巖谷國士★講演「〈遊ぶ〉シュルレアリスムとは何か」@京都 ギャルリー宮脇

「〈遊ぶ〉シュルレアリスムとは何か」@ギャルリー宮脇

 

11月9日(土)、前日の講演「シュルレアリスムとメキシコ」につづいて、京都の由緒あるギャルリー宮脇で、巖谷國士特別講演「〈遊ぶ〉シュルレアリスムとは何か」がありました。

15時から16時半すぎまででしたが、そのあとのサイン会は長蛇の列で、お隣のお茶の超名店I堂の美しい女将も登場し、長い演劇のような出来事になりました。

 

 

ギャルリー宮脇ではすでに同名の展覧会がひらかれていて、先日の「〈遊ぶ〉シュルレアリスム」の展示作品のうち、トワイヤンやマルセイユのトランプも借り出した盛りだくさんな展示。
3階建てのビルの各フロアと階段の途中に、シュルレアリスムの版画作品とアール・ブリュットのさまざまな作品が所せましとならび、まずじっくりと見てまわります。
そして15時から、階段まで満員の会場で、記念講演「〈遊ぶ〉シュルレアリスムとは何か」がはじまりました。

展覧会の主旨にそって、講演はずばりシュルレアリスムとアール・ブリュットを結びつけます。

アール・ブリュットもまた〈遊ぶ〉シュルレアリスムに内在していること、日本で通用している「アウトサイダーアート」というやや差別的な用語とはまったく違う概念だということ。

 

ディアマン・ブリュット=ダイヤモンドの原石。シャンパーニュ・ブリュット=生のままのシャンパン。だからアール・ブリュットは「アウト」ではなく、私たちの「イン」にもあるもの。

アール・ブリュットもまた、アカデミズム・労働・エンジニアリング・官僚的タテワリなどから解放され、遊び、ブルトンのいうように「野をひらく鍵」(自由)を手に入れようとする体験なのでした!
すべての人のなかにブリュットの可能性があることを示唆し、自然発生的に生まれていく創造について語ります。その例として、「〈遊ぶ〉シュルレアリスム」展にとりあげられ、そのカタログを兼ねた平凡社の美しい本に大きく扱われている岡上淑子のコラージュと、植田正治の写真の作業過程が挙げられたことは、すばらしい、わかりやすい、新たな視点でした。
気がついてみるとギャルリーの空間も、新たな生気を帯びはじめたかのよう。アール・ブリュットにシュルレアリスムの萌芽を見て、両者の接点を結んでいく展開にはどきどきしっぱなしでした。

そのほか、この講演の画期的な意味については、ゲストbookに専門家のはせがわさんが的確なコメントを書いておられるので、そちらをごらんになってください。
すべてがつながってゆく★連続講演。★先生の示唆から生まれたというこの展覧会、そして記念講演は、はせがわさんとのコラージュ・ブリコラージュも感じとれて、ほんとにすばらしいものでした。

(ukk)