディアの中心地でもあったことなどが明らかになっていきます。

 

いよいよ港区が出てくる映画上映がはじまると、会場は興奮の嵐に!

『ゴジラ』ではゴジラの上陸~進行ルートが現実の港区の町にすべて対応してつくられていて、ミニチュア都市や電車のオブジェ感や撮影の臨場感たるやすばらしいものなのです。

八ッ山橋や、高輪消防署から出たと思われる消防車も登場。ビキニ環礁の水爆実験で怪物になってしまったゴジラ、「文明の最先端」の鉄塔や工場などをこわしていきます。

『モスラ』でも、芋虫モスラは爆撃されながらがんばってもこもこ溜池山王などを進み、東京タワーに繭をつくります。いいやつらなんです! 『モスラ』でザ・ピーナッツの歌う舞台装置などにはメルヘンの要素すらありました。『特急にっぽん』に登場する品川駅、新幹線こだま、日本食堂のビル、結婚するのかしないのかの男女、車内でおこるできごとという映画の醍醐味!

『クレージーの黄金作戦』では、うさんくさくてはちゃめちゃな坊主・国会議員・医師のクレージーキャッツの3人がたまりません! 自由で気持ちよくて苦しいほど笑いました。まさに高輪という風景から、日本最初のアメリカロケでロサンゼルスまで行ってしまう超大作です。『ゴー!ゴー!若大将』では首都高を加山雄三たちがフランス映画のように歩きまわり、

最後はタルコフスキーの『惑星ソラリス』にあらわれる「未来都市」としてのかっこわるい首都高を見る……というめくるめく時間に。

 

瞬時に反応される★先生の土地勘や、映画が原発事故ほかこんにちを予見していたことなどのアクチュアルな視点、クレージーキャッツ的な生き方、こんなふうに土地と直結して映画を見られるなんて、驚きと発見がおしよせるすごい体験でした。時間を忘れてのめりこみました、もっとこうやって映画を見たい! 続編希望です~~ ★先生、齋藤先生、本当にありがとうございました!(okj)

 

0 コメント

2013年

2月

08日

予告★2月9日 港区の文化と環境をめぐる★講演

 第7回「港区の文化と環境」★講演 は、2月9日(土)に高輪区民センターで開催!


今回の対談のお相手は、齋藤綾子(映画研究者)さん!

巖谷先生、齋藤先生とともに、

港区が舞台になった映画の歴史をたどります。

0 コメント

2013年

1月

24日

「花と樹の話」(巖谷國士 筆)より「サフラン」★UPしました!

みなさま〜! 

 

遅ればせながら「花と樹の話」より掲載エッセーを更新いたしました!

「サフラン」につづく、さらなる「柿」「松雪草」「オオオニバス」……

いずれも素敵なエッセーです! 早くみんなに読んでほし〜! ご期待くださいね!

 

また「★執筆記事をUP★」には、昨年「11月頃、掲載予定〜!」と(いいながら)

ずっと予告していた、雑誌「究」に★先生が書かれた「はじめての本」というエッセーも、

読めるように掲載してあります!

 

2013 年初め、私(「★ぜみ事務局その1」)ったら

うっかり長期にわたりMont Analogue★Blogを更新できずに申し訳なかったです!

 

また本年もよろしくお願いいたしま〜す! だって2013年も企画盛りだくさんですから〜!

0 コメント

2012年

12月

17日

巖谷國士×森下隆★対談:港区古川の歴史と土方巽にせまる!

  12月15日、港区の高輪区民センターにて

★先生のご講演「港区の歴史と環境」がありました!

すでに6回目を数える今回の講演は、慶應大学アート・センターの森下隆氏をお呼びしての

対談となりました!

 

森下さんは、慶應大学アート・センターの「土方巽アーカイヴ」を長年牽引してこられた方で、土方巽と生前からつきあい、没後も、長い年月と労力を費やして土方さんの身のまわりのさまざまな資料を整理してこられました。そのおかげで、いまや世界中から集まる研究者たちに、土方巽とその舞踏を調査してもらえるよう、素晴らしい環境を慶應大学のなかにつくることに成功しました。

 

そして今回は、その森下さんが、これまで土方さんを調査する過程で、港区の古川(慶應大学にもとても近いですね)周辺をフィールドワークすることで、次第にわかってきたことがある……と、

 

巖谷先生が、これは「港区の歴史と環境」につながる話になるだろうと思いつき、今回の対談のお相手にご指名されたそうです。 ……土方巽とこの古川周辺というのは、じつに縁があるようなのですね。

 

土方巽の「舞踏」は、土方さんが秋田生まれ(細江英公さんの写真でも強烈!)ということから、

東北の、農村の、土着の、イメージから語られることが多いですけれど……

 

今回のお二人の対談から、その「舞踏」の源が、じつは……だったのかもしれない、そう理解する方が自然! という思いがけない展開になり……私たちは港区の歴史と環境を学びながら、土方巽の「舞踏」のルーツまでも知ることになるのでした!

 

くわしくは、以下okjのリポートをご参照くださいませ〜☟

今回のお二人の対談で、かつての港区・古川周辺の世界と環境が明らかになりました。

 

土方巽が戦後すぐ、二十歳で秋田から上京してきて暮らした、高輪の正源寺や古川沿いに立ちならぶ「簡易宿泊所」——当時、引揚者(出征も、引揚げも、品川駅からでした)や、地方から出てきた人々など、住むところのない人々が、こうした住まいを提供してくれるところへ集まってきて、貧しくも多様な、混沌とした世界を形成していたそうです。

 

古川周辺は工場街でもあったので、戦争の頃は標的ともなり、すっかり焼かれたこの地には、すぐさまこうした宿泊所が建ち並び、人々が職を求め、たべものや娯楽を求めていたそうです。周辺にはおかま街あり、食堂あり、温泉あり、映画館あり、踊りの稽古場あり、画家あり、芸人あり……の世界。

今日の客席には、なんと当時の簡易宿泊所を見たことがある、というマダムがいらっしゃり、巌谷先生、森下さんと客席との話のかけあいにもなりました。これが港区講演のすごいところ、観客の熱気!

 

土方さんはそうした町の雰囲気と人の集まる簡易宿泊所で、人間の動きを観察しながら新しいダンスを考えていた、そこには人間の生(なま)の生き方があった……と話される先生方。

 

土方さんにはフランスの小説家のジャン・ジュネの影響もあったでしょう、文学者・三島由紀夫や澁澤龍彥らとの交流も、また目黒アスベスト館や大野一雄、当時の(若手)アーティストだった中西夏之や池田満寿夫、富岡多恵子、そのほかたくさんの名前も挙がり、1963年の舞台「あんま」へ。

 

巌谷先生が体験した、土方さんがあらゆる領域の芸術家をひきこんで、あらゆるものをつなげて世界を「振り付け」ていった様子を語ってくださいました。

 

当時の時代の「危機」という感覚や、新しいものが「貧民窟」から生まれでたということ、土地の歴史・戦後の環境との結びつき、というところに注目して対談を展開され、 人間を支える背景となる「環境」、さまざまなものを身につけていった過程のなかに港区・古川の環境があったと定義づける巌谷先生の視点は本当に目からウロコ!  会場も駆けぬけるような盛りあがりで、聴いていて震えました。

 

すべて連続していく、アクチュアルな講演は、いまを生きるわれわれにまさに必要なものです。

森下さんが用意してくださった当時の古川周辺の写真や、土方さんのもっとも古い舞台や稽古場などの写真の数々もすごくて、もっともっと見たかったです。土方さんの身体はまるでオブジェ!

 

これまた土地そのもの、時代そのもののような五反田「グリルエフ」での夕食会も楽しかったこと! 本当にありがとうございました!

次回は来年29日(土)、港区のあらわれる映画について、明治学院大学の齋藤綾子先生とのご対談です。

ゴジラやクレイジーキャッツも登場するそうですよ~~見のがせません!

okj

0 コメント

2012年

12月

14日

予告★港区の歴史と環境★講演

 第6回「港区の歴史と環境」★講演 は、12月15日(土)に高輪区民センターで開催!


今回の対談のお相手は、森下隆(慶應大学アート・センター)さん!

長年、舞踏家・土方巽を研究してこられた森下さんとともに、

港区・古川の歴史をたどります。

2 コメント

2012年

12月

12日

巖谷國士×萩尾望都★対談収録『物語るあなた・絵描くわたし』出版!!

巖谷國士×萩尾望都 

対談収録『物語るあなた・絵描くわたし』刊行!

 

巌谷国士先生とマンガ家・萩尾望都さんによる

超充実対談が掲載された『物語るあなた・絵描くわたし』(河出書房新社)が

1130日に出版されました!

 

ほのきむさん、さっそくゲストブックに書きこみありがとう~!

私もMont Analogue HPからAmazonで購入しましたよ〜!

 

☟以下 okjリポートより☟‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 

『物語るあなた・絵描くわたし』(河出書房新社)

 

巌谷先生との対談が三分の一を占めていて、参考図版も豊富。

ページを繰りだしたら手が止まらない、息つく間もないスリリングな展開!

 

巌谷先生の視点を通じて、「マンガ体験」があきらかになり、映画や窓も登場。

時代の集合的無意識や人間をもとらえた普遍性まで到達……この対談を読んでしまったら、

最後に萩尾さんが期待するように、巌谷先生のマンガ論でまるまる一冊を待望してしまいます。

 ★ぜみでもかなり話題になっています。

まだの方はぜひ読んでほしいです!

(okj)

 

0 コメント

2012年

12月

11日

「花と樹の話」より★金木犀をUPしました!

金木犀の香り〜陶酔〜時空をさまよう〜記憶〜

素敵な★先生のエッセイ、またひとつ、掲載されました!


12月ということで、「モミの木」のお話も。

「花と樹の話」のページも覗いてみてくださいね!

0 コメント

2012年

12月

10日

巖谷國士×大月雄二郎 対談イヴェント「オブジェ考」@LIBRAIRIE 6

「大月雄二郎展-私と私のこころ-」

12月5日から開催中のこの展覧会によせて、

巌谷國士先生と大月雄二郎さんによるトークショー「オブジェ考」が

開催されましたのでご報告します。

巌谷國士先生と大月雄二郎さんのトークショーに、写真家の高梨豊さんまでくわわって、いよいよ豪華な進行となった「オブジェ」を考える夕べ@Librairie 6。

 

巌谷先生はマルセル・デュシャンやマン・レイ、大月雄二郎のオブジェとそのちがいにまで、さまざま言及しました。あるときは「かわいい、なつかしい、せつない」と表現されながら!

 

大月さんのオブジェには廃品や昔のものが配置されています。もう使われなくなった「もの」たちが、語りはじめる(ものをいいだす)ことにはじまり、大月さんのオブジェ「I miss you」から、ブルトンの「私とは誰か?」について、さらに話がすすみ、「世界」について、「写真」という時間芸術について、「時間」について……もうもりだくさんの展開!

 

稲垣足穂の名言「地上とは思い出ならずや」も登場し感動。巌谷先生は以前、大月さんのパリでの個展にささげた「地上のかけら」というすばらしい序文も書いてらっしゃいます!

も~~巌谷先生の対談はほんとにすごいです。無限にお話を引きだしながら、あっというところがつながり、広がり、導かれ、ときに戻ってきて、また出発する……非ユークリッド的な宇宙みたいです。

okj

0 コメント

2012年

11月

26日

巖谷國士×マックス・エルンスト★講演@宇都宮美術館

宇都宮美術館へいってきましたよ〜!

「マックス・エルンスト展 フィギュア×スケープ」

 

こんもりと紅葉した山々を抜け、宇都宮の森の美術館まで

巖谷先生のご講演を拝聴したくて、行ってきました〜!

 

マックス・エルンスト展ですもの! 巌谷先生のエルンストにかんするご講演ですもの!

森だもの、怪物だもの、かわいいんだもの〜!

 

美術館での展示はゆったりと

まるでエルンストと対話できるような落ちついた空間に、展開されていました。

宇都宮美術館でエルンスト展を見ることができて、本当に幸せ〜!

 

☟以下われらリポーターokjからのご報告です☟

宇都宮美術館は、美しい森の紅葉・黄葉のさなかにありました。

一本の木が全部ちがう色の葉で彩られていたり、ドングリの実が落ちていたり、

巖谷先生が、県名がトチの木(栃木)に由来する……とおっしゃったとおり、豊かな縄文世界までも感じられるような環境です。

 

そんな五官(五感を生じる感覚器官)すべてに気持ちのよいところで、もうたまらないようなエルンストの作品の数々を見ながら、 巌谷先生のご講演を聴き、20世紀の戦争の歴史を背負った宇都宮の餃子を名店で食べまくり……だったのですから、かなり贅沢な旅イヴェントとなりました。

 

はたして、今回の先生のご講演はまた、あらゆる領域へと無限に広がりながら、時空を包みこんで、 シュルレアリスムをとおして私たちが認識できる、時代の「いま」をとらえた、驚くべきものでした。

 

マックス・エルンストの作品とその生涯の背景にあるのは、生命体としての「森(=スケープ)」ではないか、というところから、 エルンストの生まれ育ったブリュール(巨大都市ケルン近郊の町)を紹介しつつ、 お話は、多神教的ケルト世界の森、ローマ神話の森にまでおよび、しだいにわれわれの眼の前に、あらゆるものが混交するケルンという土地の姿が浮かびあがってきました。

 

先生は1999年にブリュールを旅し、エルンストの生家を探して訪ねたときのお話をしてくださり……アウグストゥスブルクの宮殿と庭園、エルンストの生まれた家とその位置、エルンスト18歳のときに描いたパルク(公園/庭園)の風景画と火山の絵、天変する自然、「森の恐怖と魅惑」(巖谷先生が訳した数々のエルンストの自伝も参照!)……エルンストの背後に広がるスケープを解説してくださいました。

 

さらに、妖精、怪物(=フィギュア)についてのお話も本当に明快でした。

人間の形とちがうものを怪物と呼んだこともありましたが、彼らは聖なるものとつながるもの、神から与えられたものとして、称えられもしたそうです。

でも、人間とそうでないものと、二分できるのか? われわれは多かれ少なかれ「人間みたいなもの」ではないだろうか、と巖谷先生。 この発想には会場も沸き、かなりの解放感を感じました! 

自由になれる~!

 

人は、自然に存在する以上のものを想像することはできないから、怪物も自然物のコラージュの産物である……と。鳥人間ひとつとっても、エルンストの「ロプ ロプ」だけでなく、ケルト、エジプト、日本、プリニウスの場合、なども例に挙げながら、人類史的・博物誌的にお話を展開する巌谷先生。

まさに息を呑むような展開……

 

エルンストがけっして個人的な体験や主観のみに基づいていた作者ではなく、はるか古代の野生人の発想をもっていて、私たちが生活のなかでも気がつく(わかる)ような原始性・普遍性が、彼の作品とその製作の過程にあることが明らかになりました。

 

後半のパネルディスカッションでは、聞き手の学芸員さんたちの質問に答える形で、巖谷先生がシュルレアリスムの見わけ方、レヴィ=ストロースも礼賛したエルンストの手仕事性、その「楽しみ」、「遊び」についてお話くださって、これもとても盛りあがり、笑いました!

 

時間が限られていたのが残念でしたが、これは来年開催の「<遊ぶ>シュルレアリスム」展にかなり期待です!楽しみ~!

 

ご講演のなかの、映像を写しての作品解説がまたすごかったです。エルンストの作品とともに、解説でケルトからギリシア・ローマ、エジプト、パリ、ニューヨーク、アリゾナはセドナ、はてはランボーの世界までつづく旅!

 

《パリの春》1950年作 という、もうなんともいえない幸福な顔をした「人間みたいなもの」のいる作品があったのですが、今日参加したモン・アナログの面々はみーんなこんな顔になってしまったのでした。本当にありがとうございました!

okj

0 コメント

2012年

11月

22日

予告★11月24日 巖谷國士×マックス・エルンスト

マックス・エルンスト展(@宇都宮美術館)での★講演のご案内

宇都宮美術館においてパネルディスカッション 

3回「森、妖精、怪物-マックス・エルンストとフィギュア」 

師:巖谷國士(明治学院大学名誉教授) 

聞き手:中村尚明(横浜美術館主任学芸員)、 副田一穂(愛知県美術館学芸員)

司 会:石川潤(宇都宮美術館主任学芸員) 

時:20121124日(日) 午後2時~午後4時(午後130分開場)

場:宇都宮美術館講義室(先着170名) 無料

 

1124日に宇都宮美術館にてのシンポジウムのあと、ぜみイヴェント(食事会)を予定中です。

宇都宮までは湘南新宿ラインで2時間弱。

終了後の17時半くらいから宇都宮駅近くの店で宇都宮名物の餃子を食べましょう〜!

0 コメント

2012年

11月

12日

「花と樹の話」★のうぜんかずらUPしました!

巖谷國士★連載エッセー「花と樹の話」より

「のうぜんかずら」をUPしました!そして「アンスリウム」も!

 

あわせて、講演会★展覧会情報イヴェント案内★詳細情報には、

11月24日の★ぜみイベント(にしたい!と企画中)のご案内と、

 

書きこみ★ゲストBookには★先生からのメッセージ(#296)も届いています。

 

そして★ぜみ生のページには、★ぜみ生が厚く信頼をよせ、身近に感じている

オブジェアーティスト大月雄二郎さんの展覧会(パリののちに東京恵比寿LIBRAIRIE 6でも)の

告知そのほかを掲載しています!

0 コメント

2012年

10月

22日

第6回★ぜみ主催の最終講義 ご報告!

昨日10月21日、★ぜみ(Mont Analogue)主催の第6回最終講義がありました。

 

「最終講義」というと、先生の最後の講義を聴く〜と思われがちですが、

私たち★ぜみの最終講義は、講義のみならず、実際に講義にあらわれた作品も見にでかけて、

食事しながら★先生と講義のつづきや作品についても話しちゃおう〜というものだから、

アクチュアルで、「最終」とついていたって終わりがないのですね〜。

 

巖谷先生の引きだしは無数にある。

今回のご講演は先生の「写真」という引きだしからくりひろげられたもの。

この講演で、どんな風に★先生の写真が生まれてきたのか、

その「瞬間」の話を伺うことができました。

 

☟以下、われらリポーターokjからご報告☟

今回の★先生のご講演で、われわれは、写真とは何かについてはじめて知ることになりました。

一時は「光画」と呼ばれていた写真。そのことばのあらわすもののお話からはじまって、

★先生が反応する写真の要素や、写真が呼びおこすアナロジー、オブジェや旅や時空の視点などから、

ときには映画との相違や絵画への影響についてまで交えて語られ、

写真には人間が見た世界とはまったく別のものが写り、新しい真の現実ともいえる世界があらわれることがわかりました。

そう、特に★写真には!

 

★先生が旅の過程で出会いがしらに「撃つ!」、無限の時間と空間のなかからただ1点を選ぶ行為、

世界がひとつになる瞬間!

このお話のときには、会場の観客がその陶然とする感覚を味わってしまいましたね。

事実この★写真展、訪れる誰もが、どうしようもなく惹きつけられ陶然とするこれは!!という作品に出会ってしまうんですよね。

ですので、ご講演の後半で★先生が作品たちをスライドショーにして「ギャラリートーク」をしてくださったのも本当にうれしかったです。

一枚一枚の物語にぐいぐい引きこまれ、時を忘れました。

 

★先生の、子どものころからの世界の見え方のお話も感動的でした。われわれは教育によって同じものを見ていると思わされていて、

本当は見え方も色彩の感覚も、程度の差があってすべて連続しているのですね!正気も狂気も、夢も現実も。シュルレアリスム!

 

写真が、これほどまでに魅力的、魔術的なものだとは。

与えられた現実からの自由への窓でもあり、ものすごい解放感、快楽です!

今回の写真展と、モン・アナログによる★ご講演によって体感することができて、感激しています。

満員の講演会場の熱気、さらに講演後のモン・アナログ夕食会に集ったひとびとの多様なすばらしさ!

★先生をめぐり、このような展開が起こることにあらためて驚き、この時代にあって可能性を感じました。

まさに「不可能号」に乗って登山冒険へ繰りだす『類推の山(Le Mont Analogue)』のようですね~!

 

★先生、モン・アナログ事務局のみなさま、高輪区民センターのヒシキさま、

ご講演・夕食会にお集まりくださったみなさま、

本当にありがとうございました!!(okj)

0 コメント

2012年

10月

15日

10月13日の★講演「港区の文化と環境」のご報告!

東京は、七つの丘つまり「台地」をもった起伏の多い地形であり、

その山・谷から、川が流れて海へそそぐ、さまざまな地層の重なるところなのですね。

 

そんな複雑な地形からうまれた歴史と文化に育まれてきた「港区」をテーマにした講演。

★先生の言葉は、私たちのすでに忘れられた「土地の記憶」を呼びさましてくれます。

 

 

「東京の7つの丘」と★先生が呼ぶ東京の台地の地形図や、高輪地区・麻布地区の江戸時代から現代までの地図を見くらべ見くらべ、無数の坂と階段による複雑 怪奇な地形、縄文時代からの歴史、山と川と谷と海の世界、その環境がわれわれの生活や文化に及ぼした影響などについて★先生が語られます。

特に今回は古川をはじめとする川と橋の世界についてお話が展開し、あの土方巽さんも登場!

19歳で秋田から上京した土方さんは、なんと高輪の正源寺にもぐりこんで暮らし、その後、古川橋の木賃宿に住みながら踊っていたそうです!

寺の多い港区、麻布は善福寺の門前町でしたが、善福寺がアメリカ公使館に使われるなどして外国人や教会も多く、キリスト教世界もあるそうです。

 

東洋英和の女学生たちの運動でつくられた孤女院(女の子を集めた孤児院)にある、『赤い靴』に歌われるキミちゃんの像。『赤い靴』の、

 異人さんに連れられていっちゃった 

 いまごろは青い目になっちゃって 

 異人さんの国にいるんだろう 

とある種シュルレアリスムを感じる歌詞。

 

作詞した野口雨情の社会主義者としての北海道での開拓運動や、そこで野口雨情が出会ったキミちゃんの義理父のお話、異人さんの国にいったはずのキミちゃん が麻布の孤女院で9歳で亡くなり鳥居坂の墓地にお墓があること、キミちゃんの母はキミちゃんの死を知らず生涯異人さんの国にいったと信じていたこと……  衝撃でした。涙。涙。

港区を、川や寺や女学校や教会で考える★アプローチ、目からウロコでした。

観客の麻布マダムたちの反応もすごかったです!

★先生、もろもろ大変お世話になっております高輪区民センターのヒシキさま、すばらしい企画を本当にありがとうございます!

(okj)

0 コメント

2012年

10月

10日

「花と樹の話」よりマリゴールド★UPしました

「マリゴールド」がUPされました。加えて10月の「ポプラ」も!

ポプラといえば初秋の札幌の光景を思い出します。

近ごろいよいよ涼しくなってきたので、ますますそんな気分でしょうか?

連載「花と樹の話」をUP★

 

恵比寿のLIBRAIRIE6での★写真展には、みなさんお出かけになりましたか?

 

その関連企画でもある10月21日の講演会(高輪区民センター@白金高輪駅)には

事前の申込と、事前の入場料「振込」が必要です。

くわしくは→「イヴェント案内★詳細情報」をご参照ください!

0 コメント

2012年

10月

09日

桑原弘明×巖谷國士☆トークショーのご報告

2012年10月7日のトークショー☆われらリポーターokjが報告してくれました!

おふたりによるトークショーのご報告

 

いよいよ開幕した★写真展、★写真で囲まれたこの小部屋が、いったいどんな不思議や空気で満たされているかを、ここではとても伝えきれないことがもどかしいです。

とにかく、とにかく、この光景を目撃してほしいのです!一刻も早く!

 

オープニングから一夜明け、LIBRAIRIE 6の★写真×桑原スコープ・オブジェ空間にひしひしひしめき人が集まり、ふたりのアーティストによるトークショーがおこなわれました。

 

★先生がひきだした、桑原さんの学生時代のお話、おふたりの出会いのお話には、こちらまで胸が熱くなってしまいました。

瀧口さんに見せたいと思って、もともとはテンペラ画を描いていた桑原さん。桑原さんが大学4年生のときに瀧口さんが亡くなってしまい、ショックで寝こむほど。目的もなくなってただただ日々が過ぎていったといいます。

 

そんななか、個人的に見せるものとしてつくっていたスコープを知ったアートスペース・ミラージュが、これは★先生だ!!と★先生に紹介し、展覧会の序文を★先生が書くことになったときは、うれしくてうれしくて泣きながら車を運転して帰ったそうです。

 

いっぽうで★先生にとっても、これは生涯の出会いだったといいます。美術史のなかで、ほかに似たものがなく、どの枠に入るものでもなく、スコープという領域ができて、それが芸術の歴史のなかで生きていくようなもの……

 

スコープには必ず窓があり、どの作品も覗いて見るようになっています。スコープそのものも窓のようです。

★先生も、写真を窓として撮っているとおっしゃいます。窓があるからわれわれは現実を与えられたものとは違って見ることができる、スコープも写真も両方とも窓からの眺めであり、これには普遍的な意味がある……と展開する先生のお話にはどきどき!

 

桑原さんも先生の写真に惹かれ、スコープのなかにとりいれてしまうのです(スコープを覗いて、なかにそれを見つけたときの驚きといったら!)。

今回の写真展でも、★先生の撮るブザンソンの不思議に強く惹かれたとおっしゃっていました。

町を歩く★先生の予感が働き、ふっとへんなものに出会い、無限にある空間・時間のうちの一点をとらえる!旅の過程の★写真。

 

そんな★写真のうち、いくつかの作品についての物語を、今回★先生がしてくださいました。

そのお話によってまた新たに生じる感覚、視点、うーーーもっと知りたい!!

 

というわけで、10月21日(日)港区高輪区民センターで開催されるモン・アナログによるモン・アナログのための★講演会では、いよいよ本格的に、写真、窓、超現実、旅、日々の魔術、それぞれの作品について、お話されるとのこと!うーん、待ちどおしいですね!

たくさんの方に、見て、聞いて、体験してほしいです。

 

この窓展オープニング&トークショーで、またひとつの扉が開き、なにかがはじまったように感じます。★先生、桑原先生、LIBRAIRIE 6さま、本当にありがとうございました!!

(okj)

 

 

 

1 コメント

2012年

10月

05日

巖谷國士/桑原弘明<窓からの眺め>展いよいよ明日より開幕

巖谷國士/桑原弘明《窓からの眺め》展 106日(土)〜1028日(日) 

(桑原弘明とのコラボレーションによる巖谷國士写真展)

→ 場所:恵比寿リブレリーシス(LIBRAILIE 6)

 くわしくは画廊HPへ

 

 巖谷國士による写真 × 桑原氏の新作《スコープ》やオブジェ作品の展示です

 

 

0 コメント

2012年

10月

01日

笠井叡×巖谷國士☆トークショーのご報告

さっそく我らのリポーターokjからの報告が入りました!

土方巽や大野一雄、ピナ・バウシュなどさまざまなダンサーの写真や衣装、脚本、映像などが展示される横浜BankARTの建物内、どこからともなく笠井さんがあらわれて、舞台ではなく展示会場の中で踊りだしました。そしてなんと、踊りながら語りだしました。

 

うすい白塗りの体、★先生が40年前とかわらない……とおっしゃるとおり、年齢を超えてしまったかのようなひきしまった身体のオブジェ感。会場内を自由にとびまわり、あわせて観客もついてまわり、ときには一緒にエレベーターに乗って上の階へ移動、展示物や、会場の赤ちゃんの泣き声をも使って踊り、しゃべる、即興ダンス……驚きの、刺激的な、おかしな1時間でした。

 

ダンス後の★×笠井対談では、途中から大野慶人さんも加わり、1963年秋の舞台「あんま」について語られました。

 

★先生は、「あんま」がダンスというより「事件」だと感じたそうです。

なにか主体があるのではなく、人間がオブジェとなって登場しぶつかりあう、なにかを表現しようとするというより「意味作用」ばかりが浮遊する。目黒のサウナで三味線を弾いていたおばあさん達が、そのまま舞台に集められてしまった「衝撃」!

 

一回限りの出来事に立ちあうという体験、オブジェの感覚をよびさます、すでにシュルレアリスムのめばえがそこにはあったようです。

 

本来「やわらかい」ものであるはずのダンスに、「硬さ」を持ちこんだ土方さん、人がモノであるとは革命的です。大野一雄さんも、土方さんも、人がモノのように死んでいった「戦争」を感じていた……シュルレアリスムも第一次大戦後にはじまりました。つねに起こる災厄、そのときあらわれる意味をもたなくなったオブジェたち……

 

★先生が、

土方さんは世界や社会、まわりを振りつけてしまう天才的な振付家だった、

音楽も美術も映画も写真も詩も文学もすべてとりこんで、世界をまるごと振りつけてしまう人だった、と話されたのには感動しました!

 

いっぽう、笠井さんもまた踊りながら、土方さんが世界を「のみこんだ」と表現されていました。

 

1963年は、★先生が瀧口さんや澁澤さんと出会った年でもあり、

土方さんのところにもまたいろいろな人が集まり、出会いに出会い、どんどんかたまり、

自然に「運動」を体験してしまうような時代だったといいます。

 

この「あんま」を体験した同い年の★先生と笠井さん、「あんま」を踊った慶人さんのお話を聞けたこと、今日のように一回性(まさにライブ)の体験や出会いがあること、★先生のお話に感じるシュルレアリスム、すべてに興奮しました!

 

笠井さんのダンス、★先生の語りのアプローチ、本当にすばらしかったです!

ありがとうございました!(okj)

 

0 コメント

2012年

9月

28日

笠井叡×巖谷國士★トークショーはいよいよ明日!

97日〜107日に横浜でひらかれている「大野一雄フェスティバル」

→ 場所:BankART Studio NYK ハンマーヘッドスタジオ新・港区

→ 929日(土)1930〜 笠井叡氏×巖谷國士トークショー(☝くわしくは上記サイトへ)

→  土方巽「あんま」を読み解く「あんまの方へ」 

「あんま」とは、ご存じのように、故・土方巽初期の過激にして伝説的な舞踏公演(1963)のタイトルで、これには故・大野一雄も共演していました。当時20歳そこそこだったぼくもそうなのですが、のちに天使館舞踏を創始することになる同世代の笠井氏も、このときはじめて暗黒舞踏を見たのだそうです。(巖谷國士談)  

0 コメント

2012年

9月

19日

後期第1回ゼミ・ぜみは26日から!

★先生は軽井沢からそろそろお戻りのころですね。

今朝は「書きこみ★ゲストBook」の方にヤナからの軽井沢リポートが入っていました!

う〜ん、うらやましい森★メニューです。

 

大学での後期第1回ゼミ・ぜみは9/26から再始動。

毎週水曜6限、つまり18時から、

明治学院大学ヘボン館4階の7417教室で、

大学院の「特殊研究」がひらかれます。

 

 

0 コメント

2012年

9月

11日

「花と樹の話」より泰山木★UPしました!

タイサンボクにくわえて、秋の桜、コスモスも!

ここにあらたにUPしましたよ。

連載「花と樹の話」をUP★

 

0 コメント

2012年

9月

05日

★ぜみイヴェントの詳細情報

☆展覧会&講演会&夕食会のご案内☆


巖谷國士/桑原弘明《窓からの眺め》展 106日(土)〜1028日(日) 

(桑原弘明とのコラボレーションによる巖谷國士写真展)

 

 

これに際して、巖谷國士先生による講演会を★ぜみ事務局が主催します。 

第6回★最終講義です!お楽しみに!

 

 

★モン・アナログ事務局主催によるモン・アナログのための本格的な講演★

 

 1021日 (日)講演会★巖谷國士《写真・窓・シュルレアリスム》

日時:2012年10月21日(日)14時~16時

主催:★モン・アナログ

日時:10月21日(日曜日) 高輪区民センター・集会室 にて 定員50名 先着順

申込受付:Mont Analogue ★ぜみ事務局まで (近日申込開始!)

 

<会場ご案内>

講演会場:高輪区民センター・集会室

住所:港区高輪1-16-25 高輪コミュニティぷらざ内

最寄駅:地下鉄南北線/都営三田線「白金高輪」駅下車 1番出口 徒歩1分(駅の真上)

 

展覧会場:LIBRAIRIE6(リブレリーシス)

住所:〒150-0022 東京都渋谷区恵比寿南1-14-12 ルソレイユ302

TEL/FAX 03 6452 3345

CONTACT / info@librairie6.com

OPEN / 水曜日-土曜日 12:00‐19:00 日曜日/ 祝日 12:00- 18:00

CLOSE / 月曜日 ・ 火曜日(月火が祝日の場合も店休)

JR恵比寿駅西口改札左手ロータリーから徒歩3分。 ドトールコーヒーと駐車場Times間の坂を上がり、ファミリーマート先左手、 蔦の絡まるアパートの3階

 

<講演会当日のご案内>

当日、恵比寿駅に近いLIBRAIRIE 6(リブレリーシス)にて展覧会を見てから、30分以内で講演会場へまわることができます。もちろん講演後にもLIBRAIRIE 6へ★先生の作品を観に行きましょう!  

 

<夕食会のご案内>

講演会当日は、LIBRAIRIE 6(リブレリーシス)近くの恵比寿の店「スチームキッチン頂(いただき)」を貸し切って食事会が催されます。(先着30名まで/会費3000円程度)。

 

★10月21日の講演会と食事会はいずれも予約制です! 近日中に申込受付がはじまります!

ご講演のみ、夕食会のみ! いずれも歓迎です。 

0 コメント

2017年

2月

04日

巖谷國士★講演「澁澤龍彦の宇宙誌」@世田谷美術館講堂

 

★先生は1963年、二十歳のときに澁澤さんと出会いましたーーそして澁澤さんが亡くなってからすでに30年が経ち、★先生は今も、澁澤さんとつきあっているように感じているといいます。

 

さまざまな世代におよぶ澁澤本読者にも数多く出会う★先生は、その世代によって澁澤龍彦をどう呼ぶのか、澁澤龍彦を呼ぶその呼称の異なることをおもしろく指摘します。団塊の世代の男性読者は「シブサワ」「タツヒコ」はては「シブタツ」……と呼ぶのに対し、若い女性の読者は「澁澤さん」と、まるで身近なお兄さんを呼ぶように、それぞれの私の抱く澁澤龍彦像を話しだすのだそうです。

 

澁澤さん自身も「私」を主語にして書くことが多く、生涯「私」とは誰かを問いつづけ、その著作のなかで次々と変化して広がってゆく「私」を展開、浮き彫りにしました。美術にせよ「私はこれが好きだ」からはじまる澁澤さん。好きなものをずばり「好きだ」といい、それはなぜかを問う。個人的な事情は「気質」という言葉を使うにとどめ、自分の内面や体験にさかのぼったりすることはしません。現代の人間のものの見方、心境、症例を含めて探り普遍化してゆく。「私」はいつのまにか「わたしたち」になり客観化されて惹きこまれ、読者のなかに澁澤さんが作られて、澁澤さんの「私」と読者の「私」が同一のもののように錯覚されてやがて私たちは親しくなってしまうのです。

 

好きなものを決めつけるのではなく、類推される事柄と結びつけながらどんどん広がって、やがてそれがくずれて溶けてゆくーー時間の流れとともに展開してゆく過程は、澁澤さんの最後の小説『高丘親王航海記』そのもの。

 

60年代のサド裁判の進行と64年東京オリンピックや70年大阪万博への嫌悪と「私」の変化を自覚しはじめた70年代以降と、澁澤さんとの出会いから時間を追って澁澤龍彦像を展開してゆく★先生。

 

出会ったとき、また鎌倉の自宅へ呼ばれたときの澁澤さんの描写、着ているものから体の動き、会話や反応、一緒に歌った歌までーーまるで澁澤さんが目の前に現れるかのような迫真の記憶力で、わたしたちは驚嘆し、澁澤さんのインファンティリズム、稚拙でモダン、を真に体験するのでした!

 

さらに★先生は、スライドを使って『夢の宇宙誌』などから澁澤さんのミクロコスモス、驚異、エグゾティスム、アナクロリスム、発見とアナロジーの旅、植物への想い、東と西のマニエリスム、自筆デッサンにみる気質、彼のもっとも好きなものたちなどを次々と見せ、わたしたちを驚異と変容の旅に誘いました。

 

★先生と澁澤さんの出会いにはじまる旅は今も続いており、それは「わたしたち」のなかに反射しているかのようです!

(okj)

2016年

11月

19日

巖谷國士★講演「絵画とシュルレアリスム アンドレ・ブルトン再発見」@ギャルリー宮脇


巖谷先生の講演「絵画とシュルレアリスム アンドレ・ブルトン再発見」は、ミロのかわいい奴らやキリコのおかしなマネキン、エルンストのちっこい鳥星人などに見守られながら、行なわれました。

ブルトンの『シュルレアリスムと絵画』の冒頭を飾る一文「眼は野生の状態で存在している」。
巖谷先生は、これをどう読むかという問いからはじめます。野生とは文明化される以前を指すため、「野生の目」とは、常識や慣習にとらわれずに(言葉のない状態で?)ものをみる行為のことです。ふつう、この「野生の眼」は画家の眼を指すと読みがちですが、先生は、さらに「絵を見る観者の眼」として読む必要があるとおっしゃいます。

『シュルレアリスムと絵画』は、シュルレアリスム「と」絵画の関係を扱っているのであり、いわゆる「シュルレアリスム絵画」の様式や技法について語った本ではありません。「シュルレアリスム絵画は存在しない」というピエール・ナヴィルの主張をブルトンはまったく問題にせず、つまり様式や方法としてのシュルレアリスムを否定しながらも、シュルレアリスムが絵画をどう「見る」か、ひたすら追求しました。

だからブルトンは絵画を「窓」とみなし、単なる構成された平面ではなく、そこから見わたすかぎりにひろがる「風景」のなかへ眼で分け行ってゆく過程を演じているのではないか。それゆえ、その森や町などの風景がわたしたちの「共通の場所」にもなり、わたしたちはそのなかに生きている作者・画家にも出会えるのではないか。
ブルトンはピカソをまず登場させながらも、キュビスムの方法など問題にせず、やおらデ・キリコの広場や室内に入ってゆきます。ついでキリコの地平を受けついだエルンストやタンギーのなかに、戦争の時代の「共通の場所」の可能性を見出してゆきます。

ブルトンの『シュルレアリスムと絵画』は、野生の眼で絵画を「見る」ことの実践こそが、魅惑的であると証明した、例外的な本です。先生のお話を聞いていると、美術史を様式や方法の展開ばかりで合理的に「構築」する現代の教科書式な批評が古びてみえます。ブルトンの詩的エクリチュールは誰にもまねできない唯一のものですが、わたしたちはブルトンのそれを読み共感することで、共有することができます。

この閉塞的な時代にこそ、ブルトンの絵の見方、絵の生き方を再発見すべきだ、と先生のお話を聞きながら強く感じました。

(はせ)

2016年

1月

11日

巖谷國士★講演「旅、外へ向う心」@下北沢B&B

下北沢B&Bさんの主催で、★先生のご著書『旅と芸術』をめぐるステキな講演会がひられました。ここでは展覧会の監修者というより同名の単行本著者として、★先生が4ヵ月間ものあいだ、旅するように書いてきた体験としての「旅と芸術」紀行を聞かせいただいたように思います。

 

書くことは「旅」すること、と★先生は語ります。本書『旅と芸術』は、旅の「文化史」とも「百科事典」とも評せるように編まれていて、序となる「旅から旅へ」はさまざまな時代の旅を予感させるように、★先生ご自身が旅人の身になって書きだされたそう。本文にはたくさんの「注」がついていて、それらもまた旅の途中の寄り道だったり、★先生が旅として体験している「書く」行為のなかで、なにかと出会う痕跡だったりするのでしょう。読者である私たちも、そんなオートマティックに紡がれる文章に誘われて、いつしか歩みを進めながらも立ち止まり、さっき出会ったような気がする……とページを行きつ戻りつ、本のなかを旅してしまうのですね。読む体験もまた旅……とはこのこと。

 

さらに本書のなかには、50篇をこえるコラム、巻末には人名解説が収録されていて、とくに人名解説のなかでも、★先生がオマージュを捧げている旅人などは一目瞭然「意いたりて筆したがう」とでも申しましょうか……簡潔な旅人列伝が並んでいて、これが百科事典とよべる所以です。たんなる人名解説に非ず! これだけのヴォキャブラリーをもつ著者を私はほかに知りません!

 

こんな風にページをめくるたびにさまざまな扉がひらかれ、興味のおもむくまま、さらなる旅へと誘われる書籍『旅と芸術』、皆さんもぜひお手にとってみてくださいね!

 

さあ、今回はymksくんが講演のリポートをしてくれますよ~!

 

***

 

 埼玉県立近代美術館の連続講演から約ひと月、下北沢B&Bでの★講演は、著書『旅と芸術』の成立をめぐる話から、人類の普遍的な習性「旅」をさまざまな角度から考察するものとなりました。

 

 埼玉近美の講演は出品作を見ながら行われたが、展覧会自体は副産物(!)であり、著書はそれに先立つ。「旅の文化史」とも「旅の博物誌」と評されることもあるという本書。「序ーー旅から旅へ」は、さまざまな旅を予感させると同時に、震災の年に刊行された『森と芸術』(★監修による同名の展覧会の図録も兼ねる)の序文、「森から森へ」を引継ぐものであることを予告する。

 

 書くことは「旅」をすること、と★先生は語ります。その語りも旅であり、読む体験もまた旅である、と展開することも可能でしょう。

 

 各章は「部屋」と呼ばれる。私たちはそれぞれの部屋に入り、いつの間にか歩き出します。そしてさまざまなものを見、感じ、そこで目にしたものが、のちに伏線だったことがわかる。本文の左右に設けられた余白には適宜註が施され、各「部屋」には53ものコラム、巻末には人名解説が配されている。これらは扉、あるいは窓がひらくように、私たちをさらなる旅へと誘います。この著書は展覧会終了後にも「我々はどこへ行くのか」、その道しるべになることでしょう。

 

 20世紀以後、現代は「旅」の時代であると同時に、猛烈な大衆化の時代でもあります。旅を社会学的な対象とするのでなく、体験してみよう、と★先生は呼びかける。難民問題は社会・政治の問題と捉われがちだが、そうではなく人類古来からある「旅」とも連なる。現在世界に遍在する人類はみな、「アフリカのイヴ」(と呼ばれる)のDNAが流れている。かれらは海岸沿い、あるいは川沿いに移動し、各地に定着しました。同様に、現在も難民たちは、移動し、また各地に定着している。それは日本でも例外ではなく、アルゼンチンにも沖縄の移民が集っている。

 

 生命は本質的に移動するものだが、「旅は人間だけがする」と★先生は指摘。人間の歴史は旅の歴史であり、エグゾティスム(「異国情緒」と訳されるが、そうではなく「外に向う心」のこと)がその核心にある。文明の起源は都市、文明を作ることにあり、都市は「壁」(あるいは「境界」)を作り、内と外の概念をもとにエグゾティスムは生れる。旅の語源は、「た(外)」と「び(日・火)」であるという説があり、そこからも「旅」は「外」を求めると云えるのではないか。★先生がたびたび話題に出す『進撃の巨人』、そこで描かれる「壁」に囲まれた世界は、そのメタファーとなっている。

 

 我々は『旅と芸術』をふたたび繙き、14世紀初頭の《ヘレフォード世界図》や15世紀末の『年代記』に描かれた地図を見、その時代の旅を、そして★先生の話からラフカディオ・ハーン(小泉八雲)やゴーギャンの旅を追体験する。「我々はどこから来たのか 我々は何者なのか 我々はどこへ行くのか」

 

 ゴーギャンの言葉を引用し、とくに重要なことは「我々はどこから来たのか」であると、★先生は導く。震災をはじめとした自然災害に常に見舞われる日本のこと、ビゴ―の描いた震災の光景、北斎の描いた日本の庶民たちと自然、また★自身がはじめて旅をした疎開の経験、戦後の品川駅付近で目撃した引揚者たちの住む廃バスの光景、長じて日本のみならず世界を旅して出会った信じられない風景の数々。★の歩んできた軌跡が星座となって浮かぶ。

 

 実はただ歩くだけでも旅はできてしまう。下北沢という町にも不思議は満ちている!

 

 講演終了後、すぐに町を歩き始めた★先生に誘われて、我々もふと気づくと町中に満ちあふれたオブジェたちと目配せを交す。さあ、こうしてはいられない。ふたたび旅へと出発しましょう!

(ymks)

0 コメント

2015年

12月

12日

巖谷國士★講演「夢想と冒険-19世紀からシュルレアリスムの時代まで」@埼玉県立近代美術館

待ちに待った、先週から引きつづきの、第2回目の★講演です。

今回は近代の観光から、シュルレアリスムの時代、日本列島の自然・災害まで。映像を駆使しながら一気に駆けぬける、めくるめく「線」の、人生の、20世紀に生きる私たちの「旅」という体験!


旅(=journey 日々の体験、人生航路)も人生も「線」であり、すべては時間の体験です。

「観光ポイント」ばかりを紹介するガイドブックの「点」ばかりを追いかける観光では、点と点との間に大事なものがあっても見過ごしてしまう……つまり「点」だけで構成された人生では、点に向かうばかりの努力で終わってしまう、という指摘にはっとします。


旅の本質は、別の土地へ行って多様性に出会う驚異と喜びですが、そこには同時に偏見や異質のものを排除するという危険があることも指摘。もともと同一(ホモサピエンスのホモは「同一」のこと)の起源から、地球上の土地土地に応じて多様性が生まれたのだから、人間同士に違いがあっても差別すべきではない、それは旅が教えてくれることだとおっしゃいます。

 

狩猟・採集という旅の生活をしていた人類が定住し、都市で文明を営むようになると、やがて壁を作り、「内側」に安定したユートピア世界を築こうとする。

 

だからこそ、外(=エグゾ)へと向かう人間の心があり、エグゾティスムを「異国情緒」と訳すのはおかしいとおっしゃいます。外とは「国」ではなく、漠然とした、見たこともない世界であり、その異郷への思いがしだいに旅の原動力となる。

 

そもそも「国」=近代国家は、壁を作ってさまざまな多様性を「画一性」のなかに閉じこめようとするもので、日本列島においても、決して「単一民族」などではないと指摘します。


外へ向かう心が呼びおこす、発見と驚異と夢想……先週に引きつづき、映像を示しながら、時代をおって展開する旅また旅……の数々。

 

オリエンタリズム、オリエント(東方)とヨーロッパ(西欧)の関係、ドラクロワのモロッコでの光と色の発見、アングルの影響、オリエント急行とアールヌーヴォー都市、フローベールの言及するフーリエ世界、観光の大衆化による近郊への旅、バルビゾン派、写真と絵画の関係、鉄道とポスターと印象派とファッション、アンリ・ルソーの特別な旅情、リシュボア(リスボン)の繁栄と大地震による壊滅の歴史、絵葉書とシュルレアリストの関係、アメリカ新大陸の驚異、植民地帝国主義が背景にある万国博、ジュール・ヴェルヌ、ジャポニスム、ゴーギャンやランボーの壮大な旅、赤ずきんちゃんやアリスやアンデルセンやフーリエの驚異の世界、シュルレアリストの日常の旅・亡命の旅・パラレルワールドへの旅、北斎の生命・自然の運動表現の驚異、日本列島の災害の重要な記録・記憶……


とてもここですべてを書ききれないので、この展覧会のさらなる外へと連れだしてくれる★先生の今回のご著書

『旅と芸術 発見・驚異・夢想』をお読みになり、どうぞすみずみまで旅してください! 世界の重層化・類推につぐ類推・人生の旅、ここに開かれる……!

(okj)

0 コメント

2015年

12月

06日

巖谷國士★講演「発見と驚異-太古からロマン派の時代まで」@埼玉県立近代美術館

「旅の美術史」なんていう領域はいまだかつてなく、旅と芸術とを結ぶ本も専門家もいないなか、★先生がこの画期的な試みの監修をおこなった理由……それは、「旅」が現代という時代において、避けがたいテーマだからだと明かされました。

 

戦争と災害の世紀、テクノロジーの「進歩」による大量殺戮、災害被害の拡大、そこから生じる難民・移民・亡命者の旅。一方で、大衆化の時代に、産業化・組織化・商品化される旅。

 

また、わたしたちにもつながる★先生ご自身の体験として、★先生の生涯最初の旅、昭和20年にB29の爆撃を逃れて山形へわたった疎開の旅を語られます。その後、ともに疎開した女性たちの再話にもよって、★先生の「体験」となった、まるでちがう世界、別の場所で出会った驚異。

 

どこか別のところへ行く、外へと向かう状態、心のありかた(エグゾティスムのエグゾ=外)こそは、人間の本質・習性であると解説された★先生は、同一の祖先をもつホモ・サピエンスが、アフリカを出て移動の旅をはじめ、長い年月をかけて各地の風土に適応し、多様性が生まれていったその壮大な歴史の過程を展開します。

 

46億年前に海で生まれた生命は、ついに陸へ上がって移動をはじめ、そして人間特有の「旅」という行為に変化してゆく。生物学的にも多様性がなければ、環境の変化やヴィールスによって、たちまち絶滅してしまう危険があることも指摘されます。


こうした多様性の発見が、旅の本質であり、わたしたちのなかにはいつでも「旅への誘い」があると★先生。


旅へ誘うボードレール、旅を喚起するアンリ・ルソー、旅人たち……オデュッセウス、マルコ・ポーロ、コロンブス、ゲーテ、ラフカディオ・ハーン、ゴーギャン、アンゲロプロスなどについても。


今回の著書・展覧会に掲載・出品された図像を映しながら、

未知の世界がひろがると考えられたインド(東方)、古代の七不思議、驚異の博物誌、グランドツアー、ロマン派、ナポレオンのエジプト遠征、オリエンタリズムとドラクロワ、などについてくわしく解説してくださいます。点と点が、偶然・連想・類推・体験によって線となり、時空を線として体験する旅……

 

★先生が今回の著書を書く過程そのものも旅であり、わたしたちは読んで参加し、展覧会のさらに外へ行く! 紹介された作品が、次々に私たち聴衆の旅の記憶となるようで、本当にスリリングで画期的な講演でした。

 

その後、日本列島各地から旅して集った大人数での夕食会のありさまも、こうした旅の高揚につつまれて圧巻でした!

(okj)

1 コメント

2017年

2月

04日

巖谷國士★講演「澁澤龍彦の宇宙誌」@世田谷美術館講堂

 

★先生は1963年、二十歳のときに澁澤さんと出会いましたーーそして澁澤さんが亡くなってからすでに30年が経ち、★先生は今も、澁澤さんとつきあっているように感じているといいます。

 

さまざまな世代におよぶ澁澤本読者にも数多く出会う★先生は、その世代によって澁澤龍彦をどう呼ぶのか、澁澤龍彦を呼ぶその呼称の異なることをおもしろく指摘します。団塊の世代の男性読者は「シブサワ」「タツヒコ」はては「シブタツ」……と呼ぶのに対し、若い女性の読者は「澁澤さん」と、まるで身近なお兄さんを呼ぶように、それぞれの私の抱く澁澤龍彦像を話しだすのだそうです。

 

澁澤さん自身も「私」を主語にして書くことが多く、生涯「私」とは誰かを問いつづけ、その著作のなかで次々と変化して広がってゆく「私」を展開、浮き彫りにしました。美術にせよ「私はこれが好きだ」からはじまる澁澤さん。好きなものをずばり「好きだ」といい、それはなぜかを問う。個人的な事情は「気質」という言葉を使うにとどめ、自分の内面や体験にさかのぼったりすることはしません。現代の人間のものの見方、心境、症例を含めて探り普遍化してゆく。「私」はいつのまにか「わたしたち」になり客観化されて惹きこまれ、読者のなかに澁澤さんが作られて、澁澤さんの「私」と読者の「私」が同一のもののように錯覚されてやがて私たちは親しくなってしまうのです。

 

好きなものを決めつけるのではなく、類推される事柄と結びつけながらどんどん広がって、やがてそれがくずれて溶けてゆくーー時間の流れとともに展開してゆく過程は、澁澤さんの最後の小説『高丘親王航海記』そのもの。

 

60年代のサド裁判の進行と64年東京オリンピックや70年大阪万博への嫌悪と「私」の変化を自覚しはじめた70年代以降と、澁澤さんとの出会いから時間を追って澁澤龍彦像を展開してゆく★先生。

 

出会ったとき、また鎌倉の自宅へ呼ばれたときの澁澤さんの描写、着ているものから体の動き、会話や反応、一緒に歌った歌までーーまるで澁澤さんが目の前に現れるかのような迫真の記憶力で、わたしたちは驚嘆し、澁澤さんのインファンティリズム、稚拙でモダン、を真に体験するのでした!

 

さらに★先生は、スライドを使って『夢の宇宙誌』などから澁澤さんのミクロコスモス、驚異、エグゾティスム、アナクロリスム、発見とアナロジーの旅、植物への想い、東と西のマニエリスム、自筆デッサンにみる気質、彼のもっとも好きなものたちなどを次々と見せ、わたしたちを驚異と変容の旅に誘いました。

 

★先生と澁澤さんの出会いにはじまる旅は今も続いており、それは「わたしたち」のなかに反射しているかのようです!

(okj)

2016年

11月

19日

巖谷國士★講演「絵画とシュルレアリスム アンドレ・ブルトン再発見」@ギャルリー宮脇


巖谷先生の講演「絵画とシュルレアリスム アンドレ・ブルトン再発見」は、ミロのかわいい奴らやキリコのおかしなマネキン、エルンストのちっこい鳥星人などに見守られながら、行なわれました。

ブルトンの『シュルレアリスムと絵画』の冒頭を飾る一文「眼は野生の状態で存在している」。
巖谷先生は、これをどう読むかという問いからはじめます。野生とは文明化される以前を指すため、「野生の目」とは、常識や慣習にとらわれずに(言葉のない状態で?)ものをみる行為のことです。ふつう、この「野生の眼」は画家の眼を指すと読みがちですが、先生は、さらに「絵を見る観者の眼」として読む必要があるとおっしゃいます。

『シュルレアリスムと絵画』は、シュルレアリスム「と」絵画の関係を扱っているのであり、いわゆる「シュルレアリスム絵画」の様式や技法について語った本ではありません。「シュルレアリスム絵画は存在しない」というピエール・ナヴィルの主張をブルトンはまったく問題にせず、つまり様式や方法としてのシュルレアリスムを否定しながらも、シュルレアリスムが絵画をどう「見る」か、ひたすら追求しました。

だからブルトンは絵画を「窓」とみなし、単なる構成された平面ではなく、そこから見わたすかぎりにひろがる「風景」のなかへ眼で分け行ってゆく過程を演じているのではないか。それゆえ、その森や町などの風景がわたしたちの「共通の場所」にもなり、わたしたちはそのなかに生きている作者・画家にも出会えるのではないか。
ブルトンはピカソをまず登場させながらも、キュビスムの方法など問題にせず、やおらデ・キリコの広場や室内に入ってゆきます。ついでキリコの地平を受けついだエルンストやタンギーのなかに、戦争の時代の「共通の場所」の可能性を見出してゆきます。

ブルトンの『シュルレアリスムと絵画』は、野生の眼で絵画を「見る」ことの実践こそが、魅惑的であると証明した、例外的な本です。先生のお話を聞いていると、美術史を様式や方法の展開ばかりで合理的に「構築」する現代の教科書式な批評が古びてみえます。ブルトンの詩的エクリチュールは誰にもまねできない唯一のものですが、わたしたちはブルトンのそれを読み共感することで、共有することができます。

この閉塞的な時代にこそ、ブルトンの絵の見方、絵の生き方を再発見すべきだ、と先生のお話を聞きながら強く感じました。

(はせ)

2016年

1月

11日

巖谷國士★講演「旅、外へ向う心」@下北沢B&B

下北沢B&Bさんの主催で、★先生のご著書『旅と芸術』をめぐるステキな講演会がひられました。ここでは展覧会の監修者というより同名の単行本著者として、★先生が4ヵ月間ものあいだ、旅するように書いてきた体験としての「旅と芸術」紀行を聞かせいただいたように思います。

 

書くことは「旅」すること、と★先生は語ります。本書『旅と芸術』は、旅の「文化史」とも「百科事典」とも評せるように編まれていて、序となる「旅から旅へ」はさまざまな時代の旅を予感させるように、★先生ご自身が旅人の身になって書きだされたそう。本文にはたくさんの「注」がついていて、それらもまた旅の途中の寄り道だったり、★先生が旅として体験している「書く」行為のなかで、なにかと出会う痕跡だったりするのでしょう。読者である私たちも、そんなオートマティックに紡がれる文章に誘われて、いつしか歩みを進めながらも立ち止まり、さっき出会ったような気がする……とページを行きつ戻りつ、本のなかを旅してしまうのですね。読む体験もまた旅……とはこのこと。

 

さらに本書のなかには、50篇をこえるコラム、巻末には人名解説が収録されていて、とくに人名解説のなかでも、★先生がオマージュを捧げている旅人などは一目瞭然「意いたりて筆したがう」とでも申しましょうか……簡潔な旅人列伝が並んでいて、これが百科事典とよべる所以です。たんなる人名解説に非ず! これだけのヴォキャブラリーをもつ著者を私はほかに知りません!

 

こんな風にページをめくるたびにさまざまな扉がひらかれ、興味のおもむくまま、さらなる旅へと誘われる書籍『旅と芸術』、皆さんもぜひお手にとってみてくださいね!

 

さあ、今回はymksくんが講演のリポートをしてくれますよ~!

 

***

 

 埼玉県立近代美術館の連続講演から約ひと月、下北沢B&Bでの★講演は、著書『旅と芸術』の成立をめぐる話から、人類の普遍的な習性「旅」をさまざまな角度から考察するものとなりました。

 

 埼玉近美の講演は出品作を見ながら行われたが、展覧会自体は副産物(!)であり、著書はそれに先立つ。「旅の文化史」とも「旅の博物誌」と評されることもあるという本書。「序ーー旅から旅へ」は、さまざまな旅を予感させると同時に、震災の年に刊行された『森と芸術』(★監修による同名の展覧会の図録も兼ねる)の序文、「森から森へ」を引継ぐものであることを予告する。

 

 書くことは「旅」をすること、と★先生は語ります。その語りも旅であり、読む体験もまた旅である、と展開することも可能でしょう。

 

 各章は「部屋」と呼ばれる。私たちはそれぞれの部屋に入り、いつの間にか歩き出します。そしてさまざまなものを見、感じ、そこで目にしたものが、のちに伏線だったことがわかる。本文の左右に設けられた余白には適宜註が施され、各「部屋」には53ものコラム、巻末には人名解説が配されている。これらは扉、あるいは窓がひらくように、私たちをさらなる旅へと誘います。この著書は展覧会終了後にも「我々はどこへ行くのか」、その道しるべになることでしょう。

 

 20世紀以後、現代は「旅」の時代であると同時に、猛烈な大衆化の時代でもあります。旅を社会学的な対象とするのでなく、体験してみよう、と★先生は呼びかける。難民問題は社会・政治の問題と捉われがちだが、そうではなく人類古来からある「旅」とも連なる。現在世界に遍在する人類はみな、「アフリカのイヴ」(と呼ばれる)のDNAが流れている。かれらは海岸沿い、あるいは川沿いに移動し、各地に定着しました。同様に、現在も難民たちは、移動し、また各地に定着している。それは日本でも例外ではなく、アルゼンチンにも沖縄の移民が集っている。

 

 生命は本質的に移動するものだが、「旅は人間だけがする」と★先生は指摘。人間の歴史は旅の歴史であり、エグゾティスム(「異国情緒」と訳されるが、そうではなく「外に向う心」のこと)がその核心にある。文明の起源は都市、文明を作ることにあり、都市は「壁」(あるいは「境界」)を作り、内と外の概念をもとにエグゾティスムは生れる。旅の語源は、「た(外)」と「び(日・火)」であるという説があり、そこからも「旅」は「外」を求めると云えるのではないか。★先生がたびたび話題に出す『進撃の巨人』、そこで描かれる「壁」に囲まれた世界は、そのメタファーとなっている。

 

 我々は『旅と芸術』をふたたび繙き、14世紀初頭の《ヘレフォード世界図》や15世紀末の『年代記』に描かれた地図を見、その時代の旅を、そして★先生の話からラフカディオ・ハーン(小泉八雲)やゴーギャンの旅を追体験する。「我々はどこから来たのか 我々は何者なのか 我々はどこへ行くのか」

 

 ゴーギャンの言葉を引用し、とくに重要なことは「我々はどこから来たのか」であると、★先生は導く。震災をはじめとした自然災害に常に見舞われる日本のこと、ビゴ―の描いた震災の光景、北斎の描いた日本の庶民たちと自然、また★自身がはじめて旅をした疎開の経験、戦後の品川駅付近で目撃した引揚者たちの住む廃バスの光景、長じて日本のみならず世界を旅して出会った信じられない風景の数々。★の歩んできた軌跡が星座となって浮かぶ。

 

 実はただ歩くだけでも旅はできてしまう。下北沢という町にも不思議は満ちている!

 

 講演終了後、すぐに町を歩き始めた★先生に誘われて、我々もふと気づくと町中に満ちあふれたオブジェたちと目配せを交す。さあ、こうしてはいられない。ふたたび旅へと出発しましょう!

(ymks)

0 コメント

2015年

12月

12日

巖谷國士★講演「夢想と冒険-19世紀からシュルレアリスムの時代まで」@埼玉県立近代美術館

待ちに待った、先週から引きつづきの、第2回目の★講演です。

今回は近代の観光から、シュルレアリスムの時代、日本列島の自然・災害まで。映像を駆使しながら一気に駆けぬける、めくるめく「線」の、人生の、20世紀に生きる私たちの「旅」という体験!


旅(=journey 日々の体験、人生航路)も人生も「線」であり、すべては時間の体験です。

「観光ポイント」ばかりを紹介するガイドブックの「点」ばかりを追いかける観光では、点と点との間に大事なものがあっても見過ごしてしまう……つまり「点」だけで構成された人生では、点に向かうばかりの努力で終わってしまう、という指摘にはっとします。


旅の本質は、別の土地へ行って多様性に出会う驚異と喜びですが、そこには同時に偏見や異質のものを排除するという危険があることも指摘。もともと同一(ホモサピエンスのホモは「同一」のこと)の起源から、地球上の土地土地に応じて多様性が生まれたのだから、人間同士に違いがあっても差別すべきではない、それは旅が教えてくれることだとおっしゃいます。

 

狩猟・採集という旅の生活をしていた人類が定住し、都市で文明を営むようになると、やがて壁を作り、「内側」に安定したユートピア世界を築こうとする。

 

だからこそ、外(=エグゾ)へと向かう人間の心があり、エグゾティスムを「異国情緒」と訳すのはおかしいとおっしゃいます。外とは「国」ではなく、漠然とした、見たこともない世界であり、その異郷への思いがしだいに旅の原動力となる。

 

そもそも「国」=近代国家は、壁を作ってさまざまな多様性を「画一性」のなかに閉じこめようとするもので、日本列島においても、決して「単一民族」などではないと指摘します。


外へ向かう心が呼びおこす、発見と驚異と夢想……先週に引きつづき、映像を示しながら、時代をおって展開する旅また旅……の数々。

 

オリエンタリズム、オリエント(東方)とヨーロッパ(西欧)の関係、ドラクロワのモロッコでの光と色の発見、アングルの影響、オリエント急行とアールヌーヴォー都市、フローベールの言及するフーリエ世界、観光の大衆化による近郊への旅、バルビゾン派、写真と絵画の関係、鉄道とポスターと印象派とファッション、アンリ・ルソーの特別な旅情、リシュボア(リスボン)の繁栄と大地震による壊滅の歴史、絵葉書とシュルレアリストの関係、アメリカ新大陸の驚異、植民地帝国主義が背景にある万国博、ジュール・ヴェルヌ、ジャポニスム、ゴーギャンやランボーの壮大な旅、赤ずきんちゃんやアリスやアンデルセンやフーリエの驚異の世界、シュルレアリストの日常の旅・亡命の旅・パラレルワールドへの旅、北斎の生命・自然の運動表現の驚異、日本列島の災害の重要な記録・記憶……


とてもここですべてを書ききれないので、この展覧会のさらなる外へと連れだしてくれる★先生の今回のご著書

『旅と芸術 発見・驚異・夢想』をお読みになり、どうぞすみずみまで旅してください! 世界の重層化・類推につぐ類推・人生の旅、ここに開かれる……!

(okj)

0 コメント

2015年

12月

06日

巖谷國士★講演「発見と驚異-太古からロマン派の時代まで」@埼玉県立近代美術館

「旅の美術史」なんていう領域はいまだかつてなく、旅と芸術とを結ぶ本も専門家もいないなか、★先生がこの画期的な試みの監修をおこなった理由……それは、「旅」が現代という時代において、避けがたいテーマだからだと明かされました。

 

戦争と災害の世紀、テクノロジーの「進歩」による大量殺戮、災害被害の拡大、そこから生じる難民・移民・亡命者の旅。一方で、大衆化の時代に、産業化・組織化・商品化される旅。

 

また、わたしたちにもつながる★先生ご自身の体験として、★先生の生涯最初の旅、昭和20年にB29の爆撃を逃れて山形へわたった疎開の旅を語られます。その後、ともに疎開した女性たちの再話にもよって、★先生の「体験」となった、まるでちがう世界、別の場所で出会った驚異。

 

どこか別のところへ行く、外へと向かう状態、心のありかた(エグゾティスムのエグゾ=外)こそは、人間の本質・習性であると解説された★先生は、同一の祖先をもつホモ・サピエンスが、アフリカを出て移動の旅をはじめ、長い年月をかけて各地の風土に適応し、多様性が生まれていったその壮大な歴史の過程を展開します。

 

46億年前に海で生まれた生命は、ついに陸へ上がって移動をはじめ、そして人間特有の「旅」という行為に変化してゆく。生物学的にも多様性がなければ、環境の変化やヴィールスによって、たちまち絶滅してしまう危険があることも指摘されます。


こうした多様性の発見が、旅の本質であり、わたしたちのなかにはいつでも「旅への誘い」があると★先生。


旅へ誘うボードレール、旅を喚起するアンリ・ルソー、旅人たち……オデュッセウス、マルコ・ポーロ、コロンブス、ゲーテ、ラフカディオ・ハーン、ゴーギャン、アンゲロプロスなどについても。


今回の著書・展覧会に掲載・出品された図像を映しながら、

未知の世界がひろがると考えられたインド(東方)、古代の七不思議、驚異の博物誌、グランドツアー、ロマン派、ナポレオンのエジプト遠征、オリエンタリズムとドラクロワ、などについてくわしく解説してくださいます。点と点が、偶然・連想・類推・体験によって線となり、時空を線として体験する旅……

 

★先生が今回の著書を書く過程そのものも旅であり、わたしたちは読んで参加し、展覧会のさらに外へ行く! 紹介された作品が、次々に私たち聴衆の旅の記憶となるようで、本当にスリリングで画期的な講演でした。

 

その後、日本列島各地から旅して集った大人数での夕食会のありさまも、こうした旅の高揚につつまれて圧巻でした!

(okj)

1 コメント