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巖谷國士 ★ 講演「バルセロナと画家ジョアン・ミロ」(ヨーロッパの都市と美術をめぐる3回シリーズ)

巖谷國士先生の講演って、いったいいつぶりだったかしら……?

コロナ禍のなか、相次ぐ中止の報に落胆しながらも、私たちはじっと(約2年ぶりの)★先生講演を待っていました〜!

 

前回(2019年11月の3週にわたり開催)は、横綱級といえる世界の3都市(パリ、ヴェネツィア、プラハ→ 「みんなのblogs」 参照)をへめぐる圧倒的・魅力的な連続講演でした。

 

そして今回(2021年12月の3週にわたり開催)は、★先生がかつて何度となく旅した町を、その町を代表する芸術家たちの作品や、人々の生活を映した写真でつなぎ、風土と自然と歴史を解説しながら、町のもつ人格までも、明らかにしていく〜というもの。

その第1回を飾るのが「バルセロナと画家ジョアン・ミロ」でした。

 

バルセロナを語りだすのに、最初に★先生が示されたのは、画家ジョアン・ミロ(カタルーニャ語原音)が描いた、FCバルセロナ サッカークラブの創設75年を祝うポスターです。もう、あのミロ特有の「へんてこ」なものたちが、あちこちに浮遊しています。

 

守護聖人ジョルディとアラゴンの4本縞を象徴するチーム旗をお腹に抱え、星型の脚をほうりだして(シエスタ中?)寝そべるポーズの鳥と、下部には目のある涙型のしずくがふたつ……まだフランコの独裁政権下にあり、スペインからは国外追放を命じられたままのミロが、自由をあらわす鳥にBarçaを重ね、不屈の故郷カタルーニャの、誇り高き(més que un club)サッカークラブを応援しているのです!

 

なんだかこのポスターひとつとっても、★先生がバルセロナの町を語るのに、すでにたくさんのことを暗示・内包させているようです!

 

そう、サッカーにおいて、FCバルセロナとレアルマドリードが世界最大級のライヴァルであるように、カタルーニャの独立運動は、チーム創設の1899年からもずっと、政治的にスペイン王政からの独立を掲げるものでした。ミロのポスター(1974年)にも、当時の、バルサローナ市民たちの自由と反抗の精神があらわれているのです。

 

バルセロナの町は、もともと地中海の覇権争いに、壮絶なしのぎを削っていた、カルタゴの名家バルカ(Barca/雷や雷光の意もあるとか)家の領土でもありました。紀元前3世紀からローマと向こうを張り、ポエニ戦争を戦った父ハミルカルとその息子ハンニバル……彼らバルカ親子は、陸地にわずかしか領土をもたない海の/東の民フェニキア(ポエニ/プニコ)のプライドと、その威力(戦象!によるアルプス越え)とを見せつけながら、地中海周辺域とイベリア半島を掌握し、紀元前までに地中海に形成されてきたギリシャ-ローマ世界に、真っ向立ちむかう、偉大な畏敬すべき強敵として、その名を世界史上に刻んだのでした。

 

(★先生がフェニキア推し、ハンニバル推しなのは、★ぜみのみなさんならご存知のとおり……私にも、超絶イケメンに描かれたハンニバルの漫画をおススメくださったこともある!)

 

やがて、ローマ植民市(Barcino、バルキノ)が建設され都市計画は進み、さらに5世紀、西ゴート族の王都となって、いまも残るゴシック地区が形成されます。8世紀にはイスラム勢力のウマイヤ朝に征服されますが、12世紀にはレコンキスタがおこり、アラゴン王国のイベリア半島におけるキリスト教世界奪回のはじまりの町となる……など、今日のバルセロナの町にはさまざまな歴史と文化の重なりを見ることができるのです。

 

19世紀末の芸術潮流でもあったアール・ヌーヴォーは、ここバルセロナにおいても、モデルニスモとして発展しました。Eixambre地区は碁盤の目のように拡がる新市街……そこにガウディやモンタネール(ムンタネーとも)らが、息を呑むような、新発想の建築物を次々に建てることになります(→ 配布された資料を参照)。

 

ちょっとだけ、ここに書き連ねてみましょうか。

 

…カタルーニャ音楽堂〜アマトリェール邸〜バトリョ邸〜ミラ邸〜サグラダ・ファミリア〜サン・パウ病院〜グエル公園〜その先にはティビダボ山!

 

…旧市街のゴシック地区からのびる大通りはランブラス〜時計職人だった父の工房と少年ミロが生まれ育ったところ〜レイアル広場に通じる迷路のようなバリオ・ゴティコ〜カテドラルの前でくりひろげられるサルダーナ(群衆舞踊)のロンド〜グエル邸〜コロンブスの塔〜その先は地中海!

 

あゝ、この町は山と海と自然とがつながっている……そしてその自然を臨む環境整備のためにつくられる建築物や公共物(広場や通り)、美術や食べ物や人々の営みと行動までもがビオモルフィック!だ〜ということを、解き明かしてみせる★先生。


つづいて、ミロの、若いころから晩年までの自画像を示し、画家が通じて自身の姿を「線」であらわしたことを指摘します。晩年には日本の書にも興味を抱いたミローー 彼は、マッスで事物をとらえる(ルネサンスもそう。いわゆるヨーロッパ絵画全般にいえる)ギリシャ-ローマ式の描法をとらず、生まれた土地の、ヨーロッパ文明そのものに反抗するような人格をもつバルサローナの、自然に対応する「色」と、自然から発生する「ビオモルフィックな形態」ばかりを表現しつづけた、それらはまるで自由で、シュルレアリスティックで、カタルーニャ・バルサローナ人の心意気ともいえるような、反抗の精神のあらわれである……とも。

 

(★先生はそれを総称して「へんてこ」とか「かわいいへんなひとたち」と呼びますね)

 

1979年、★先生がフランスを出て、はじめて汽車で地中海沿いに国境を越え、訪れた町が初夏のバルセロナだった……と語ります。車中での出来事、車室で隣りあわせた男性の、バルセロナへ帰るところの医師との会話では、「カタルーニャ人のつくりあげたカタルーニャ人の町」とか「自由への思い」といった言葉にならない感情、身ぶり手ぶりが、ふたりの間に交わされたことも。

 

地中海の自然のエネルギーに満ちあふれたミロの絵画は、自由をもとめ、自律的反抗をくりかえすカタルーニャ人の町バルセロナに、よく似あいます。そこかしこに置かれたミロの彫刻も、まるで市民の隣人たちのように、この町では、へんな人、へんてこな形であるほど、ごく自然に受け入れられてしまうのかもしれません。

 

どうしてミロはあゝした作品をのこしたのか……★先生のライヴ講演を聴いて、ようやく腑におちた/納得された方も多いでしょう。私などは2年ぶりの興奮と感動を味わっているところです!

 

次回2回目の★講演は「ストラスブールと彫刻家ハンス・アルプ」です。次はどんな目から鱗〜な感動を味わうことができるでしょう〜本当に楽しみです!


★先生、すばらしい講演を、今日もありがとうございました。

 

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