巖谷國士★講演「アンドレ・ブルトンとは誰か」@LIBRAIRIE6/シス書店

LIBRAIRIE6/シス書店での巖谷國士★講演「アンドレ・ブルトンとは誰か」を、今回はymks/guwashiの二人でレポートします!

 

本講演は、『ユリイカ』の臨時増刊特集号「ダダ・シュルリアリスムの21世紀」〜アニー・ル・ブラン来日〜「岡崎和郎 Who's Who- 見立ての手法」(千葉市美術館・北九州市立美術館へ巡回)〜同美術館での巖谷國士★講演「Who’s 岡崎和郎ーオブジェ・ダダ・シュルレアリスム」にまで繋がるすばらしいものでした! 

 

偶然の出会いによって誘発されるアナロジーの連鎖。今でこそ「〜は誰か」という問いはウィキペディアで済んでしまう感覚をもたれているが、もちろんそれで済むはずもない!

 

「シュルレアリスムとは偶然の出会いを理解することではないか?」という巖谷先生の問いかけは「アンドレ・ブルトンとは誰か?」という問いかけ同様に、それ自体が答えでもある。 問いはあらたな問いを呼ぶ。それは『ナジャ』という書物の特性でもある。

 

講演では「著者による全面改訂版」と銘打たれた1963年版から翻訳した『ナジャ』(岩波文庫、2003年)を片手に、そのなかのイメージにまで話はおよぶ……読めば読むほど問いが生まれ、イメージ同士がアナロジーによって結びついてゆく。それはテクストから呼び起されるものだけでなく、収録された写真にも同様の作用がはたらく。エリュアールやペレといったシュルレアリストたちの肖像写真にとどまらず、さまざまな写真を「読む」ことでアナロジーはどんどん拡がってゆく……『ナジャ』も★先生のお話も、出会いとアナロジーの連鎖へと読者/観者を誘う。

 

ドゥルイ氏〜最高だ〜!! もっと『ナジャ』の話をききたいです!

(ymks)

 

恵比寿の LIBRAIRIE6/シス書店。店内は巖谷國士先生の1時間の講演を聴きに集まった人たちで溢れていました。壁際に立つ人、床に座り込む人、誰もがそわそわと 落ち着きなく待つなか、「それではそろそろ始めましょうか」と先生の穏やかなひと声で講演がはじまりました。

 

テーマはアンドレ・ブルトンとは誰か。今回はブルトンの作品で、「私は誰か?」から始まるブルトンの著書『ナジャ』の中の写真を読み解くことから彼に迫っていきました。

 

先生に促されて見る写真はどれもがどこか奇妙で、不自然で、何やら秘密めいている。そして写真に関する文章も一読しただけでは意味がつかめない。まずは写真について誰? 何? なぜ? と。ついで、写真に施されたトリミングやぼかしの跡にも触れて、私たちの感じる「なんだか変」を丁寧に拾い上げていきました。その後は先生による写真にまつわる文章の朗読。つかみどころのない文章は、読み上げる先生の絶妙な間と調子とにあいまって店内に笑いを誘います。

 

皆で笑いながら先生の声に耳を傾けているうち、私たちは先生のアナロジー、類推の世界に引き込まれていきました。先生が発するアナロジーはさらなるアナロジーへと連なっていく。その一つ一つに絡み合うブルトンの人生。それを会場に居合わせた人とともに追体験する不思議な世界。

 

そうして先生に導かれ『ナジャ』の写真と文章に散りばめられた類推の種を読み解いてゆくと、ブルトンが分身のように感じた懐かしい友や、分かり合えたシュルレアリストたち、そして本のタイトルにもなったナジャが姿をあらわしました。そして彼らとの辛い別れも。

 

アナロジーの世界からブルトンは呼びかけてきます。 偶然出会った人とのつながりは、いかなる理由で別れを迎えたとしても、心の中から消えてなくなることはない。大切なのは出会い。出会うこと。このブルトンの声はそのまま先生の声と重なり、ズンと私の中に落ちていきました。

 

最後に。

時間が足りない……この続きはもっと時間をかけて、もっと多くの人とこの体験を共有できたらと思います!

(guwashi)