巖谷國士★トークショー ルネ・ドーマル『空虚人と苦薔薇の物語』(風濤社)刊行記念   「『類推の山』の話中話、世にも不思議な物語」@東京堂

このサイト名の由来でもあるルネ・ドーマルの小説『類推の山』(巖谷國士訳、河出文庫)について、★先生が語るのは今回がはじめてのことです。
会場は、観客同士も目配せで通じあうような、高揚した空気につつまれていました。 


まだ学生だった★先生は、この本に出会ったとき、自分の今後にかかわるだろう……生涯つきまとうだろう……と予感したそうです。もう一冊の『ナジャ』とともに。
私は誰か? 私は誰を追っているのか? もうひとりの自分、人間が1ではなく2であること……またその合一(合体、一体化とも)、作者ドーマルの少年時代からもっていた合一への発想、映画『ふたりのヴェロニカ』にもあったような、わたしたちの存在の根幹にかかわることが、★先生のお話で次々と開かれてゆきます。


『類推の山』の話中話として、この小説自体をあらわすかのように、入れ子の状態にある「空虚人と苦薔薇の物語」。★先生は、8人の登場人物について、高山の「伝説」について、空虚人の様子について、苦薔薇とは何かについて、博物誌の驚異について、あらゆる民族の神話に登場する高山について、そこに住む「高次の人間」について、お話を展開します。


そして、この物語が、未完であるのになぜ本として出版されたかという重要なことに気づかせてくれるのです。
 
『類推の山』の物語には、汗水垂らすような努力も苦悩もバトルもなく、冒険の骨や筋だけが書かれていて、すべてが思ったように実現していきます……ピーエル・ソゴルが、まず問題が解決されたものと仮定して、そこから方法を考えてゆくように!
だからわたしたちは読んでいてうれしく、ときに安直を感じながらも、みるみる希望がわいてきます。ひとりひとりが小説に点滅するイメージを空想でつくりあげることができます(★先生は、建石修志さんの描いたイメージ、野中ユリさんがコラージュとデカルコマニーで描きだそうとしたイメージも話してくれます。)。
 
この、読む人によっては進行が「安直」にすら感じられる物語ですが、じつは作者のおそるべき苦境のなかで書かれていたことが明かされます。
ドーマルは不治の肺結核にかかり、第二次大戦中、ユダヤ人の妻と逃亡しながらアルプスを超え、パリへたどり着き、病床でこの物語を書きながら、亡くなりました。
絶望から出てくる透明な希望、とも表現した★先生。最後に澁澤龍彦と『類推の山』について語りあったことも聞かせてくださいました。
澁澤さんも、絶望的な状況で、この小説から希望をつかんだこと。『類推の山』を元にしながら『高丘親王航海記』を自身が患うガンの病床で書いたこと。
一方は書き手の死で終わり、妻と友人がひきとって完成させ、一方は書き手の分身の主人公の死で終わる……
 
若い★先生と澁澤さんで『類推の山』のことを話していたとき、もう1が2になっていました。
2は3になり、3は10になり、100になり、冒険がはじまります。カメレオンの法則!


もう私たちも共感する読者であり、すでに100になって、ここにいるんだ……と興奮につつまれました。この希望があるから生きてゆけるのですね!だから『類推の山』を読むと元気がでるんですね!

(okj)