笠井叡×巖谷國士☆トークショーのご報告

さっそく我らのリポーターokjからの報告が入りました!

土方巽や大野一雄、ピナ・バウシュなどさまざまなダンサーの写真や衣装、脚本、映像などが展示される横浜BankARTの建物内、どこからともなく笠井さんがあらわれて、舞台ではなく展示会場の中で踊りだしました。そしてなんと、踊りながら語りだしました。

 

うすい白塗りの体、★先生が40年前とかわらない……とおっしゃるとおり、年齢を超えてしまったかのようなひきしまった身体のオブジェ感。会場内を自由にとびまわり、あわせて観客もついてまわり、ときには一緒にエレベーターに乗って上の階へ移動、展示物や、会場の赤ちゃんの泣き声をも使って踊り、しゃべる、即興ダンス……驚きの、刺激的な、おかしな1時間でした。

 

ダンス後の★×笠井対談では、途中から大野慶人さんも加わり、1963年秋の舞台「あんま」について語られました。

 

★先生は、「あんま」がダンスというより「事件」だと感じたそうです。

なにか主体があるのではなく、人間がオブジェとなって登場しぶつかりあう、なにかを表現しようとするというより「意味作用」ばかりが浮遊する。目黒のサウナで三味線を弾いていたおばあさん達が、そのまま舞台に集められてしまった「衝撃」!

 

一回限りの出来事に立ちあうという体験、オブジェの感覚をよびさます、すでにシュルレアリスムのめばえがそこにはあったようです。

 

本来「やわらかい」ものであるはずのダンスに、「硬さ」を持ちこんだ土方さん、人がモノであるとは革命的です。大野一雄さんも、土方さんも、人がモノのように死んでいった「戦争」を感じていた……シュルレアリスムも第一次大戦後にはじまりました。つねに起こる災厄、そのときあらわれる意味をもたなくなったオブジェたち……

 

★先生が、

土方さんは世界や社会、まわりを振りつけてしまう天才的な振付家だった、

音楽も美術も映画も写真も詩も文学もすべてとりこんで、世界をまるごと振りつけてしまう人だった、と話されたのには感動しました!

 

いっぽう、笠井さんもまた踊りながら、土方さんが世界を「のみこんだ」と表現されていました。

 

1963年は、★先生が瀧口さんや澁澤さんと出会った年でもあり、

土方さんのところにもまたいろいろな人が集まり、出会いに出会い、どんどんかたまり、

自然に「運動」を体験してしまうような時代だったといいます。

 

この「あんま」を体験した同い年の★先生と笠井さん、「あんま」を踊った慶人さんのお話を聞けたこと、今日のように一回性(まさにライブ)の体験や出会いがあること、★先生のお話に感じるシュルレアリスム、すべてに興奮しました!

 

笠井さんのダンス、★先生の語りのアプローチ、本当にすばらしかったです!

ありがとうございました!(okj)