巖谷國士★講演「花と木とお菓子のクリスマス」@ロビニエ

今日12月6日は、聖ニコラオスの日。4世紀、トルコ地中海側のエフェソスの近く、ミラの聖者・司教です。

子どもや貧者の守護神で、ロバに乗って出かけていってはこっそり靴下の中へ金貨を入れるなど、贈り物をしていたそうです。この聖人が、サンタクロースのもとになったのですが、その語源や、オランダ・フランス・イタリア・スペイン・ドイツ・イギリス・スイス・ロシア・北欧圏、そして日本でも、サンタクロースやクリスマスの呼び方が異なり、伝説や、贈り物をくれる存在も、それぞれに多様性があることを語っていく★先生。

 

贈り物をする期間も、この聖ニコラオスの日から、1月6日のエピファニア(公現祭……聖母マリアの出産をベツレヘムの星が知らせ、東方三博士が贈り物を持ってやってきた日)まで、続くのだそうです。


そもそもキリストが生まれたのが12月25日だというのも本当かどうかは分かっておらず、キリスト教を広める過程の、一種の妥協の産物だったといいます。キリスト教は、ユダヤ教、イスラム教とともに、男性神をいだく一神教ですが、これらはせいぜい紀元前1世紀ごろに生まれたもので、それまでの世界は、自然界のすべてに神々がやどる原始自然信仰でした。

自然とは母なるものから生まれるもの、はじめからあるもので、キリスト教のように神がつくって意味づけをしたものではなかったのです。


★先生は、日比谷のシンポジウムでもお話されたように、人間が森を出て、自然と文明を対立させ(自分勝手に)境界をつくっていった過程をお話します。

そして、もともと人間と森とは連続していて、クリスマスももとは森のものであり、じつは冬至のお祭りであったことを明かします。冬至は1年のうちで一番日が短くなる日ですが、次の日から徐々に日が長くなっていきます。つまり、生命が衰え死の世界までいったのが、ふたたびよみがえり再生する日ということです。


古代ローマ人、ケルト人、ゲルマニア人、ブリタニア人などの森の民は、このように自然界や宇宙を感じ、よみがえりを促進するために火を焚くなど、アナロジーで太陽に働きかけたりしていました。

森を失ってガリアへ遠征したローマの皇帝カエサルが、ケルト人が神殿も政治組織も持たないことに驚いています。が、彼らには、森が神殿でオークの木の知恵を持つドルイドがいたのです。

こうした森の民に、男性神で一神教のキリスト教を広めるためには、自然界の母としての神(聖母マリア信仰)が必要で、そこに木の信仰(クリスマスツリー)が生まれたといいます。木の信仰は同時に山の信仰であり、世界樹や高次の人間が住む山(『類推の山』!)など、世界中の民族にある、天と地をつなぐ軸となる神話についてお話する★先生。


クリスマスツリーも山に形が似ていて、天にのぼれる形をアナロジーで選んでいるといいます。『類推の山』をめぐるご講演とつながっていきます!

そして一方で、クリスマスツリーの悲劇についても、アンデルセンの創作童話から語られます(くわしくは★著書『花と木の話』をお読みくださいね)。19世紀なかば、産業革命のただなかで、山をもたないデンマークの地で書いたアンデルセンのすごさ。これほど自然と文明、商業主義、資本主義を象徴したものはないでしょう。


生命力があって保存のきく常緑樹、ヒイラギやヤドリギなどをちょっと飾り、生命を獲得するのが本来のクリスマスツリーだとおっしゃる★先生は、クリスマスの花についても色々お話してくださいます。


たとえばシクラメンは、その名はサイクルからきていて、自然界の周期を表現しているのだそうです!ポインセチアには、古代マヤ・アステカにルーツが……! そしてクリスマスのお菓子こそ、木の実や干しぶどうやスパイスなどの植物に起源を持ち、食べることでそこから生命力を得られるものを食するのだと!


フランス、イタリア、ドイツ、イギリス、それぞれの国のさまざまな都市で生まれたクリスマスのお菓子の由来についてお話してくださり、なんとロビニエ・サロンには、先生のお話そのままにお菓子が勢ぞろい。すべていただくことができたのです!日本の甘味の原型は干し柿だとおっしゃる★先生、なんとサロンには★家の庭になった柿までも並んでいます(これもくわしくは『花と木の話』、柿の章をどうぞ)!

今日のテーマ「花と木とお菓子のクリスマス」、そのすべてがつながり、植物の生命力で、私たちは五感をふたたび取り戻す、すばらしい再生の体験となりました。


このお話を聞いて、生命のアナロジーである花や木を身のまわりに飾り、お菓子を食べて、森のなかの家(にいるかの気分)でささやかにすごすであろう今年の冬至のお祭りは、私たちにとっても特別なものになるでしょう!

(okj)