巖谷國士★講演「澁澤龍彦の宇宙誌」@世田谷美術館講堂

 

★先生は1963年、二十歳のときに澁澤さんと出会いましたーーそして澁澤さんが亡くなってからすでに30年が経ち、★先生は今も、澁澤さんとつきあっているように感じているといいます。

 

さまざまな世代におよぶ澁澤本読者にも数多く出会う★先生は、その世代によって澁澤龍彦をどう呼ぶのか、澁澤龍彦を呼ぶその呼称の異なることをおもしろく指摘します。団塊の世代の男性読者は「シブサワ」「タツヒコ」はては「シブタツ」……と呼ぶのに対し、若い女性の読者は「澁澤さん」と、まるで身近なお兄さんを呼ぶように、それぞれの私の抱く澁澤龍彦像を話しだすのだそうです。

 

澁澤さん自身も「私」を主語にして書くことが多く、生涯「私」とは誰かを問いつづけ、その著作のなかで次々と変化して広がってゆく「私」を展開、浮き彫りにしました。美術にせよ「私はこれが好きだ」からはじまる澁澤さん。好きなものをずばり「好きだ」といい、それはなぜかを問う。個人的な事情は「気質」という言葉を使うにとどめ、自分の内面や体験にさかのぼったりすることはしません。現代の人間のものの見方、心境、症例を含めて探り普遍化してゆく。「私」はいつのまにか「わたしたち」になり客観化されて惹きこまれ、読者のなかに澁澤さんが作られて、澁澤さんの「私」と読者の「私」が同一のもののように錯覚されてやがて私たちは親しくなってしまうのです。

 

好きなものを決めつけるのではなく、類推される事柄と結びつけながらどんどん広がって、やがてそれがくずれて溶けてゆくーー時間の流れとともに展開してゆく過程は、澁澤さんの最後の小説『高丘親王航海記』そのもの。

 

60年代のサド裁判の進行と64年東京オリンピックや70年大阪万博への嫌悪と「私」の変化を自覚しはじめた70年代以降と、澁澤さんとの出会いから時間を追って澁澤龍彦像を展開してゆく★先生。

 

出会ったとき、また鎌倉の自宅へ呼ばれたときの澁澤さんの描写、着ているものから体の動き、会話や反応、一緒に歌った歌までーーまるで澁澤さんが目の前に現れるかのような迫真の記憶力で、わたしたちは驚嘆し、澁澤さんのインファンティリズム、稚拙でモダン、を真に体験するのでした!

 

さらに★先生は、スライドを使って『夢の宇宙誌』などから澁澤さんのミクロコスモス、驚異、エグゾティスム、アナクロリスム、発見とアナロジーの旅、植物への想い、東と西のマニエリスム、自筆デッサンにみる気質、彼のもっとも好きなものたちなどを次々と見せ、わたしたちを驚異と変容の旅に誘いました。

 

★先生と澁澤さんの出会いにはじまる旅は今も続いており、それは「わたしたち」のなかに反射しているかのようです!

(okj)