☆5月7日には、
新潟県柏崎原発の近くにあるエネルギーホールにて、「森・メルヘン・シュルレアリスム」講演が、
☆5月14日には、
東京都庭園美術館主催、「森と芸術」展記念講演が目黒雅叙園で、
☆5月15日には、
私たちMont★Analogue主催、明治学院大学図書館後援で「森と芸術 縄文の森★シュルレアリスムの森」講演が 明治学院礼拝堂(チャペル)にて催されました!
いずれもたくさんの聴講者が集まり、★連続講演を楽しみました!
☆★☆★☆★ 以下、優秀な、われらリポーター OKJ から! ★☆★☆★☆
5月7日★講演「森・メルヘン・シュルレアリスム」@柏崎 ご報告
5月7日には、柏崎にて「森・メルヘン・シュルレアリスム」講演が開催されました。
世界最大規模、7基の原発を抱える柏崎。エネルギーホールという東京電力の施設が会場です。
自然というものがあらわになった大震災後、この地で森展講演が行われる偶然のめぐりあわせの不思議なこと!
今回★先生は原発ということばをいっさい使わずに、震災前の文明による原発の問題を指摘するというあざやかさ、すごかったです~~!
講演の前日に★先生は柏崎のふたつの森に入っておられました(縄文人ガイドつき)。フィボナッチの森という里山と、磯部神社という神社がある鎮守の森です。
しかもそこで自然にできた森の落とし穴に落ちてしまっていました!
縄文の森~フンババのいるギルガメシュの森~ローマの森~ガリアの森~ゲルマニアの森~ブリタニアの森~と、
前日のフィボナッチの森体験と磯部神社体験と融即しながら、森から森へお話が旅するのです。
磯部神社の鎮守の森には、ニンフやサティールや、あやしいやつ、巨人、こびと、美女なんかがすんでいて、こっそり落とし穴を掘っていたりしそうです。
与えられた現実が現実で見えなくなるのが森、この世と思えないことがおこるのが森です!
★先生が磯部神社の森で感じたことは、森は暗い、森は恐い、森には直線や幾何学図形がない、森はきもちがいい、ということでした。
はんたいに、明るくて安全で直線的で、空調が管理され息苦しいのはユートピア都市ですね。
人間はかつて森にすんでいました。森の記憶とは本質的なノルタルジアです。
個別の幼年時代への郷愁とはまた別の、失われてしまったものへの想い。
メルヘンは、誰がつくったかわからないけれども昔から語りつがれているもので、すべてのメルヘンには森の記憶があり、森のかおりがします。
人間が森を覚えておくために、失われたものを忘れないために、メルヘンがあり芸術があるというお話に、ゾクゾクと震えがはしりました。
エルンストも3歳のときに森に入ったときの魅惑を恐怖を忘れないといい、魅惑と恐怖はおなじことのうらはらですね。カエサルはガリア人をシルヴァティクス=森の人とよびましたが、シルヴァティクスはフランス語のソヴァージュです。
野生とは森。世界初の大殺戮を受けて、もういちど野生をとりもどそうとしたのがシュルレアリスムです。
未曾有の震災後の人間にも、いっそう森がいる!と磯部神社に行きたくてたまらなくなりました。
さらに、森と芸術展の作品たちをスライドで見せてくださいました。ほんとうにせつなく、ほんとうにたのしいです。セリュジエの表紙絵、よすぎる。ボマル ツォ、行きたい。ドングリ~!ボーシャンの楽園、ルソーの変身をくりかえすような植物、ドレの森の驚異・・・・・・
(okj)
5月14日★講演「メルヘンからシュルレアリスムまで」@雅叙園 ご報告
5月14日、★先生講演「森と芸術-メルヘンからシュルレアリスムまで」が開催されました。
会場は目黒雅叙園、昭和6年にできた日本初の結婚式場です。
90年代に建てなおしがあったものの内装はほとんど当時のままで、天井画あり壁画あり、
太鼓橋のかかったトイレあり、ガラス張り温室風日本庭園ありの迷路状バロック空間です。
かつてこの場所にもうっそうたる森があったことがわかります。
この日本バロックの森ではじまった先生のお話、まずは森展の図録もかねている「森と芸術」
の各章の森を案内してくださいました。
あらためて、すごい本です。ギルガメシュの森からはじまる序章から第8章の日本列島の森まで、
森と芸術展はむしろこの本の一部、あるいはこの本の内容が展覧会の作品といった感じ。
読むと、講演を聴くと、もういちど庭園美術館に行って作品をたしかめなければ!とそわそわしてしまう。
さっき見てきたばかりなのに!
この本は読む人を、移動する縄文人にしてしまいますね。
そうして森展の作品たちをスライドで見せてくださいました。
「森と芸術」の表紙やポスターにもなったポール・セリュジエの<アンヌ・ド・ブルターニュへのオマージュ>、
これを見た人には、3つの反応があったそうです。
・これ、森の絵なの?
・メルヘンみたい、絵本の場面みたい
・中世のタピスリーみたい、16世紀のもの?
ひとつの面にひとつの色がぬられた単色の配置、スカートの模様、白く浮かびあがる植木鉢、背景の神聖なオークの葉、
2度もフランス王と結婚しケルトの土地を守ったアンヌ、アンヌが与えるか与えられているかする若木、
荒廃した土地に若木が育つ未来、・・・・・・、
意味が浮遊しこちらが読みとかずにはいられません。鎮守の森が人間の五感すべてをつつみこみ、無意識を動かし、ものの見え方が変わってくるのと同じです。
ひとつひとつのものが意味をもってこちらに話しかけてくる、象徴世界。立体的に感じとれる本当の森の絵。
ただ視覚のみによってきれいに見える、都会人にとっての癒しの森としての風景画とは違います。
セリュジエ自身、都会を捨て美術学校の遠近法を捨て、ポン・タヴェンへ行きゴーギャンらのグループに加わり、
死ぬまでブルターニュの地に暮らしました。
「愛の森」を体中で感じるゴーギャン、ストラスブール育ちで生命体としての森を知っているギュスターヴ・ドレ、
「怒れる者」とオークの木を擬人化するディアズ・ド・ラ・ペーニャ、文様化された自然の粋を描くガレ、
物質と直結する森を描くエルンスト、植物としての家族を描く岡本太郎、
ほかほか、書ききれませんが、もうもう感動の図版解説!!
カイ・ニールセンのヘンゼルとグレーテルの森がいちばん写実に近いというのも、驚きの超納得でした。
文明で森を失ったイギリスのロイヤルウエディング、森を求めてミドルトン家の紋章をオークの葉とドングリにした
お話にもどきどき。ウエストミンスター寺院内に森をつくってありましたね。
15日の★先生講演「縄文の森・シュルレアリスムの森」は、ウエストミンスター寺院のようにそれ自体が森である、ヴォーリズ設計の明学チャペルにて行われます!
(okj)
5月15日「森と芸術」出版記念講演 by Mont★Analogue &明治学院大学図書館
1.29最終講義「なぜここにいるのか」からはじまり、
宇宙のように季節のように円環をなす連続講演の旅が、
ついに森のチャペルまでやってきました。
森を原型にしたゴシックの建築、ゴシックはゲルマン人のゴート族からきていたのですね。
ゴートとは、「野蛮人」、野生人のこと。でた~~縄文人!
石の壁で石のカマボコ型アーチ天井をささえるのではなく、柱で複雑に交差させたヴォールト天井をささえる。見あげると、柱は森の大木、まるでからみあう木立ですね。
薄暗い森の空間に、木と木の間の窓=ステンドグラスから木漏れ日がさしこみ、
ガラスを通してなにか別のもののようになった光がゆらゆらちらちらゆれます。
★先生に言われて、はっとふりかえれば、17世紀ユグノー様式のパイプオルガンの梢がそびえている!
ケルト人も沖縄縄文人も神殿をつくらず、森そのものが神殿でしたが、
聖なるものとして建築がなされるときには森が再現されるのですね。上に上にのびてゆく聖なる森。
ストラスブール大聖堂の真むかいで育ったというアルプのコラム、感動です!
この森のチャペルにぞくぞくと入ってくるぜみ生、アーティスト、旅人、野生人のかたがた。
すごい眺めでした!そこへドングリの雨が降るように、★先生のお話が展開し生成し変化しつながってゆく・・・・・・!
震災と自然、オブジェ、空間、時間、水、火、闇、アダムとエヴァに聖母マリア信仰、聖なる木、
縄文人と弥生人、遠野物語、災害とシュルレアリスム、野生の目、森の目、・・・・・・
とても報告は不可能号ですごめんなさい!!
観客ひとりひとりに語りかけ、ドングリや若木をさしだしてくれる★先生。
観客は森の住人として、笑ったり、驚いたり、目くばせしたり。
偶然にもこの日は、日経新聞に先生のエッセイ「瓦礫の中の若木」(原題:震災と自然)が掲載されていたのでした。
ひょっこりひょうたん島の真実も書かれています。
「森と芸術」の後記につづき、読んで泣いてしまう人、いるでしょう。
「森と芸術」というひとつの本を書くこころみとしての、展覧会や連続講演でもあります!
この本で先生が私たちのなかにプレゼントしてくださった若木とともに、震災後の世界にずっと生きてゆく本です。
そんな出版記念のチャペル講演、その後の縄文人もりもり夕食会へとつづきました!
(okj)
コメントをお書きください